種から芽が出て花が咲き

はまっているあれこれ
(今はFTISLAND、いろいろ)

喜びから人生を生きる

2014年02月13日 | フォトリーディング(未整理)
喜びから人生を生きる! ―臨死体験が教えてくれたこと
アニータ・ムアジャーニ
ナチュラルスピリット


この本を紹介していなかった。香港在住のインド人女性の本。

がんで臨死体験した後、生き返り、がんそのものがなくなるという奇跡の体験の物語。

素敵な言葉が多くて、ノートに何ページも書き写してしまった。

このテーマは、小説という形でも体験談という形でも何冊も出版されているけれど、なお新しい。

私が興味深かったのは、著者がインド人女性ということ。香港で西洋の文化に接しているので、自国であるインドは男尊女卑の文化であることがところどころに記されているのが、とても新鮮。

臨死体験したときに、出会った死んだ父親は、生きているときは、著者である娘がインドの文化的な規範に逸することを嫌がり、厳しかったのが、魂だけの父は愛そのものだったというエピソードが印象に残っている。

実は、この本は、今年はまだ2月だけど、今年読んだ本のベスト3に入ると思う。その年のマイベスト本なんて、今まで記録もつけてないけど、この本の印象は、今までの私の読書歴のなかでも高い位置にいる。

死ぬ瞬間の5つの後悔

2014年02月11日 | フォトリーディング(未整理)
死ぬ瞬間の5つの後悔
ブロニー・ウェア
新潮社


オーストラリアの介護ヘルパーとして、数多くの患者を看取った経験をもとに、書かれたブログが注目され、この本は書かれた。

オーストラリアの人の本なんて、今まで読んだ記憶がない。最近は、香港在住のインド人女性の本を読む機会があったし、世界は、つながってきていると思う。

後悔
1 自分に正直な人生を生きればよかった
2 働きすぎなければよかった
3 思い切って自分の気持ちを伝えればよかった
4 友人と連絡を取り続ければよかった
5 幸せをあきらめなければよかった

介護ヘルパーの重労働さは、オーストラリアもおそらくどの国もそんな変わらないはずなのだけど、この著者のブロニーに看取られた患者さんは、後悔があったとしても、それを受け止められて、あるいは吐き出すことができて、幸せだったのではないかなあと思う。

ブロニーは本のきっかけになったブログの更新を続けている。英語力がほしいと切に思う。

http://www.inspirationandchai.com/

ひとつの世界の終り

2014年02月03日 | フォトリーディング(未整理)
聖なる洞窟の地 (上) エイラ 地上の旅人 (14)
ジーン・アウル
ホーム社


「始原への旅立ち」というシリーズの第6部完結編で、ようやく読みおえることができた。翻訳が出ていないのかと思ったら、原作そのものが完成していなくて、日本では、出版社が変わり、翻訳者が変わり、翻訳や出版の方針が変わり、第6部を読み終えるまで20数年、翻弄されてしまった。

昨年第6部が出版されたのだが、それに気がついたのが最近。たくさんのレビューが書かれていたので、いくつか読むと、完結編を長らく待ったのに拍子抜けというか、物足りないようなレビューが目についた。ええっ、20年待ったのに、そんながっかりな感じなの?

だから、さして期待せずに読んだのだが、ひとつの世界の終焉を感じたので、期待通りではないにしても、これはこれで満足できた。

しかし、これが、第1部「大地の子エイラ」を読んだ高校生の頃に、第6部の完結編まで読んでしまうことができたら、他のレビューの人と同じような感想を持ったかもしれない。そういう意味では、年月を経て、私が大人になったといえる。

ひとつの世界とは、第1部から小説にずっと流れている根幹にある世界観のことで、その世界観を理解しようがしまいが、第1部は読み応えがあると思う。この世界観は、日本のような、伊邪那美や伊邪那岐の伝説がある国では、発想できないものだと思う。神話や伝説のない、若い国の人だからこそ、創作された物語だと考えるようになった。そんな感想も、私が大人になったからかもしれない。

それにしても、ダルクって誰?そんな名前の人いたかしら?
エイラの氏族へ残して去るしかなかった息子のことなのだが、確か第1部では、デュルクだったはずだ。たぶん発音的には、ダルクのほうが原音に近いんだろうなあ。
この小説の愛読者の中では、私もその一人なのだけど、エイラとこの息子との再会が、第6部ではあるのではないだろうかと予想していたのだった。しかし、再会はなかった。登場シーンは実はあったのだけど、これは期待どおりではなかった。まあ、ファンの読者の予想を超えないとね。