種から芽が出て花が咲き

はまっているあれこれ
(今はFTISLAND、いろいろ)

丁寧に生きる

2013年05月31日 | 
小梅の季節になりました。

見切りで売られていたのを格安に買ってみたら、小梅は粒が小さいので仕事が細かい。大雑把な私は最後はしんどくなりました。やり切りましたけど、大きい梅のほうが私は好きです。

ただ小梅の時期は、束の間なので、漬けたい方はお早めにお求めを。
まもなく大きな梅が盛りになると思います。

今年はブランデー梅酒を漬けるつもりです。
一昨年、梅の木のある梅漬けの名人の方からお裾分け頂いたのを、ちびちび紅茶に入れて飲んでいたのが、とても美味しくて。再現したいというわけです。

今日、下に紹介する本は、もう亡くなってしまった久世光彦さんが塾長ということで、講義形式の本です。久世さんの名前が冠する本ということだけで、手に取りました。

2限目を担当される内館牧子さんの講義で、ていねいに生きることが大切と話されています。内館さんがちょうど、週1回エッセイを連載されていたときのことのようです。


 「…身辺雑記といううものは、ていねいに生きていかないとネタがないのです。本当にないのです。しょっちゅうお祭りがあるわけではないので、すごく小さなことをすくい上げてエッセイを書いていかなければならない。」


この件に私が響き、梅仕事を思いついたのは、本当はちょっと唐突な気がします。「ていねいに生きる」とは私にとって何か、しばらく自分を観察してみます。


久世塾
 
平凡社

子どもはあなたに大切なことを伝えるために生まれてきた

2013年05月27日 | 
子どもはあなたに大切なことを伝えるために生まれてきた。
池川 明
青春出版社


この本を読んでいて、気がついたことがあります。

私はなぜ本を読んでいるのかです。本を読むということだけでなく、何をしていてもなのですが、それは、生まれてきた自分自身を肯定したいのだと、この本を読んで気がつきました。

ずっと前に、友人が何気なく、「帝王切開で生まれた子どもはよくないらしい」と言ったことがあります。親しい友人でしたが、彼女に私が帝王切開で生まれたことを話したないはずなのに、なんで知っているのだろうと驚くと同時に、自分を非難されたようで、傷つき悲しみました。

なんてことはない。友人は、当時のマスコミかなんかから聞いた、はっきりしない情報を、無責任に伝えてくれただけだったのです。まさか該当者が目の前にいると知らずに。友人にとって帝王切開は、そうして生まれた人が私しかいないほど、珍しいことのようでした。

悪気のない無邪気さゆえに、むしろ残酷さは増したように思います。

友人はすぐに謝ってくれましたが、そのとき深く傷ついた私の心は、時間がだいぶたっても消えてはいなかったのです。もちろん、いつも思い出しているわけではないけれども。

「帝王切開を選んで生まれてくる子もいる」

この本のこの文章に出会って、救われたと思いました。前世の記憶や胎内記憶はおろか、幼児の頃のこともあまり覚えていませんが、この文章で、私は、私自身が肯定されました。

でも、今までがそうだったように、ふと思い出して悲しくなることがあると思います。そうしたら、また、自分を肯定する。

その繰り返しが人生かもしれません。まだ達観はできません。

ピンとくる

2013年05月26日 | フォトリーディング(未整理)
邪悪なものの鎮め方 (木星叢書)
内田樹
バジリコ


内田樹さんの本を今、集中的に読んでいます。

この本は、内田樹さんが書かれているブログで、おもに「呪い」に関するトピックを集めた本だそうです。「呪い」と言っても、内田樹さんによって切り取られた、いろいろな話題の集りでどう関連するのかは、読んでいる途中の私にはよくわかりません。

でも、すごく共感するところ、ピンとくるところを見つけました。それだけでもう、この本は私にとってすごく良い本です。実はいくつかあるのですが、いまの若い人々がなかなか結婚できないことについての考察で、引用すると、


 相手が信じられないから結婚できないのではなく、自分を信じていないから結婚できないのである。


ああ、そうだよね、そういうことだよね、と、私のなかで腑におちました。
内田樹さんのブログも面白いです。ブログアドレス紹介します。

http://blog.tatsuru.com/

江戸時代

2013年05月17日 | 和のこと 日本
学校では教えてくれない日本史の授業 (PHP文庫)
井沢元彦
PHP研究所


この本は読み始めたばかりで、まだ、序章を読んでいます。

最近は、江戸時代の循環システムが見直されているというような、江戸時代礼賛の趣旨の本ばかり読んでいたので、この本の序章を読んでびっくりしたというか、思い出したことがありました。

江戸時代初期というのは、戦国時代の名残りがあり、些細なことでも「斬り捨て御免」と言って、武士によって人殺しが普通に行われていた時代だったということです。

井沢元彦さんは、五代将軍綱吉の「生類憐みの令」が、虫も殺せないような世の中に変えたというのです。

そういえば、そうかもしれない。江戸時代は、「斬り捨て御免」という時代だった。それがどうしてか途中で変わって、人を殺さない時代となったのに、突然、赤穂浪士事件が起きて、大騒ぎになったのだった。

私はにわか歴女となって、あれこれ思い出したり考えたり調べたりしています。

確かに生きる

2013年05月12日 | 力づけ
確かに生きる 落ちこぼれたら這い上がればいい (集英社文庫)
野口健
集英社


登山家でヒマラヤや富士山の清掃活動をしている野口健さんの著書です。

リンクの本は文庫版です。私はハードカバーを読みました。ハードカバーでは、副題が「10代へのメッセージ」となっていました。若い人を対象に自身の人生を省みながら、若い世代への励ましの本なのですが、所々に語られる複雑な家族関係に、びっくりしながら読みました。エジプト人であるお母さんが、離婚して家を出てしまったそうなのです。

こんなことは、まあたまにはあるかもしれないけれども、野口健さんは、母が家をでていくきっかけになった異父兄弟の学費を、母側の経済事情がよくないので、支援されているのです。

年の離れた異父弟が20歳になるまで、という期限つきなので、もうその支援は終わられているかもしれない。異父弟自身からヘルプの要請があったそうです。

ほとんど一緒に暮らしていない、数回しか会っていない異父弟の学費支援というのは、ひたすら頭が下がります。

野口健さんは、関係ないと突っぱねると言うことはできるけど、内心絶対どこかで関係があると思っていると言います。100パーセント迷わずに関係ないと言えないと言います。

現実どうするか。山登りは、悪天候やメンバーの体調等で、進むか停滞するか、もしくは下山するかなどの決断の連続です。野口健さんの潔さを垣間見た気がします。

著者の意図ではない、本書の中では小さな扱いの部分のはずなのですが、私は一番感銘を受けたところです。

ことだま

2013年05月07日 | フォトリーディング(未整理)
なぜ日本人は、最悪の事態を想定できないのか――新・言霊論(祥伝社新書289)
井沢元彦
祥伝社


井沢元彦さんは、歴史について、とても興味深い著書が何冊もあり、私も愛読者の一人です。

この井沢元彦さんの本は、震災時の東電の対応や、日本史上の言葉の使い方など垣間見える、日本の深層心理として現れることだまの影響について書かれています。

ことだまとは、一言でいうと、言葉と実態がシンクロするということです。よい言葉を言えばよいことが起こり、不吉な言葉を言えば凶事が起こるということになります。ことだまの影響か、最悪の事態を想定することができずに、想定するとそれが起こってしまうから、対応が遅れたりすることが、日本史では起きているという指摘はとても面白いです。

ところで、私は、スピリチュアルとか、精神世界とか分類される本も大好きでよく読みます。それらの本を読むと、そこに書かれている人類史上の最大の発見のひとつは、「その人の言葉がその人の世界観となり、その世界観の現実を創る」ということであると、私は解釈しているのです。

ということは、日本では「ことだま」ということで、すでに人類の最大の発見をしていたということなのでしょうか。興味は尽きないです。

あいさつ

2013年05月04日 | フォトリーディング(未整理)
誰からも「気がきく」と言われる45の習慣
能町光香
クロスメディア・パブリッシング(インプレス)


個人的に、本は右開き、縦書きが好きですが、この本は、左開き横書きの本です。マーカーで塗られた箇所などもあり、いまどきの本なのでしょうね。

すぐにマネしたいコツがいくつもあって、この本を読んだ後、優しい気持ちになりました。

共感したことのひとつは、挨拶に対する考え方です。

「おはようございます」(今日も元気に仲良くやっていきましょう!)
「こんにちは」(今日もよろしくお願いします)
「お疲れさまです」(先に帰りますが、また明日もよろしくお願いします)

「 」が実際に発する言葉で、( )がそこに込められた意味といえるでしょうか。言葉だけでなく、実際に声かけすることで、もっとたくさんの意味を込めながら相手に挨拶していることが、私にもあります。それを相手に受け取ってもらえているかは、相手次第なのですが、挨拶を大切にしたいと思いました。