種から芽が出て花が咲き

はまっているあれこれ
(今はFTISLAND、いろいろ)

子どもはあなたに大切なことを伝えるために生まれてきた

2013年05月27日 | 
子どもはあなたに大切なことを伝えるために生まれてきた。
池川 明
青春出版社


この本を読んでいて、気がついたことがあります。

私はなぜ本を読んでいるのかです。本を読むということだけでなく、何をしていてもなのですが、それは、生まれてきた自分自身を肯定したいのだと、この本を読んで気がつきました。

ずっと前に、友人が何気なく、「帝王切開で生まれた子どもはよくないらしい」と言ったことがあります。親しい友人でしたが、彼女に私が帝王切開で生まれたことを話したないはずなのに、なんで知っているのだろうと驚くと同時に、自分を非難されたようで、傷つき悲しみました。

なんてことはない。友人は、当時のマスコミかなんかから聞いた、はっきりしない情報を、無責任に伝えてくれただけだったのです。まさか該当者が目の前にいると知らずに。友人にとって帝王切開は、そうして生まれた人が私しかいないほど、珍しいことのようでした。

悪気のない無邪気さゆえに、むしろ残酷さは増したように思います。

友人はすぐに謝ってくれましたが、そのとき深く傷ついた私の心は、時間がだいぶたっても消えてはいなかったのです。もちろん、いつも思い出しているわけではないけれども。

「帝王切開を選んで生まれてくる子もいる」

この本のこの文章に出会って、救われたと思いました。前世の記憶や胎内記憶はおろか、幼児の頃のこともあまり覚えていませんが、この文章で、私は、私自身が肯定されました。

でも、今までがそうだったように、ふと思い出して悲しくなることがあると思います。そうしたら、また、自分を肯定する。

その繰り返しが人生かもしれません。まだ達観はできません。

子どもは親を選んで生まれてくる

2013年02月14日 | 
子どもは親を選んで生まれてくる
池川 明
日本教文社


ずっとはまって池川 明さんの著書ばかり読んでいました。数冊読んだうち、この本と「胎内記憶(角川新書)」が、内容が充実しており、読み応えがありました。いくつかの著書は絵本のような作りで、小さなお子さんと一緒に読むのに適した感じです。

この本を読むまでもなく、転生輪廻による生まれ変わりを信じています。自分が好きな考え方を選択すればいいですし、そう考えると幸せになったり、力づけられる考え方を選べばよいと思います。

私がもう少し若かった頃、親を選んで生まれたなどと言われたら、HAPPYになれない時期もありました。そのときは、親が私を勝手に生んだと恨んでいたんですね。

今は幸せだと思います。

これらの本を読んで、私は胎内記憶も前世の記憶も親を選んだ覚えもまったくないけれども、まだ小さかった頃におっぱいを含みながら眠りについていた頃を思い出しました。おっぱいはとっくに出なくなっていたのに、かなり大きくなるまで母親に添い寝してもらい、おっぱいをただ口に含みながら眠っていたのです。

ある日、「もうおっぱいはいらない」と自分からその添い寝を卒業したのでした。それまでの温かい記憶を思い出しました。大人になってぶつかることが多くなった今の母を、もっと大切にしなければいけないなあと当たり前ですが、ふと思いました。

雑記

2012年12月21日 | 
持病があり、通院治療中であることは、折に触れてここでも書いていますが、それは安定していて、いつ薬を止めるかを様子見している状況に入りつつあります。

持病の原因の一つに、ある種の脳障害の可能性が私にはあります。そして、それを診断できるという専門医に何度かかかったこともあります。でもその脳の専門医は、問診のみで、MRIとか取られたことはないのです。

北品川方面のある病院の医師が、脳の機能の専門家で、MRIなどの画像から脳のどこが発達していて、どこが衰えているとか検査して、診断を下せるそうです。その病院の連絡先は調べましたが、私の症状が深刻でないので、まだそこの診察は受けていません。

そんな感じで、要は脳の不調にかなり左右される人生を送っているわけです。

もしかして、遺伝でしょうか。そういえば、母もその傾向があったし、父にもあったとあれこれ子供の頃のことを不意に思い出しました。

そして、私は実は母を許していないのでした。でも、母にも今の私と同じ症状というか傾向があり、脳の不調に左右されていたのであれば、母が私にしたこと、してくれなかったことのいろいろは、しかたがなかったと母を許せる可能性を私にもたらしてくれました。

それは気づきです。内なる声と言ってもいいかもしれません。

そういえば、まったくソースを思い出せないエピソードがあります。

淀川長治さんという、もう亡くなった映画評論家は、親を許していなかったそうなのです。だから、結婚をせす、子孫を残すということをしなかったとご自身で言っていたというのです。映画評論家として道を極めた方だったからこそ、自分の人生を振り返って、自分の人生を衝き動かしていたものに気がついたということでしょうか。

私を動かしている、私自身の何かのひとつに、私も触れた気がしています。

おまけ
マヤ暦の最後の日は、計算間違いで、2011年の11月28日が正しいという情報が来ています。もうマヤ暦最後の日は、去年のうちに過ぎ去っちゃっているというのに、中国や中国の様子を流すマスコミにびっくりしています。
最新の情報に触れられたということも幸せなことですね。

佳川奈未さんの「いじめ」は2学期からひどくなる

2012年10月02日 | 
「いじめ」は2学期からひどくなる! (一般書)
佳川 奈未
ポプラ社


私の中で、「わかったこと」シリーズは、まだまだ続くのですが、それとは別の興味深い本を読むのが続いていて、ブログ更新は停滞しておりました。今日、紹介する本も、読んでいて、いてもいたたまれなくなって、なんだがカキコしてしまいます。

佳川奈未さんの本は、ピンクとキラキラと愛がいっぱい詰まっているような明るい文章とパワフルな励ましの言葉が満載で、大好きです。そして、佳川奈未さんに、サイン会で1ファンとして、お会いしたことがあります。ご自身が本に書かれていることを実践されている様子がわかる、キラキラ輝いているような方でした。でも、私が読んだ十数冊の本と比べて、この本はテーマが異色です。

いじめ。息子さんが受けたいじめとそれを解決していく体験のエピソードが大きな柱なのですが、奈未さん自身も子供の頃にいじめにあったことも書かれていて、私自身も強い印象を受けました。まだ、私もすることがあるのではないかという、ふつふつとした力をいただいたというか。

というのは、私もいじめられっこでしたから。

奈未さんのようなお母さんがいて、力強く対応してもらえたら、どんなによかっただろうと切に思います。奈未さんが、自身や息子さんの体験からはっきり書かれていますけれども、現場の先生方というのは、いじめっこがいて、いじめられっこがいることを、薄々かはっきりかの度合いはともかくとして、知っているものなのです。

これは、私もいじめられっことしての実体験を持つ私は、はっきり断言できます。
先生方は、なぜか自分がいじめられていることを知っているが、助けてはくれないという体験が、私自身にもありました。

しかも、私がいじめられて、いじめっこに「やめてくれ」と言っていたのを、逆に騒いでいると見せしめに殴った先生がいました。いじめっこは殴りも、叱りもせずに。この本を読んで、忘れていたというよりも、蓋して見えなくしてしまった心の奥にひそんでいた怒りや悲しみの体験を思い出しました。

今は、私も大人になり、癒す方法を知っているので、無意識に追いやってしまった、心の痛みの原因が、明らかにはっきりわかる方がよいのです。自分の課題が見えますし、自分自身に向き合えますから。私はこのことを思い出したことで、自分自身が成長出来ると思います。

奈未さんのこの本が一人でも多くのいじめられっ子や関係各位に届けられ、悲惨なことがなくなることを願っています。

生きがいの創造

2012年07月10日 | 
生きがいの創造 Ⅳ
飯田史彦
PHP研究所


●生きがいの創造 Ⅳ 飯田史彦 PHP研究所

「生きがいの創造」のⅠからずっと読んでいます。「生きがいの創造」では、前世を覚えている子供たちの話が出てきて、それを読むとなぜか、今の人生を大切に生きていこうと力づけられました。その感動は、私の心のなかでいつもいつも再創作され甦ります。

生きがいシリーズは対談集も含め、ほとんど読みました。そこから、新しい作家さんを紹介いただいたりして、新しいものが出るのを楽しみなシリーズです。ただ、最近はずっと読んでいませんでした。著者の飯田史彦さんが、脳出血を起こし、生死をさまよった経験が書かれている「ツインソウル」から読んでいなかったので、その「ツインソウル」もさっそく読んでみようと思っています。

その後、健康を回復した飯田史彦さんは、お住まいが福島県だったので、東日本大震災で被災されていたのでした。「生きがいの創造 Ⅳ」は、その被災された後のことが書かれているのです。

どの著書からか忘れましたが、驚くべき内容が書かれるようになり、それはまあ、真実なのだろうけれども、受け付けない人には受け付けられないだろうと心配していました。だから、この本には、注意書きがありました。その人のレベルで、フィクションとして読んでもらってかまわないというような。でも、私はとても力づけられ、心がほっとしたのでその部分を紹介したいのです。

この本には、被災して津波に巻き込まれて命を失った方からのメッセージが書かれているのです。それによると、地震と津波は単なる自然現象であったということと、被災して津波に飲み込まれたりして命を失ったときに、苦しんで死んだ人はいないそうなのです。

死を受け入れた瞬間から、おそらく肉体が感じたであろう苦しみの情報は、脳が遮断する生命の仕組みがあるようなのです。

本にも書かれていましたが、これは福音です。

私は、大勢の人が大津波で苦しみながら死んでいったと思っていましたから、この箇所に救われた想いがありました。死が決定的な状況の時は、肉体の苦しみを味わうことなく魂が体から離れる仕組みがあるのは、死は怖ろしいものではないという情報になります。信じるかどうかは、読者個人個人が決めることですが、この情報に触れられただけでも、この著書を読む大きな価値があると私は思います。

いちばん自分を愛して

2012年06月13日 | 
世界でいちばん自分を愛して
中野裕弓
日本文芸社


●世界でいちばん自分を愛して 中野裕弓 著 日本文芸社

中野裕弓さんの著書も多数、愛読しています。ようやく入手しましたが、最新刊かもしれません。愛のコーヒーカップ理論、他の本でも書かれていて、私はすでに実践しています。

愛のコーヒーカップ理論は、相手のコーヒーカップを満たす前に、まず自分のコーヒーカップを満たそう。そうすると、あら不思議、自分のコーヒーカップと相手のコーヒーカップがつながって、自分が満たされれば満たされるほど、相手や周りも満たされてくるというもの。この本でも、具体的に詳しく書かれてありました。

この本の一番のお得なところは、後書きのほうに、ワンワードメディテーションのやり方が詳しく書かれていることです。私も友人に薦められ、というか、やってよかったというその明るい幸せそうな友人の言葉を信じて、その友人が習ったところに習いに行ったのですが、なんと中野裕弓さんと同じ瞑想の研究所でした。今でもときどきやります。

一番最初に睡眠障害を発症したときには、この瞑想のおかげで、心が休むことができて眠れるようになりました。ストレス解消法として習いましたが、瞑想は続けていくといろいろ効果があります。アンチエイジング効果もあります。30代ぐらいにしか見えない50代超の女性とか、その講座ではいろいろな人を見ましたっけ。

ともかくとして、本は読んだら実践しないと損です。私は瞑想は習わないとできるようにはならなかったかもしれないけれども、本代だけで、これらの知識を実践することのできる人は何と簡単でリーズナブルなことだと思います。

中野裕弓さんは、瞑想を自分と向き合う貴重な時間と言っていますが、瞑想とかして心を静めないと、忙しくたくさんのことを考えている心は、自分自身がどうしたいのかわからないときがあるのです。

誰かとおしゃべりするペース、紙に書くペース、あるいはキーボードに打つペースでもかまわないけれど、ものすごく速い速度で忙しく想いを流している自分自身の心と向き合うためには、速度を落すこと。それが大切だなあとよく思います。

運がよくなるには

2012年06月04日 | 
運が良くなるには、方法があります―自分もみんなも元気になる「宇宙の力」の使い方
内野 久美子
大和出版


いま、とてもはまっている著者の本のひとつです。

私は読んだ本のよいと思ったところには、付箋を貼り、あとでノートにその箇所を書き写すということをしています。この著者の本は、ほぼすべてのページに付箋を貼ってしまうぐらい、どのページも私とフィーリングが合います。なんだかこの著者のお弟子になりたいぐらいです。

本に書かれていることは、ざっくりまとめると、私たちはオープンシステムですべてとつながっている。だから、自分の幸せは、この世の調和であり、宇宙の法則である。宇宙とつながっているという感覚で、感謝の気持ちを持てば、果てしないエネルギーが私たちに入ってくる。

大事なのは、私たちが宇宙とつながっていられること。そのためには、心底楽しいという自分の心が満たされる時間を持つこと。自分のやりたいことを実現していけばよい。

トラブルの原因は、ほとんどがバランスの欠如。事故、病気、怪我はバランスを回復しようという調整のサイン。心、体、魂の三つの間のバランスが取れていると、自分の中心を見つけることができる。


自分探しのために、私はいろいろなことをしてきました。本もたくさん読んだし、山も登ったし、自己啓発セミナーというのにも参加してみたし、転職してみたり、いろいろ取り組んできました。でも、答えは自分の中にあるということだけが、与えられました。というか導きだされたというか。

この本も同じなのですが、私には内容がとてもすんなり入ってきて、当面手放せない本になっています。

光の時代

2012年05月27日 | 
●無限の夢がかなう光の時代がはじまりました 越智啓子 著 徳間書店

無限の夢がかなう 光の時代がはじまりました
越智啓子
徳間書店


越智啓子さんのメルマガをずっと購読しています。2011年3月11日に東日本大震災が起こり、越智啓子さんは、「号外」として、特別なメルマガを発信されています。その中で、精神世界でずっと言われていたマヤ暦の最終日で、アセンション(次元上昇)が起こると言われていた2012年12月21日が、正しい計算では、2011年10月28日であることを知りました。

もう1、2週間前のことですが、たまたま見たNHKBSテレビの朝のニュースで、マヤ暦の最終日とされる2012年12月21日は、最終日ではなく暦の通過点に過ぎないことがわかったと報道されていました。朝、出かける前の忙しい時で、テレビをよく見ていなかったのですが、びっくり。地上波ではなかったけれども、NHKでも、BSテレビでは、こんなニュースをやるんですね。

もちろん、2011年10月28日は、特別なことは何もなく、今日に至っています。通過点なら当たり前ですね。ところで、アセンション(次元上昇)は起こったのでしょうか。この本は、そのアセンション(次元上昇)について詳しく書かれています。

東日本大震災は、大変な出来事でしたが、世界中の人びとが日本に同情と支援をしてくれて、世界が日本に対する愛と祈りでひとつになったような気がしたのは、私だけではないと思います。この本でも、あの震災がきっかけになり、世界中の人びとが愛の祈りをしっかりするようになって、宇宙につながるようになったというプラスの面があったと書かれています。

地球の人びとが日本への愛の祈りでひとつになったから、アセンションが始まったとも。

この本によれば、アセンション(次元上昇)は、個人個人で異なって迎えるそうです。自分がアセンションしたかどうかを確かめる方法は、「自分が本当は光なんだ」と思えるかどうかなのだそうです。魂が喜ぶ時に、ゴールドの光を放つのだとか。わくわくどきどきすることも私たちが光り輝くことになります。

アセンションするには、「いままでの自分を認めて、大好きになることです。そして、自分が光であることを思い出すことです。自分の想いが創っていることを受け入れることです。やりたいことをどんどんやって、夢を楽しくかなえることです。あなたが幸せを感じてルンルンしてきたら、アセンションしています。」だそうです。

本にはいろいろなエピソードが書かれていて、今までだったら、そうかしら?とあまり信じられないことも、この本では受け入れられました。そして、読んでいてわくわく嬉しくなりました。アセンション(次元上昇)というのは、わけのわからない怖ろしいことではなく、とても楽しいことのようです。

断捨離それから

2012年05月16日 | 
●こころに効く「断捨離」 やましたひでこ 角川SSC新書

モノの片付けではなく、思いや考え方に断捨離のメソッドを使って、ごきげんに過ごすために書かれた本です。

私には、その会社の同僚さんとお話をしているといらいらすることがありました。この本を読んでその言葉にならない、いらいらの理由が明確になりました。

その時の体験を、ぴたりと言い当てているくだりがこの本にはありますので、引用してみます。

「相手の領域を意識せず、相手のためによかれと思うことを口にする。親切とおせっかいの違いを明確にしていない思考。
親切なアドバイスのつもりが、実は、それぞれの選択・決断の領域に踏み込み、選択・決断の自由を踏みにじっていることに、無自覚であり無意識な私たち。
情報の共有エリアと、選択・決断の境界線とが異なっていることを知っていれば、お互いの無用で不要な不快感を避けることができます…」

その同僚さんはとても頭がよい人だったと思います。ある話題のときに、何だろう、私がどう感じるかを指定してくるような、思考の方向性を意図的に促すような会話をされたように感じたのです。それは、私だけかもしれないのですが、そういう意図的な方向性を感じてしまうと、煩わしくいらいらしたのでした。

そのうち、お互い部署が異動になり、離れていきました。私も未熟でした。

たぶんこの同僚さんは、そのままで良いのだと思います。要は私の受け取り方しだい。
この本によれば、なんとなくざわついたり、不快に思ったりしたことは、そのままにせず、仕組みを理解すると、解消したり、対処法が見えてくるそうです。

理由がわかれば、「それ、私の考えと違う」などと言えたかもしれません。
不快なことはないほうがいいけれども、自分を知るきっかけになります。

この本は、そういう不快感や気がかりや不安など、無意識に感じている心の整理に焦点を当てています。

ただ、やましたひでこさんの断捨離シリーズは、アカデミックというか、ロジカルというか、ちょっと難しい。有用なのでこれからもきっと読むけれども、私が感覚的なタイプなので、実は、やましたひでこさんの本は合わないのです。

むしろ、近藤麻理恵さんの「人生がときめく片付けの魔法」(サンマーク出版)のほうが、読んでいて、それこそ、うきうきわくわく楽しくなってきます。ときめかないで使わないものの具体例もわかりやすいです。

また、ジーニーさんの「幸運を呼びこむガラクタ追放術」(サンマーク出版)もイラストがナイスでわかりやすいです。合わないエネルギーのものを手放すということで、要らないけれども、高価で手放すのが躊躇われた貴金属を手放すきっかけになっています。

風水のカレン・キングストンさんの「ガラクタ捨てれば自分が見える 風水整理術入門」(小学館文庫)も、要らないものを捨てるとどんなラッキーなことが起こってくるかが、わかりやすくて大好きです。この本は集めすぎたコレクションの処分のきっかけになりました。

実際の家や部屋を片付けることによって、メンタルな部分も片付けが進むというのは、どの本にも共通して書かれていることです。

好きな本、出会った本に影響を受けて、これからも片づけを極めていきます。

道札

2012年05月09日 | 
●運命の流れを知るソウル・リーディング 内野久美子 ダイヤモンド社

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この本には、道札という言葉が出てきます。この道札と言うのは何だろう?という疑問を持ちながら、本を読んだので、深い理解ができた部分と自分の言葉にならない咀嚼できてない部分があります。

結局、この本には、道札とは何であるかという明確な答えがないのです。私が読んだ印象では、シンクロニシティやセレンデピティ、カルマやひらめきや直感などの、すべてのイメージを含む日本語らしいということ。この日本語は、広がりがありますね。

この本は、副題が「才能と天職を発見し、居心地よい心で生きる」と表紙にあるように、大きなテーマとしては、天職を自分自身の魂の声を聞くことでみつけるための、道しるべを示してくれているような内容が書かれています。

そのときに、道札が落ちているとか、道札を拾うとか、道札が現われるというふうに、本の随所で、道札という言葉が使われているのです。

それから、才能について、新しい示唆を与えてくれています。私にとって新しいだけかもしれませんが、「才能とは、他人のためのものであり、あなたにではなく、世の中に属するもの」だそうです。才能は、「あなたの中に植え込まれた天からの預かり物で、それを表現して世の人を喜ばせないといけない」とも。

タイトルに惹かれたから手にしたわけですが、ちょうど、私の天職とは何だろう?、才能ってあるのかしら?というテーマを私自身が持ったからこそ引き寄せられた本のようです。

まだまだ、私のものになっていないので、今日はこの辺で。改めてこの本を紹介します。