種から芽が出て花が咲き

はまっているあれこれ
(今はFTISLAND、いろいろ)

のっぽさん

2018年12月13日 | フォトリーディング(未整理)
今から40年ぐらい前に、「できるかな」という NHK の番組がありました。「のっぽさん」と言う背が高い男の人が紙やダンボール紙をハサミで切ったりのりで貼ったりして、素敵な発明のような工作品ができる番組でした。この男の人は背が高かったので、番組のキャラクター名で「のっぽさん」と呼ばれていました。今ではあまり背が高い人のことを「のっぽさん」とあまり言わなく、聞かなくなっています。

こののっぽさんという言葉が不思議だったのですが、私が韓流にハマり韓国の言葉を学んでいくと背が高いという意味の形容詞を韓国語では「ノプタ」ということを知りました。「のっぽさん」「のっぽ」はもしかしたら、「ノプタ」という韓国語から来ている可能性がありますね。誰か研究してくれないかしら。

ところで、私は静岡県の東部に在住したことがあります。その辺りでは自分たちの事を「うちっち」「おれっち」と言います。方言の一種です。この言い方のニュアンスが標準語の「私たち」「俺たち」よりも、私には、より身内意識が強い言葉に聞こえたのでした。

韓国語では、私たちに相当する言葉が「ウリ」と言います。韓国語の「ウリ」は、日本語の「私たち」「我々」という言葉より、静岡県の「うちっち」「おれっち」に近い印象があります。ちなみに、我が国という言葉は、韓国語で「ウリナラ」になります。地名の奈良は韓国語から来てる可能性があるのかなとワクワクしてしまいます。

「ウリ」と「うち」。古い言葉で、Rの発音が長い年月をかけてTに変化してしまう例があります。英語などでも、T音がR音に発音されることがありました。発声的にはTとRは近いのでしょうか。研究が進めば韓国語が日本語に与えている影響がどんどんわかってくるかもしれないですね。

また 長い年月でH の音がKに変わる例もあります。韓国ドラマで、日本語の「陛下」にあたる言葉を「ヘイハ」と言ってるドラマがありました。 Kの発音の方が新しいのです。韓国語は、もしかしたら日本語の古い姿を探る重要な手がかりがある言語のようです。

ただ朝鮮半島の歴史上、書き言葉が漢文であったりして、韓国語の古い姿を見出す文献がほとんどないそうです。日本には万葉仮名がありましたが、研究が進まない一因になってるようです。

以下の本を読む前の連想でつらつら書きました。古い言葉の研究書でこれから読みます。読むのが楽しみです。

木村紀子
言葉が伝える太古の列島食「食いもの」の神語り
角川選書




どうせ死ぬなら「がん」がいい

2015年09月21日 | フォトリーディング(未整理)
どうせ死ぬなら「がん」がいい (宝島社新書)
クリエーター情報なし
宝島社



●どうせ死ぬなら「がん」がいい / 中村仁一 近藤誠

タイトルと読んだ印象の違った本です。
がんは、人生の幕引きを、思い通りにできる。たいてい最後まで意識はしっかりしてるから、ゆっくり身辺整理ができるし、親しい人にお礼とお別れも言えるという趣旨の本かと思って手にしたわけです。

ところがそれが趣旨ではありませんでした。

著者お二人の対談で構成されています。
私は著者お二人の本を初めて読みましたが、他の著書もベストセラーになっており、ぜひ読んでみたいと思いました。

中村仁一さんの他の著書
・幸せなご臨終
・大往生したけりゃ医療とかかわるな

近藤誠さんの他の著書
・がん放置療法のすすめ
・あなたの癌は、がんもどき
・抗がん剤は効かない

私は以前、スイスで、90代の長命を全うし、老衰死と診断された高齢者を解剖したら、多数の高齢者でがんが発見されたと書かれていた本を読んだことがあります。タイトルも著者も忘れてしまったけれども、その箇所だけ妙に印象に残っていました。それは問いが与えられたからです。

なぜ、がんになってもがんに気づかず、長寿を全うできたのか。

病は気からというのもさもありなん。そして、この本は私の問いに答えを与えてくれる本でした。

どうやら、がんは切除や抗がん剤治療をしなければ、枯れるように苦しまずに死ねる病気のようです。他の著書や他の著者の本ももっと読んで詳しく知りたいと思います。


諦める力

2015年03月06日 | フォトリーディング(未整理)
諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉
為末大
プレジデント社


為末大さんも好きな本の著者のひとりです。漠然とした言い方ですが、感覚がとても鋭いところが好きです。

言葉にできない自分の中の想いを、別のシチュエーションでぴたりと書かれた言葉を見つけました。
このページに出会うために、私はこの本を読んだのねと嬉しくなる瞬間です。


日本は破産しない

2014年12月15日 | フォトリーディング(未整理)
日本は破産しない! (宝島SUGOI文庫)
上念 司
宝島社


勝間和代さんつながりで、上念司さんの本を読んでいます。

ギリシャやアルゼンチンと比べて、課題はあるものの、日本の経済が安全で安定している様子が浮き彫りになっていきます。

私たちは基準のないところで、日本の将来を心配しがちです。他国と比較することで、あたらしい基準や視点を得られることを伝えてくれている本です。

武器としての書く技術

2014年12月14日 | フォトリーディング(未整理)
武器としての書く技術 (中経出版)
イケダハヤト
KADOKAWA / 中経出版


一言でいうと、文章やブログを書くことへのエールをくれる本です。
ブログを書く上で、すぐに取り入れられるノウハウも満載されています。

著者は、本は本の内容の5%だけが著者が伝えたいことということを書いているけれども、私はそうは思わない。伝えたいことがあるときは、キーボードを打つ指の間からこぼれていくのを私でさえ感じているのにそれはないと私は断言する。

イケダハヤトさんが意識してあるいは無意識に文章を書く上で工夫していることは、この本に書かれている10倍ぐらいはきっとあるのだろうけど、紙面や編集の方針やその他もろもろの理由から、きっとこぼれてしまっている。だから、私は著者に会える講演会のような機会があるのであれば、会いに行きたいと思う。

久寿餅

2014年12月01日 | フォトリーディング(未整理)
昨日11月30日から、工房展が無事に開催となりました。毎年のことながら、昨日は、搬入とオープニングパーティーの準備で、晴れがましくも忙しい日でありました。

工房展のオープニングパーティーの目玉は、店主自ら作るサンドイッチです。それから、料理自慢の作家が持ち寄る手料理で、画廊に設けられた即席のテーブルにたくさんの料理や飲み物が並びます。

毎回美味しい手料理をお持ちくださるTさんの料理が食べながらはてな?マークが頭のなかをとびかう料理があります。

その料理は、小麦粉を水でといたものパットなどに入れて蒸しあげて、食べやすい大きさに切り、ゴマの入った甘辛だれにまぶして、供されます。

Tさんにお料理の名前をお聞きしても、名前はないとか。Tさんは70代くらいかしら。もののない子供の頃にお母様がなんとか入手した材料で作ってくれたご馳走のおやつだったそうです。

私も銅版画展に参加するようになって、初めて食べたはずなのに、何か知っているような料理ですが、昨日ようやく思い至りました。

葛餅です。小麦粉が材料なので、久寿餅と書くらしい。

発酵していない即席のレシピで、私のなかの謎が氷解しました。葛餅は黒蜜ときな粉の味で知られていますが、Tさんのご家庭ではゴマいっぱいの甘辛だれにからめて食べられていたのですね。古い日本の失われつつあるレシピを発見しました。

もし君が、そのことについて悩んでいるのなら

2014年11月13日 | フォトリーディング(未整理)
もし君が、そのことについて悩んでいるのなら
千田琢哉
廣済堂出版


10数年ぶりに再会して、なんとなくメールのやり取りをするようになった友人がいました。しかし、そのやり取りや内容に違和感を感じるようになり、家族が入院して、気持ちにゆとりがなくなったこともあって、メールのやり取りをごめんなさいとしました。

このエントリーの本も私を力づけてくれましたが、老後がテーマの別の本でも、長文のメールを送ってきて、それに返信がないと友達じゃないみたいに言われて困るという描写がありました。似たようなことで悩んでいるのは、私だけではなさそうだとほっとしてしまいました。

直接、著者に会わなくても、本を読んでいると、著者の息吹きや人柄に触れたように感じる瞬間があります。それがたとえ1行であったとしても、その本は成功したよい本だと思います。私は著者の人柄に触れたくて、本を読み続けます。

カレン・キングストンさんの片づけ術

2014年09月23日 | フォトリーディング(未整理)
新 ガラクタ捨てれば自分が見える (小学館文庫)
カレン・キングストン
小学館


今回読んだのは、カレン・キングストンさんの日本人のお弟子さんである竹内清文さんの「8割捨てればうまくいく!」という本です。カレン・キングストンさんの著書を私も読んで、がらくたの定義に触れて、片づけを極める第1歩になったのでした。

近藤麻理恵さんの本からも影響を受けましたが、最初にピンときたのは、カレンさんでした。面識はどちらもないけれども、私には片づけの師匠が二人いることになります。

竹内清文さんの「8割捨てればうまくいく!」という本も素晴らしいです。読んでいたら、にわかに身体が動き出し、45リットルゴミ袋2つ分ほど捨てました。こんまりさんの本のおかげで、すでに何十袋と捨てているにもかかわらず、まだ聖域があったのです。

そのひとつがファングッズ。片づけない聖域になっていました。商法に煽られて、同じCDを複数枚も買ったりしているのです。そのおかげでリリースイベントに行けたりと、当時はメリットがあったものの、意味ないコレクションと化していました。思い出はあるし、楽しかったし、今ももちろんファンなのですが、未来を創っていないということで、ようやく処分できそうです。

東京プリズン

2014年09月21日 | フォトリーディング(未整理)
東京プリズン
赤坂真理
河出書房新社


これも内田樹さんの「街場の共同体論」(潮出版社)で紹介されていた本です。母親の娘に対する強大な支配力が主題になっている本の1冊です。

タイトルにプリズンという言葉が使われているほどに、物語は複雑で層が幾重にも重なっているような印象を受けています。時代もあちらこちらへ飛ぶ印象があります。繰り返すというのか。

まだ全部読めていませんが、母の支配で私の家族に在ったものを同じ質がありました。

この小説では母自身であるけれど、私の家族では、祖父のことがタブーで語られないことがありました。私の母の姉妹である叔母たちにとっては、タブーでも何でもないので、不意に話題に上ってくることがありました。私にとっては初めて知ることなので、詳しく教えてほしいと叔母たちに訊きますが、叔母たちにとっては当たり前のことなので、わざわざ説明したりすることではないのです。

そういう私の記憶がよみがえってくるエピソードがこの本のなかにありました。母の支配の形のひとつなのでしょう。私の母にとって、父(私にとって祖父にあたる)の存在が希薄なのもわかってきました。同じ家に暮らした妹たちである叔母たちにおいては、祖父はもっと存在感のある人のようです。不思議な気がするけれども、当然かもしれない。叔母たちは、母である祖母の支配を、長女である私の母ほどには受けなかったということなのでしょう。

私自身や母をとりまく環境への理解が進みました。だからどうだということではないのです。名前のないものに名前をつけたりして、気づいたり際立たせることによって、あいまいな何かを区別して、自分を力づけることがあります。


冥土めぐり

2014年09月21日 | フォトリーディング(未整理)
冥土めぐり
鹿島田真希
河出書房新社


単なる読者にすぎないけれども勝手に師匠と慕っている内田樹さんの「街場の共同体論」(潮出版社)で紹介されていた本です。母親の娘に対する強大な支配力が主題になっている本だそうです。

私もその主題に苦しんでいた娘のひとりです。読んだ後味が重たかった。かせになっている家族の内容は違うけれど、精神に重くのしかかってくる感じは私の家族にあったそれと同じ。父親が不在か存在感が希薄なのも同じ。

これは普遍的なテーマであったんだなあ。

古くはテネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」、コレット・ダウリングの「シンデレラ・コンプレックス」、柴門ふみの「あすなろ白書」。これは息子だったけど、母親の支配で私の記憶を呼び覚ましてしまった。

この物語の主人公も結婚して、その夫である人のこだわりのない様子から、内面の苦しみをまったく理解されないながらも、そこから離れつつあるのを感じました。小説は終わりを迎えましたが、主人公の苦しみは続くはずだけれども、距離が遠くなりつつあるのがかすかな救いです。

私自身の物語はまだ書けないです。けれども、私も今は、母の影響力の外に、だいぶ外に居れるようになった気がします。