老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

   ぴしっとしすぎるか?

2018-02-28 10:33:16 | 俳句
      

近所の散策中、花桃を見つけた。
満開までとはゆかないが、ところどころ、綺麗に開ききった🌺を付けていた。
春だ、春がきた。

怒る気はせぬが、古くからのブロガーが、「句集雑感」をよんで小気味よいが、、、
彼の心の中にはそれで敵ができないの?と心配してくれているのが伝わってきた。

人さまの悪口は書くつもりが無い。思ったことを書くと、誰かの胸に矢を突きさしているのかもな。

選者が投句者の名前を見て選をしているの?
そう、罪作りな事をしている。
結社の運営も大変だし、弟子が多いにこしたことがない。自分から離れないように、、、
贔屓の引き倒しをされた投句者は、自分は才能のある俳句の上手者だと勘違いをする。
井の中の蛙におさまって類想類句をいつまでも作っている。

昔の私がそうでした。
今は反省をしている。
神さまは、良く見ている。
そういう自分に反省をして、二~三日、自己嫌悪におちいってブログが書けなかった。
書かなかった。
つまらん!わ た し。
そうしたら、久ぶりに、古いブロ友からコメントが

小気味よい、少し歯に衣をきせよ! なんてとも受けとめれるが、そんな事を考えている人もいる事を気づかされた。そうなんだ。

選句には「情」と「身内」選があるそうだ。
亡くなった兜太さんが「朝日俳壇」で「身内選」をすると、どこかで問題になっていると書いていたブログを読んだことがあった。
「身内選」も誰彼じゃなく、やはり身内の中でも才能のある人を引きたてているのだと広い心で思ったこともあったが、、、、
私の師は決して「身内選」はやらないと信じている。

一週間程度、多々考えていたそういう流れの中で、久しぶりのブロ友のコメント。
それを読み自分流は替えられぬ、思ったことに口を閉ざすのは、ストレスの元。
神さまが書いても構わないよと言ってくれた気がした。

月さん、
「師は選ぶものであって、師は弟子を選べない」
と私が最初に教えていただいた亡くなった師がおっしゃいました。
師と名乗る人も月からすっぽんとあまたおります。、月さん良い師を見付けて下さい。



コメント
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