老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

久しぶりお裁縫

2024-08-21 15:00:00 | 老人日記
      

二日かけて夏用のパンツを縫った。
買っていた生地を使用した。
これでもう新しく布を買ってまで縫うのは最後かと思う。

紺系の地模様の生地を見て即、気にいって買った。

もう買わないなどと言っているが、さてさて、、、。
しかし、もう縫う事にも気がのらない体力の無さは隠せない。

履いて軽く涼しく、世界で一つしか無い自作の手縫いだ。

腰が痛い。
腰にシップ薬を貼り痛み止めを飲んだ。
歩く時は廊下の壁に手を添わせて、よたよたと歩く。
ここまで老化が進んでいるとは、、、、。

正直言えば、三度の食事の支度がおっくうだ。


     @     涼しさは喉をおちゆく水一杯

     @     頭だす茸もあるか月仰ぐ

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屋島に雲

2024-08-15 15:59:31 | 老人日記
 


朝な夕なに見る屋島の峰。
おおよそ300メートルの高さ。
昨日は長い白い雲が峰を覆っていた。
その向こうには瀬戸の海がある。

屋島の山頂はテーブルのような台形で、八十八か所の札所、屋島寺と水族館とお土産やさんに、ホテルなどの建物がある。

その周りに沿って遊歩道がある。
美しい瀬戸の海を見ながら小一時間の散策ができる。

小鳥が囀り、空気は甘く、若い時は毎日30分をかけて山に登った。
山頂にある、うどん屋で一杯のうどんを食べて、山を下りるのを日課としていた。
何年かこんな生活を楽しんだものだ。

懐かしい。
30分で山頂まで登れたのが、、、。
最近はバスを利用をしなくては、私は登ることできぬ。
それも、もう一年近くも登っていない。
赤松の林、樹海のように樹が茂っている森を抜けると、反対側に行ける小径もある。
楽しい自然に囲まれた場所だ。

家から近くに安全で素晴らしい山歩きの叶う場所があっても、今は宝の持ち腐れ。
老いて、昔を恋うばかり。
淋しい辛い。

         

昨日は白い雲を見ながら、さまざまな思い出が甦った。

朝、昼、晩と三度の食事は夫の世話になった。
部屋に籠って、屋島を眺め、テレビに齧りつき、昼寝をし、無為無策の一日を過ごした。
お腹の調子も悪い。下痢が続いている。
夏バテをしているから仕方ないなぞとは、、、夫は、さぞ持て余しているだろう。


日記代わりのブログでも書いて置かなければ、何が有ったかと、二、三日前のことも思い出せない認知気味、or 健忘症の 😭 オツム なのだ。


      🎆     頬づえをつき秋の雲と語りぬ


      
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先頭先生

2024-08-10 12:12:06 | 老人日記
          
        

昨日は長崎に原爆が投下された、79回目の「長崎原爆の日」だった。
悲惨な原爆の傷や痛みを忘れた愚かな政治家が核を脅しの道具として、利用をしようなぞと言ったりする。

腹がたつ。
怒りが湧く。

        

核をなぜ政治利用にするのか?
なぜ核を廃絶できないのか、、、、、理解ができない。

この、長崎の平和公園に設置されているシンボルの像を見る度に想い出す方がいる。

この筋肉隆々の像のモデルらしいと言う先生がおられたらしい。
重量上げの選手だから、モデルに値する筋肉の持ち主であったに違いない。

先頭先生と親しみをこめて呼ばれていた。
記憶がとおくなって「吉田先生」としかお名前は出てこない。

戦後初めての、アジア大会で日本の日の丸の国旗を持って、「先頭」を歩いたことから、「先頭先生」と呼ばれ出したらしい。

聞いたところによると、その頃は日本に対する戦争感情も残っていたから、国旗をもって行進の先頭を歩くには勇気がいったとか。
どこから、狙われて銃弾が飛んでくるかも分からないから、不安があったと、後に先生は言っていたらしい。

何故、「先生」か?
吉田先生は、そのころ新制高校の高校教師であった。
で、あるから先頭先生とも呼ばれていたみたいだ。。。

吉野川にかかる長い橋の欄干で逆立ちをしたとの武勇伝もある。

姉の旧制の女学校の担任で、ほんとうに姉は可愛がられていたらしく、我が家にも遊びに来たことを憶えている。

もう70年以上も前の昔の事。
私が思い出話でも書かなければ、吉田先生が、長崎の平和公園の像のモデル?だったと思う人はいない。

今日にでも姉に電話をかけて古い昔の事を思い出し、そして、はらからの事も語ろう、、、、。











しりとり俳句
    @    学らんに竹刀の案山子なりにけり    案山子
    @    あつぱつぱ生足に赤い靴似合ふ    赤
    @    秋色に染まり始む街ジャズフェスタ     ジャズ
    @    落葉はらはら捨ててゐる古雑誌    古
    @    案山子かかしやじろべみたい案山子    案山子
    @    西瓜より小さなややこの写真かな    西瓜
    @    不動明王熱砂に対峙してをりぬ     不動
    @    あるがまま流れるプールに身をまかす   流れ
    @    何しおふ反魂草の群れ咲ひて    魂
    @    盆礼者小さな真珠の指輪指し    真珠
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三年前の写真

2024-08-07 11:05:07 | 老人日記



三年前の写真。
石のモニュメンを置いた公園。
源平合戦の舟隠しが左前方に。
右向こうには、かってはハンセン病院のあった大島が。
ここには、ハンセン病の島に渡るための船着き場もある。
入院をしていた患者の家族が見舞いに行く時と、そこで働いている職員のみが乗船をする船着き場が見える。

     

この公園には、慎太郎を連れて遊びに来たものだ。
私達は風が良く通る四阿で座っている間、慎太郎は広い芝生を走りまわっていた。

何回かハンセンの病院がある大島へは行ったことがある。
ここは、関係者以外の利用はできない。
だから高松港から、何かのイベントが有る時のみ船の利用ができる機会に島を訪れた。

隔離生活をよぎなくされた患者さん達の生活は想像を絶する事も有っただろうけれど、その中で苦しみながらも立派に生き抜いたことであろう。
好奇心や同情は彼らにとってはありがた迷惑だ。
島に観光に来られるのだって静かな生活をかき乱されたと思う。
しかし、ありのままを見てもらい島での生活を理解をしてもらう事も必要だったのかしらね。

       


今朝は何を書こうとしたのだっけ?
三年前の写真を見つけたからかな!

ハンセン病の患者さんも減って、島は淋しくなりつつあると聞いたことも。。。
良い薬が出来たらしい。

高松港で遊んでいると、島から遊びに来た人と出遭ったことがあった。
元気な方はどんどん遊びにきて欲しいと思ったことだ。










今日のしりとり俳句

     @    夜の秋山荘の灯も消えにけり     夜の秋
     @    タペストリー寝室の冷房を消す   冷房
     @    秋の街角三色のフランス旗     三色
     @    水中花乾杯の音頭とりにけり     乾杯
     @    ポケットに外国硬貨日雷     ポケット
     @    身は老えどいざ生きめやも秋立ちぬ     秋立つ
     @    客用の円座並べる夏祭     座    









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水中り

2024-08-06 15:16:24 | 老人日記
           

ベランダに咲いているのはベゴニアの花。
暑い、暑いと言う口癖をひかえようと思うのだが、やっぱり暑い。

水中りらしく朝から食欲が無い。
野菜ジュースを飲んだけれど、それも悪かったみたいでお腹がパンパンになっている。
今日は、絶食をしようと決意をしているが、意志が弱いから頑張れるかどうか心もと無い。


午前中は一応、しりとり俳句に時間潰しをやった。

    @     蛇の目草堤に沿ふて咲きほこる     蛇の目草

   

    @    老夫婦西瓜一球持て余し     西瓜

    @    海亀の涙か青いシーグラス     青い



    @     ランプの灯喫茶店おうふ蔦蔓     蔦
    
    @     朝顔咲けりパイを焼く煉瓦釜     煉瓦 

 慎ちゃんを忘れたことは無い。
    
    @     愛犬は吾が騎士なりぬ夕焼空     空

    @     音の無き空忘れまじ原爆忌    原爆忌


只今3時12分
何も口に入れていない。

お腹叩けば、ぽんぽんとなる。
もう少しの辛抱だ。
  


 
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