まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

振り向けば 背中ごなしに 梅の花

2019年03月02日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方からは雲が広がって来ている。気温は4度から12.3度、湿度は82%から54%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の3日は、低気圧や前線の影響で曇り、夜は雨が降る見込みらしい。

 

 122/65-61 36.4c-92% 61.4Kg 1018hPa,12c,59% 体調は安定している。肩のこりも楽になった。

 

 宅配ボックスを置いてみた。普段は折りたたんで収納しておく。

 

 内ポケットに印鑑(108円もの)を収納しておく。

 

 この錠前は開けたままにしておく。もちろん、鍵は外しておく。荷物を入れたら錠前を閉じておいてもらう。でも、やや小さいかなぁと。アマゾンさんは外箱ばかりが大きいからな。

 

 で、相変わらずの「丁石」のまとめをやっていた。一応は整理できたので、校正作業とか・・・。

 

 地図の挿入とか・・・。

 

 ATOKリフレッシュナビが出てきたらすぐさま休む。無理をしたらば後が大変だ。

 

 で、今月のルンルン♪行事の「柴燈護摩供養」って、何だ?・・・ということでお勉強してみた。大窪寺ガイドには必要なことなんだが、誰も本当のことなんぞ知りはしない。来週火曜日には「大窪寺班」の勉強会がある。それの資料作りも兼ねてである。第一、「柴燈護摩」自体が読めないことが多い。「さいとうごま」と読むらしい。

 

 柴燈大護摩供とは、野外で行う大規模な護摩法要のことである。 伝統的な柴燈護摩は真言宗を開いた空海の孫弟子に当たる聖宝理源大師が初めて行ったといわれており、醍醐寺をはじめとする真言宗の当山派修験道の法流を継承する寺院で行われる事が多い。すなわち、日本特有の仏教行事であるらしい。伝統的な真言宗系当山派の柴燈護摩に「柴」の字が当てられているのは、山中修行で正式な密具の荘厳もままならず、柴や薪で檀を築いたことによるという。

 

 なお、天台宗系本山派が行う野外の護摩供養は、「採燈護摩」というが、真言宗系当山派の柴燈護摩から「採取」した火により行われたので、その字が当てられるようになった。 また、真言宗醍醐派の正当法流を汲む真如苑宗(真如三昧耶流)では、斉の字を当てて「斉燈護摩」と呼称している・・・と複雑らしい。

 

 私らが、護摩供養のガイドなんぞをすることはまずないが、「教養科目」としてのお勉強みたいなことだ。「あれは何をやっとるんですか」と聞かれて、「さぁ、存じません」ではアカンでしょうが。ま、私らの宗派にはそんなものはないから勉強などしていないし、養成講座でも、そういうレクチャーを受けたことがない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生が行き詰まるのではない 自分の思いが行き詰まるのだ」という安田理深先生の言葉から。昔々一匹のウサギがいた。ウサギは秋の間中、ずっと木の実を集めては山の中に隠しておき、隠し場所を忘れないように何か目印はないかと探した。ふと見上げると雲が見える、この雲を目印にしようと考えた。そして冬、雲が動くことを知らなかったウサギは目印を見失い、そして蓄えを全て失った。ウサギは我々の鏡である。変わりやすく不確かなものを人生の目印にしてしか生きられないのが我々ではないか。家族、お金、健康、仕事…。自分を輝かせるために、それにしがみつき、生きがいを見出そうとする。人生が上手くいっているときは、自分が目印にしているものが不確かなどと思いもしない。しかし、どうすることもできない状況に出会ったとき、自分が人生の目印にしていたものは、何とはかないものだったかを思い知らされ、絶望と空しさで、どう生きていいか分からず迷う。そして、人間はそれを繰り返すのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。



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