角岸's blog (Kadogishi s' blog)

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「武士としての矜恃」とは・・・男泣き必定の日本映画決定版!! 「柘榴坂の仇討」

2014-10-19 16:36:33 | 映画

 おそらく「矜恃」という日本語くらい正確に外国語に訳しづらい言葉も無いのではないでしょうか?

それはpride(プライド)などという、利己心が少し混じったワードともちょっと違います。

 「あいつはプライドが高い」と言ったら、嫌な奴でしょうが、「矜恃」には自尊心の意味合いも混じってはいますが、根本的には私心の無い、公(おおやけ)の義のために命をかけるまさに「日本の武士(もののふ)」のためにあるような言葉の代名詞と言えましょう。

 そして今秋、 「武士としての矜恃」を真正面から描く、男泣き必定のおススメの一本がコレ。

「柘榴坂の仇討」
公式HP↓↓↓
http://zakurozaka.com/



ストーリー
幕末の安政7年、主君・井伊直弼の御駕籠回り近習役として仕えていた彦根藩士の志村金吾は、桜田門外において目の前で井伊の殺害を許してしまう。切腹も許されず、仇討ちを命じられた金吾は、時が明治へと移り変わってもなお、井伊を殺害した刺客を探し続ける。やがて金吾は、井伊を討った水戸藩浪士の最後のひとりで、車引きの直吉と名を変えて生きていた佐橋十兵衛を見つけ出すが、その日、明治政府が仇討ち禁止令を発する。

監督:若松節朗 原作:浅田次郎
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 今、巷では「るろうに剣心」が大ヒット中ですが、そちらを観た人にも是非観ていただきたいの本作。
何故なら意外と「るろうに剣心」ともテーマが似通っているからです。

 つまり、時代背景も一緒なのですが、明治という大変換期に「侍」という、もはや「無用の長物」と化してしまった「侍」とその家族たちの苦悩が両作に通じるテーマだからです。

 しかし決定的に違うのは、同じ侍映画でも「るろうに剣心」は海外での興行を意識した、バタ臭いネオ時代劇なのに対して、本作はまさに「日本人のためだけに作られた日本映画」と言えましょう。

 そこには海外興行を強く意識して失敗作と化してしまった小栗「ルパン三世」のように、“外国人”に媚びた海外マーケティングの片鱗は1シーンとて、ありません。

 例えば「安政の大獄」「桜田門外の変」「西郷隆盛の東京無血入城」などなど、日本の義務教育を終えていなければ“チンプンカンプン”のワールドが広がっているからです。さらには「切腹」と「斬首」が武士にとって天と地ほど違うことを理解したうえで、鑑賞しなければ意味不明のストーリーとなってしまうでしょうし、まさに「日本映画」の真骨頂そのもなんですが、意外とこういう作品にかぎって海外からの評価が高かったりするから不思議なものです。



 ちなみに、小生普段は映画としての臨場感を楽しむため、なるべく前の席の方へ座って鑑賞するのでが、本作にかぎって“嫌な予感”がしたので、本作は一番後ろの席をとりました。

 その嫌な予感とは、号泣してしまうのではないかということで、はたせるかなその予感は見事的中してしまいました。しかし、劇場にいたほぼ全てのお客さんも泣いていたようなので、こんなことなら前で観ればよかったなぁと後悔しているところです。

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 さて、映画ですが・・・・


 幕府の大老、井伊直弼(中村吉衛門)のボディーガードながら、「桜田騒動」で、主君を守り切れなかった彦根藩士・志村金吾を演じるのが中井貴一。切腹も許されず、暗殺者を追うことに全てをかける悲しき武士を演じます。



 そして、その暗殺者にして、人力車の車夫に身をやつしながら、苦悩の日々を送る元水戸藩士・佐橋十兵衛を演じるのが阿部寛。同じ長屋に住む母子に慕われ、名前も変え町人になりきっているのですが、後半武士に戻った時のセリフ回しのかっこいいこと。



 今の邦画界において、最も脂ののっている俳優と言えましょう。

 この桜田騒動から明治6年までの、13年間の彼らの苦悩がひしひしと伝わってきて息苦しいほど。

 特に主人公の、西洋服を着ている人々の中で、ちょん髷・袴に二本差し(刀)姿は、痛々しいほど滑稽で、それを支える妻・セツ(広末涼子)と共にあまりに切ない、ストーリーが前半続きます。



 かつて、志村と共に同じ彦根藩士であった内籐新之助(高嶋政宏)は、明治になり警察官となってるわけですが、未だに主君の仇打ちに奔走する主人公を不憫に思い上司である秋元(藤竜也)に相談します。

 曰く・・・

「志村は未だ身も心も武士のままで、主君の無念を晴らそうとしています。私はそんな志村の武士としての矜恃に応えてやりたいのです。」

 小生は不覚にも、このセリフでまず涙が流れました。

 そして、この映画には明治になりあらゆる職業につきながら、武士としての矜恃を守ろうとする男たちが登場します。ある者は新聞記者に、ある者は大工に、ある者は商人へと仕事を変えているのですが、彼らはその誇りを保ち続けているわけです。

 主役二人とそれを支える女たちがメインストーリーなのですが、チョイ役で登場する、元武士の彼らが実にイイ。



 そして、物語後半いよいよ二人の対決の時が訪れるのですが・・・・・・

 ここには、「るろうに剣心」のように派手なチャンバラはありません。名優二人によるリアルな殺陣が披露されますが、注目すべきは対決が終わった後の彼ら二人の言葉での戦い

 まさにここのシーンが、この物語の肝であり、是非劇場でお確かめください。



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 それにしても、学校で習った井伊直弼って、怖い専横政治家に思えたのですが、本映画では優しい親父のようなイイ人として描かれています。それもこれもほとんどセリフも無いのに圧倒的な存在感を見せつける中村吉衛門その人の演技によるところ大です。必見っすよ。

 最後に・・・・確かに武士は滅んでしまい、その正当なる後継者である帝国軍人も今はいません。

 しかし、本作品のような映画を作ろうとする人たちがいて、それに涙する日本人がいる限り、「武士としての矜恃」は、この国に生き続けているのではないでしょうか?

 ちょっと話は変わりますが、御嶽山での悲劇のニュースを見ていても、あらためてそう思った次第。
 
 捜索一時打ち切り時に「遺族の皆さんに早く合わせてあげられず無念です。」と言って涙ぐむ捜索隊員たちの様子を見ていて、姿形は変われども、まだこの国には、義のために戦う武士(もののふ)達がいるんだなあと強い印象を持ちました。


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