角岸's blog (Kadogishi s' blog)

酒、酒&映画・・時事問題?

池波正太郎先生が語る男の生き方の美学、「男の作法」

2013-02-21 14:54:17 | 自分的名著
2日くらい前でしょうか、東京の有名蕎麦屋の火事のニュースがあったでしょう。

明治からの老舗「かんだやぶそば」さん。その後のニュースで、再建するってことですので、御常連さんは一安心でしょう。


 で、報道各社のニュースでは今日ふれる、池波正太郎先生(1923~1990)のエッセー「男の作法」で取り上げられた名店として紹介されていました。
 池波先生といえば「鬼平犯科帳」「剣客商売」などの有名時代小説群ありますが、小生は先生の代表作は「真田太平記」にとどめをさすと思ってます。
 映画などの優れたエッセーもいっぱいあるんですが、特に自身の小説でもそうなんですがに関して深い造詣があることで有名です。

「男の作法」新編作品対照版

 この本は昭和55年(1980年)に由布院温泉において、池波先生と編者との一問一答を本に書き下ろしたものです。小生がもってるやつはその時湯布院に同行していた柳下編集者が15年後に先生の作品等を収録した再編集版です。
 
 これがね、30年以上たった今読んでも実に面白い。男の「粋」というものを5章に分けて、語りつくしているんだけどホント勉強になります。

1・食べる  店構えの見方から鮨・そばの食べ方まで

2.住む   家の建て方から男をみがく暮らし方まで

3.装う   靴・ネクタイの選び方から男の顔のつくり方まで

4.つき合う 約束の仕方から男を上げる女とのつき合い方まで

5.生きる  仕事の仕方から理想の死に方まで

というわけで、肝心の「やぶそば」ですが、「食べる」の章を開いてみると、ありますあります。
赤線の所。


 例えば、その蕎麦ネタなんですが、岩波先生曰く、

(本文より) 「盛りそばで酒を飲むのはいい・・・・・」
 というようなことを通ぶった人がよく言うでしょう。だけど実際に、通じゃなくてもいいものなんだよ。だから、そばで酒を飲んでもちっともキザじゃないんだよ。僕も好きですよ。

(中略)  何がいいと決めないで、その土地土地によってみんなそれぞれ特徴があるんだから、それを素直に味わえばいいんですよ。どこそこの何というそばでなければ、そばじゃないなんて決めつけるのが一番つまらないことだと思う。
 ただ、そばを口に入れてクチャクチャかんでるのはよくねぇな、東京のそばでね。かむのはいいけど、クチャクチャかまないでさ、二口三口でかんで、それでのどへいれちゃわなきゃ。事実うまくねえんだよ。


酒を飲む池波先生
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それとね、この下記の部分読んで、ピーンっときた人いないでしょうか?

 (本文より)たとえば、「吉兆」へ行ったとする。そうすると椀盛りというものがでるだろう。煮たものというよりも、蓋のついた塗りもののお椀で一見吸い物のようなんだけどね。吸い物にしろ椀盛りにしろ、お椀のものが来たらすぐそいつは食べちまうことだね。いい料理屋の場合はもう料理人が泣いちゃうわけですよ。熱いものはすぐ食べなきゃ。
 よく宴会なんかで椀盛りがでても、蓋をしたままペチャペチャしゃべっているのがいるだろう。あるいは半分食べて、食べかけでね。それは一気に食べちゃわなきゃいけない。

   

 (中略) どうしても腹がすかせないで、お付き合いで行って食べられそうにもないという場合は、むしろ手をつけないほうがいいんだよ。
 女中に、
 「あと、何がでるの?」
 と、聞いてもいいんだな。で、女中が何と何ですと教えてくれるから、
 「それならぼくは、あとのそれを食べるから、いまちょっとおなかがいっぱいだから、これは結構です」
 と言って、手をつけずに最後きれいなまま下げてもらう。そうしたら、せっかくのものが無駄にならないでしょう。だれが食べたっていいわけだから。


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 ピーンときましたか?最後の下線引いた二行。料理がもったいないので、手をつけていない料理の使い回しを明らかに肯定しているでしょ。

 老舗割烹料理屋「吉兆」についてここで先生が述べたことが、後に大問題になります。いわゆる平成20年(2008年)の「船場吉兆の使い回し事件」です。


 この事件が発覚した当時、小生まっさきにこの「男の作法」の上記の一文を思い出したのを覚えています。

 まぁ、その前に「船場吉兆」では「産地偽装」とかも発覚した直後だったのでしょうがないんですが、しかし地球上に飢餓人口が9億6千万人もいる時にですよ、また食べられる食料がわが日本ではバンバン捨てられていくんです。

 高額な料金に対しての美食の観点からは確かにいかがかと思いますが、戦前生まれの「もったいない精神」をもつ池波先生の意見は正論だと思うんですよね。
 
どー思いますか、みなさん?

さて、最後にオマケを一つ。

エッセー「日曜日の万年筆・鮨」より

 (本文より) 春もたけなわの夕暮れの銀座を歩いていて、急に鯛の刺身が食べたくなった。
 そのとき、私の財布は、まことに軽かったが、有名な料理屋へ入り、土間のテーブルに座って、先ず鯛の刺身と蛤の吸い物を注文し、酒を二本のんだ。料理の注文はそれだけだ。
 そのとき、タイの刺身を半分残しておき、それで飯を一ぜん食べ、


「ああ、うまかった」

 おもわずいったら、板前が、さもうれしげに、にっこりうなずいてくれたものである。
 以前は鮨屋にかぎらず、こうした店がいくらもあった。
 なればこそ私なども、ふところがさびしいときも物怖じせず、どんな店へも入って行けた。

 

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なんかね、やってることは実にさりげないんですが、昭和の男のダンディズムと申しましょうか、きまってますよね、池波先生。
小生みたいに、未練がましくダラダラとみっともなく飲んでる輩にとって、無性にかっこよくみえるんです。

こんなこと、一度はやってみたいなぁ。


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