どこの国でも、急速に、自分で稼がなくとも生きていける、
そういう人間が増えている。
アメリカや、イギリス。
ホームステイやら研修生を預かる家庭。
それなりに、ご裕福な環境かもしれないが、
どういうわけか、部屋に引きこもっている、若い家族がいる。
これだけIT化が進んだ今日、会社へ通勤せずとも、稼ぐことは可能な時代。
要は、集団で作業を行わなくとも、個人でできる「仕事」が
社会的に定着もし、認知されており、
社会が必要としているジャンルが増えている。
とにかく話によると、全然、外に出ない。
食事時、顔をみせる程度。
年も、30をすでに過ぎ。
男性です。
多い。
人間が、集団ではなく、個体として生活をしていくという「慣習」は、
この最近のことで、動物として、どうなんであろうか?
案外、未知の状況であることは間違いないと思うんだが。
そういえば、どこぞのテレビ番組で、外国人から見た、ここが住み難い。
そういう特集で、第5位に「ゴミ」を捨てるところがない。
そういう意見があった。
あとは、物価だとか、忘れた。
考えてみると、いつのまにか、ゴミ箱が、町から消失している。
ゴミの有料化にともなって、ゴミに対するコストが意識されだしてからのこと、
なんだか、一斉に、ゴミ箱が姿を消した。
特に顕著なのは、鉄道。
私鉄は、もう、駅でゴミは回収しません、という明確な態度。
雑誌も、何もかも、捨てるところが、全くありません。
特に、危険物がどうのこうのという話があって、一時期撤去したはずなのに、
永遠と撤去中です。
ガソリンスタンドも、一時期、タバコの吸殻入れはOKだが、
ペットボトルや、ゴミくずは、お金をいただきます、と、挑戦的な所があったが、
2度と行きませんでした。
コンビニも、「ご家庭のゴミを捨てないでください」と、一応、断っているが、
なんとか、ゴミ箱は維持している。
ゴミを減らそうという「意識」と、ゴミ箱を撤去しようという反応。
特に、日本って、もともとお隣3軒とか、狭いコミュニティーの付き合いは、
あったように思うんだが、
広い、公共心とか道徳心。
あったっけ?
というのは、ゴミ箱もそうなんだが、
積極的に、大人が、損得考えて、「手を引く」ことが、あまりにも多い。
コミュニティーの消失とか、公共心が衰退してきたなんて言っているが、
こういう、寄席集まった社会集団で、地域も地縁もへったくれもない状態で、
この国というものは、さも、あったかのように「公共心」を言うが、
いやいや、ないだろう。
でなきゃ、ゴミ箱とかが、一斉に、町から撤去されるなんて事態になっている国、
多分、日本だけだぞ。
若者の拝金主義とか、孤立化とか、ニュータイプみたいな言い方しているが、
そもそも、大人も、世界的に見たら、
ニュータイプの分類にはいるんじゃないか?
だって、ボランティアの欠片も無いし。
5000円の水を毎日、飲んでいるようだし。
ごめん、違った。
そういう人間が増えている。
アメリカや、イギリス。
ホームステイやら研修生を預かる家庭。
それなりに、ご裕福な環境かもしれないが、
どういうわけか、部屋に引きこもっている、若い家族がいる。
これだけIT化が進んだ今日、会社へ通勤せずとも、稼ぐことは可能な時代。
要は、集団で作業を行わなくとも、個人でできる「仕事」が
社会的に定着もし、認知されており、
社会が必要としているジャンルが増えている。
とにかく話によると、全然、外に出ない。
食事時、顔をみせる程度。
年も、30をすでに過ぎ。
男性です。
多い。
人間が、集団ではなく、個体として生活をしていくという「慣習」は、
この最近のことで、動物として、どうなんであろうか?
案外、未知の状況であることは間違いないと思うんだが。
そういえば、どこぞのテレビ番組で、外国人から見た、ここが住み難い。
そういう特集で、第5位に「ゴミ」を捨てるところがない。
そういう意見があった。
あとは、物価だとか、忘れた。
考えてみると、いつのまにか、ゴミ箱が、町から消失している。
ゴミの有料化にともなって、ゴミに対するコストが意識されだしてからのこと、
なんだか、一斉に、ゴミ箱が姿を消した。
特に顕著なのは、鉄道。
私鉄は、もう、駅でゴミは回収しません、という明確な態度。
雑誌も、何もかも、捨てるところが、全くありません。
特に、危険物がどうのこうのという話があって、一時期撤去したはずなのに、
永遠と撤去中です。
ガソリンスタンドも、一時期、タバコの吸殻入れはOKだが、
ペットボトルや、ゴミくずは、お金をいただきます、と、挑戦的な所があったが、
2度と行きませんでした。
コンビニも、「ご家庭のゴミを捨てないでください」と、一応、断っているが、
なんとか、ゴミ箱は維持している。
ゴミを減らそうという「意識」と、ゴミ箱を撤去しようという反応。
特に、日本って、もともとお隣3軒とか、狭いコミュニティーの付き合いは、
あったように思うんだが、
広い、公共心とか道徳心。
あったっけ?
というのは、ゴミ箱もそうなんだが、
積極的に、大人が、損得考えて、「手を引く」ことが、あまりにも多い。
コミュニティーの消失とか、公共心が衰退してきたなんて言っているが、
こういう、寄席集まった社会集団で、地域も地縁もへったくれもない状態で、
この国というものは、さも、あったかのように「公共心」を言うが、
いやいや、ないだろう。
でなきゃ、ゴミ箱とかが、一斉に、町から撤去されるなんて事態になっている国、
多分、日本だけだぞ。
若者の拝金主義とか、孤立化とか、ニュータイプみたいな言い方しているが、
そもそも、大人も、世界的に見たら、
ニュータイプの分類にはいるんじゃないか?
だって、ボランティアの欠片も無いし。
5000円の水を毎日、飲んでいるようだし。
ごめん、違った。
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