まなびの途中

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学んだことを書いてまいります。

「自由と平等」という言葉について

2007年05月26日 | 社会的全般
お財布携帯とかいうのがある。
お財布スイカもあって、東京では、携帯が定期にもなり、便利。
ところが、友人は、その携帯を、水にダイブさせてしまった。
アドレスなどの記録も消滅し、当たり前だが、定期の記録も消えた。

怖くない?これ。

今、読みかけ中の本があるんだが、
考え方、そして単語の用法など、しっかりと「定義」されていると
非常にわかりやすくて、勉強になります。

もちろん、そもそも論として、その定義なり用法が「変」だと、
思いっきり大変なことになるんですが、
「日本とフランス、2つの民主主義」という本は、
色々な示唆を与えてくれて、わくわくしながら読んでおります。

まぁ、私のことですから、うん蓄じみた内容に、また浮かれているのは事実。
ここで勉強になったのは、
「自由と平等」の考え方。

先に、リバタリアンとかリベラルという話を書きましたが、
極力、政府が干渉せず、人間の活動の自由を最大限にみていくのが
リバタリアン。
リベラルは、簡単に言いますと、
いわゆる格差を解消し、再配分をもって、社会福祉を推し進め、
ある意味平等な社会を実現していこうといった感じ。
(※すいません、リベラルという意味、勘違いしております。ごめんなさい。
  一応、このままにして、後日、ちゃんと書きます) 

作者は言います。
日本は、まるで、論理的にでたらめだと。

日本には、政党的にも「左派」と言われる集団がいます。
今は、平和に関して、かなり突っ込んだ主張で存在を示していますが、
そもそも、海外で言われている左派とは、
あの「ソ連」とか共産主義とは異なって、
平等を主眼とした考え方、政策に立脚している。

その平等とは?
とかく日本では、何かあると、差別のない、平等な社会なんていわれ方が
されますが、
そのくせ、個人の活動の自由を最大限「保障」しなくてはならない。
そうもあわせて言われるのが常です。

思想なり信教なり学問なりの自由は、憲法でも保障されているように
何処の国でも、グローバルスタンダードです。

ところが、これほどあからさまに、自由を保障している日本。
フランスでは、保障しているものが違います。
自分も、言われるまで、そこまで考えが及びませんでした。
あの国では、「平等」が、法の下で、保障されているのです。

で、さらに、その平等の下では、人間の活動において、
自由は、制限されるもの、という考えをきっちりもっている。
プライベートな世界は別にして、
社会全体に関わる領域においては、
個人や民間の自由は制限されるべきもの、という考え方になる。

ところが、日本の「革新政党」とかいうところは、
平等は、当たり前だが、個人の自由が制限されることはあってはならない。
そんな「中途半端」が目立つ。

さらにイデオロギー的に、富裕層に対して、企業に対して、
もっと再配分を高めろと、ことさらな市民・大衆的な運動を仕掛ける。
ところが、ヨーロッパで取り入れられている、
税的な「哲学」。
いわゆる消費税。
これも、弱者へ抑圧的な効果しかないと、否定的。
さらに、政府が「大きく」なることも望まない。

言ってみれば、平等をうたいながら、高福祉を望みながら、
一方で、高負担を極力避け、
さらに平等を達成するために必要な「大きな政府」という仕組みを否定し、
自由主義陣営が唱える、小さな政府をうたう。

また、税の方でも、高額所得者の「税額」に関して、
上げろ下げろと、言う割りに、
本当の富裕層が、勤労所得で稼いでいるわけはないのに、
それだけを議論する。
その影で、株式でいくら儲けようとも、その税額は10%にしかならない。

結局、いわゆるサラリーマンという「源泉所得者」が、
その収入のみに拠って生きている労働者が、
一番、高負担になり、
真の富裕層が、源泉税の「埒外」で、生き生きと生活している実態。

よって、毎月100万円使う人間が、毎月20万円しか使えない人間より、
「税を多く負担する」という間接税の根拠がそこにある、というのだ。

確かに、そういう議論の展開をされると、ごもっとも、と深く考えてしまいます。
昔、左派といわれる集団が、単なるばら撒き型の福祉を叫んで、
実は、資本主義の拡大に、自由主義の拡大に「依存」しすぎ、
不況とともに、「砕け散った」という歴史がありました。

実は、そこに、社会党とか共産党とかが、不況に「弱い」原因がある。
その、どこに行こうとしているのかが、論理的に「崩壊」していることに、
今の自民党の「躍進」につながっている。
案外、平等を標榜している民主党が、いまいち弱いのは、
高福祉をうたいながら、高負担を言い始める自民党の政策に、
いちいち抵抗するという、しっちゃかめっちゃかな、八方美人的な政策を
言っているからだ、という考え方ができる。

我々国民も、もう、福祉大好き、一方で、自由を制限される、
高負担を義務として考えるなんてことは、極力、やだ!という集団です。
もう、考えてみれば、自由も、平等も大好き、なんて、
こんな「わがままに」に育ってしまった感じなのです。

この本の書き出しにもありましたが、
「われわれは、どこに向かっているのか」
まさに、この2つのキーワードを通して、最低限の考え方を、
勉強させられます。
今のところ、本当に、刺激的です。



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2 コメント

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こんにちは (memaido)
2007-05-26 01:01:45
はじめまして、楽しく拝見させていただきました。
またちょくちょく拝見させていただきます。
返信する
Unknown (memaidoさんへ)
2007-05-28 17:45:03
ありがとうございます。
かような、ちょっと、長すぎると、自分でもいつも思っているこちらへいらしていただいて、感謝しております。

これからもよろしくお願いいたします。
返信する

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