五反田発リスボン行き急行列車

五反田駅からリスボン行き急行列車に乗ることを夢想する前期高齢者の徒然

2022・9・10

2022-09-10 07:37:24 | 日記
〇このブログも釈放を機会に纏まった文章にしようと思うけど、箇条書きの方が一杯かける野で、当分の間はこのまま箇条書きを続けようと思う。と云うことで病院を釈放されるに当たって、困ったことその①昨日の段階で釈放の有無が二転三転した為に、それまで自分の予定をやりくりしてまで釈放の付き添いに来てくれる筈だったNさんがNGになり、息子のAも月末に控えたポリープの手術の予備検査が午前中に入ってしまった為にNG。その②ということはバッグと紙袋合わせて6つを一人で持って釈放される羽目になる。おまけに小雨。確か七月も五年前もそうだった。土砂降りの雨じゃなかったからよかったけど、バッグと紙袋6つを持って時折よろけながら、時折路上に跪きながら、隣のビル(と言っても玄関から玄関までは200米?)まで移動する姿はホームレスそのもの。こんな時、タクシーを使えたらどれほど助かったかと思うのだけど、隣のビルじゃそうもいかない。そして更に難関が待ち構えていた。その③ビルの三階までは芝居の観客の為にエレベーターが使えるのだけど、俺が居住する五階からはその階の住人専用のカードがないとエレベーターが動かないシステムになっていて、エレベーターを三階で降りた処で立ち往生。後になって思えば病院に運び込まれた時、俺の部屋の専用カードは財布の中に入っていたのだけど、その時は一種のパニックになっていたもんだから、三階から四階、そして五階へとバッグと紙袋を何回かに分けて運び入れる。その時気付いたこと。これからの俺の生活にとって階段はやばい。何度転倒しそうになったことか。因みに階段は上りより下りの方が危ない。
〇自分の部屋に入って一番先にしたことは机においてあった全ての階のエレベーター専用カードを使って母の遺骨と遺影が安置された部屋に行って「帰宅」の報告をしたこと。母が好きだったカフェオレを入れ換えてあげたことは勿論だ。次にしたことはシャワーを浴びること。一か月の入院中、一度看護士のAさんが付き添ってシャワーを浴びて、からだを石鹸で洗ってくれたけど、どうして恥ずかしさが先に立つのか分からないけど、これ以上しょぼしょぼした老人の裸体を見せるのに躊躇いが生まれて、それからはAさんにシャワーに誘われても自分で朝起きた時に全身を水で拭くと言って断わってきたのだ。それ故、何の気兼ねをすることもなくお湯を浴び続ける気持ちよさよ。その後、タオル一枚でソファに座り、冷たい水を呷る幸せをどうやったらみんなに伝えられるか?
〇麻布十番で鯖の干物を食べて帰ってひっくり返っていたら、三時過ぎに息子のAが手術前の検査を終えて来てくれる。手術反対主義者の俺はポリープなんか放っておけば自然治癒するのにと無責任なことを言ってしまうが、当人としてはそんな気持ちにはとてもなれないみたいだ。いろいろなことを話して来週もまた話すことにする。
〇因みに今日食べたものは、朝食は妹が置いて行ってくれた帝国ホテルのトマトスープ。味はよく分からなかったけど、帝国ホテルの権威に負けて胃袋が美味しいと言っていた。それにチーズクラッカー。昼はこれまた妹が退院後の食生活を心配し、冷凍しておいてくれた上州肉のステーキを焼いていただく。野菜室にニンニクがなかったらどうしようかと思ったけど、何故か野菜室にはニンニクだけが鎮座していた。スライスニンニクで風味を出し、後は塩と胡椒、ラストに醤油をチラッと。最高なり。それで満足したのか、夕方は美容師のMさんが出張カットに来てくれたので、枝豆とサーディンとチーズを肴にワインを飲んで夕食の代わり。調子に乗ってはいけないけど、今日程度のアルコール摂取量じゃ大丈夫なことを実証して安心。
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