野坂昭如の『「終戦日記」を読む』を読み終わる。最近、太平洋戦争が始まった1941年の12月と終わった1945年の8月に世の中がどうなっていたのか、普通の人々がどう云う気持でいたのかを知りたくて、やたらとこの頃の日記を読んでいることは前にも書いたけど、それは自分が生れる1947年以前に母と父とがどんな生き方をして、どんなことがきっかけで終戦後結婚したのかを、それぞれの日記で書こうとしているからだ。読んでみて分かったことだけと、当時の生活ぶりや庶民の気持は学校で習ったこと、マスコミが伝えることとはかなり雰囲気が違うように思えてきた。現実に母の話を聞いても、母は東京の下北沢にいて市ヶ谷の陸軍参謀本部まて通っていたのに空襲にあったことがないと云うもんだから、「地図で読む東京大空襲」(菊地正浩著)で調べてみると、見事に母の住んでいた家と仕事先は空襲から逃れている。そうなると、高台にあった母の家からは下町に焼夷弾が落とされている光景が花火みたいに見えたと云うのも頷けて、、当時東京に住んでいた人間が全員空襲にあって防空壕に逃げ込んだみたいに今まで思ってきたけど、母の体験だけを日記にしてみると、とても戦時中とは思えない長閑さになってしまって、それはそれで面白いのだ。一方同い年の父も陸軍少尉だったから生死の境を彷徨うように生きてきたかと思えば、ある事情があって一度も空襲に会わなかったと生前聞いていたことがあって、これはこれで父の日記を書くのが楽しみになってぎている。その父が死んで今年の四月でちょうど10年になるけど、母はまだ元気で、今日も俺の作った揚げたてコロッケともずくとちりめんじゃこの和え物に漬け物でご飯をきっちり一膳。更にデザートにバームクーヘン。息子としては母が食欲旺盛であることが何より嬉しい。バーの方に予約客はなし。この一年私の相談役になってくれている女友達のIが店の企画絡みで来て飲んで行ってくれただけ。12時過ぎ、今日もまたポルトガル語のテキストを読みつつ夜道を五反田まて歩いて帰る。
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