before dawn

青年海外協力隊でトンガにて活動、インドの大学で教壇に立つなどしていましたが今は母国で働いています。笑うことが一番大事。

石巻で思ったこと

2011-06-12 01:50:04 | 日本での暮らし・考える事・思う事

5月2日から7日まで 石巻に行ってくるよーという記事をアップしてから、はや1ヶ月。

あっという間に 時間が過ぎてしまいました。

石巻から帰ってきてから、

心が不安定で ちょっとブログを書く気になれなかったことと

さすがに仕事が山積みで、毎日深夜残業の日々。

週末は、寝貯めするか 3つの習い事のお稽古やらで ずーーーーーーーーーーーーっと休むまもなく今日に至ってしまった。

明日は、1ヶ月ぶりの 一日全く予定なしの日。選択しなきゃ。掃除しなきゃ。

さすがに 心も落ち着いたので 石巻で思ったことを書いてみようと思う。

深夜バスで石巻に着いた日には、石巻に住む、大学時代の友人と再会することができた。
「おめー ここ危ねえんだぞ!よく来たな!?」と怒られながらも
久しぶりに友人の顔を見て安心した。
友人のお母さんが作ってくださった ナッパ。野菜ジュースもいただいた。
まだ、何も貢献出来ていないのに、いろいろご馳走になってしまって申し訳なかったけど、
友人ご家族のあたたかさ、やさしさが ナッパと野菜ジュースと友人の顔から伝わってきて えらく感動した。

以降、私は6日間、石巻に滞在し、ボランティア活動をしたわけですが、
前回の宮城県亘理町での3泊4日のボランティアの時とは、感じたことや 心に迫ってきたものは違いました。

これは別に、被害の大きさの違いを比較して言っているわけでは決してありません。
実際 石巻も亘理もどちらも相当の被害を受けていたし
また もし、たとえば、被害が小さいものであったとしても、少しでも誰かを苦しめているのだから、被害は「大小」というスケールでは測れませんし。

では何故、亘理町のときと感じたものが違ったのかというと、

・滞在日数が倍だったこと
・滞在先が地元の方々のおうちの近くだったこと
・友人の故郷だったこと

に起因するのだと思います。

6日間の活動中、石巻のあちこちに行きました。

数日間かけて活動したおうちの人たちと いろんな会話をしました。

ご近所の方たちとも 交流がありました。

毎日 30人ほどのボランティアと一緒に寝泊りをして いろんなことを話して 活動しました。

いろんなことを見て、知って、感じた結果、

これが自分の友人の故郷で起きていることなんだと思うと、どんなに頑張っても涙がこらえられませんでした。

涙の理由を考えたんだけど、

それは 「かわいそう」とか そういう類のものじゃなくって、

自分の友人や その家族、 その友人、お手伝いをしたおうちの人、その家族、その友人、この町の人、みんなの身にこれが現実として起きていて

そして、自分ができることなんて この大量の泥やその他のものの、ごく一部を片付けることだけで、

被害の大きさからしたら 役に立っているのか 立っていないのかわからないくらいのことしかできないってことが苦しくて、

それ以上に、

ここにいる方達が抱えている苦しみや悲しみ、ストレス、怒り、無気力感などを、 どんなに頑張っても分かってあげることができない ということが
本当に 苦しくて 情けなくて 泣けてきた。

自分は家を失ったことも、家族や友人を災害で失ったことも、愛する町を失ったこともない。
だから、ここの方達の苦しみを想像することはできても、本当の意味でわかることはできない。

そんなことわかっていたことだけど、

なんだか 石巻に滞在して、心の底からそう思った。

石巻の方とお話ししているときに、「他人にとっては”瓦礫”でも、私にとっては それは家であり、生活であり、思い出であり、、、”瓦礫”じゃないんだよね。」と仰っていて
本当だなと思った。自分だったら、絶対に「瓦礫」なんて呼んでほしくないなと。

5月5日は こどもの日だったけど、 いろいろな意味で 軽率にお祝いできないなとも思った。


私は 今までテレビやネットのニュースで、胸を痛め 涙を散々流してきたけれど、現実は その 数千倍、数万倍以上の涙を以てしてでも足りないんだってわかりました。

東京にいると、

3月の地震後のピリピリしたムードが もう ほぼ無くなってきていて 普通の生活が動いている。

ニュースも 3月、4月よりは 東北について扱う時間が少なくなってきている。

だから、「もう 東北は落ち着いたんじゃん?」なんて思ってしまう人もいるとおもう。

でも、

東北では まだまだ まだまだ まだまだ 力が必要だし、 落ち着いたのは 東北以外の人たちだけだと思う。

まだまだ まだまだ まだまだ 人の力も、時間も、お金も 全然足りていないと思う。

だから なんというか、 とにかく 機会があって 気持ちのある人は 東北にいってボランティアをして欲しいと思う。
本当に そうしてほしいと思う。

日本人として、同じ日本人が向きあって、戦っていることを 実際に見てほしいし、知ってほしい。


私は 東京に戻ってきてから、
キラキラ輝く新宿のビル群を見ると なんだか泣けてきてしまいました。
東北の状況とは まったく別世界で もう日常が完全にもどってきている東京に
なんだかついていけなくって 整理ができませんでした。
相変わらず 「東北の方達の苦しみを 少しでも私たちが背負えたらいいのに、、、、」と思いながらも、実際はやはり同じ境遇じゃない私たちが気持ちを察することなんてできないわけで、
なんだか 苦しいし 悲しいし 申し訳ないし、、、というのもあった。

でも 石巻で知り合ったボランティア仲間の人にその話をしたら
「自分もそういう思いを抱えていたけど、でも石巻で活動して思ったけど、東北の人は苦しみや悲しみを背負ってほしいなんて思っていないんじゃないかな。
ただ、一緒に手をつないで前に進んでほしいって思っているんじゃないかな。」

と言っていて、その人は私よりも長い期間石巻にいて、石巻の人たちともたくさん仲良くなっていたので、この言葉には とても納得しました。
この人の意見も この人、私、またその他のボランティアが 希望する答え に過ぎないのかもしれないけど、
でも 「なるほど」と思いました。


私は また東北にボランティアに行きます。 今は仕事の繁忙期なので 夏あたりに。

泥だしボランティアでも  炊き出しボランティアでも 仮設住宅サポートのボランティアでも、観光促進に寄与するための観光であっても
とにかく 完全に復活するまで 行き続けたいと思います。

亘理町でもそうでしたが、

石巻でも、住民の方たちが 本当にあたたかくて、話しかけてくれて、ボランティアの私たちのためにお茶やジュースをふるまってくれたり
「おれんとこ来たからには 絶対昼飯はくってけよ!くってかないと とっつかまえるからな!」と 顔をくしゃくしゃにしていうお父さんがいたり
「活動中 トイレに行きたくなったら、いつでも うちのトイレ使いなさい!うちのトイレは大丈夫だから!」と 女の子達に声をかけてくれるお母さんがいたり
活動後 歩いて帰っていると かならずすれ違う人たちが 「ご苦労様!」「ありがとうね!」と言ってくれたり

本当に 素敵な場所です。

美しい場所です。

笑顔もあります。 少しずつかもしれませんが 生活が動き始めています。

そういう元気な面も 東北以外の人たちには知ってほしいと思いました。

あと、やはり世界各国から 一般ボランティアが来ていました!
カナダ、スイス、フランスなどなど。
なかには 「この震災を知って 会社に3ヶ月休みをもらって やってきた。」というヨーロッパ人がいて、毎日真摯に活動をしていて 尊敬をしました。

あと、今回は NPO団体の活動に参加したわけですが、このスタイル、結構効率的だと思います。
GW中は 各自治体のボランティアセンターはパンク寸前だったらしいので そういう大型連休時には 個人がボランティアセンターから仕事を割り振ってもらうよりは、
ボランティアセンターが いくつかの団体に大まかに仕事を割り振り、その各団体が ボランティアを募集して 委託された仕事を割り振るという作業をすれば
元締めのボランティアセンターの負担はかなり軽減されると思います。

ちなみに私の参加した団体は、今も活動中です。


私たちができることは、日々の生活の中で 東北の現状を忘れずに 各人が無理のない程度で できることをする。

規模の大きいことをすることも大切かもしれないけど、同時に 長期にわたり 少しずつでも続けることも大事だと思いました。