禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

分断は民主主義の敵

2024-07-24 08:38:40 | 哲学
 みんな民主主義を口にする。北朝鮮だって正式国名は朝鮮民主主義人民共和国である。トランプも自称民主主義者で「民主党は反民主主義だ」と言って批判する。現代において「民主主義」であることは「正義」とほぼ同義と言っても良いような気がしてくる。

 民主主義において人々の権利はすべて平等とされている。しかし、諸政策によってもたらされる利害は人それぞれである。つまるところ、ものごとの決定は多数決によってなされることになる。かくて、人々は多数派工作に奔走するようになる。ある人々にとっては「民主主義=多数決」なのである。

 多数決は民主主義に取ってなくてはならない制度ではあるが、それはある意味において必要悪とでもいうべきものである。民主主義の前提はあくまで人々の平等というところに根差しているのである。各個人はみな等しい権利を有しているのでなくてはならない。多数決は少数派に不利益をもたらすことを多数派は決して忘れてはならない。各個人はみな等しい権利を有しているのならば、民主主義において他者とはもう一人の自分であると考えるべきである。もう一人の自分である他者の権利を守ることによってはじめて「私」としての自分の権利が守られるべき正統性を得るのである。
 
 最近の世界の動向として「分断」ということがよく言われている。アメリカではトランプ主義者、ヨーロッパでも過激な右翼的政党が台頭してきている。それらに共通しているのは移民排斥、自国(自民族)優先ということのようだ。トランプの支持勢力の中心となっているのはいわゆるプア・ホワイトと呼ばれる白人の低所得者層であると言われている。彼らは本来自分が受けるべき当然の利益を移民や外国企業に横取りされていると考えているらしい。彼らほとんどの祖父母やそう祖父母が移民であったにもかかわらずである。「アメリカ」から恩恵を受ける資格を自分に都合よく線引きしようとしているのである。「その資格が自分にはあるが彼らにはない」というその考え方が分断を生む。
 
 他者の権利の尊重なしに民主主義はあり得ない。民主主義には他者への寛容性が必須である。民主主義者はダイバーシティを受け入れなければならない。最近の政治家もダイバーシティという言葉をよく口にするが、どうもそれを単なるファッションかなにかと勘違いしている人が多いような気がする。

 民主主義は耳障りのよい言葉ではあるが、自分の利益を最大化しようとする人間の性質とは本来相いれない思想である。高度な理性と忍耐があってはじめてそれは実現する。むしろ権威による専制主義の方が人間にとって自然であるとさえ言えるかもしれない。私たちは忍耐強く慎重であらねばならないのである。
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