クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

今年も初ハイクは八束山 H-26- 1- 7

2014-01-08 15:12:55 | 高崎・甘楽・藤岡方面
新年早々のハイキングは去年と同じく吉井・八束山。北コースから登れば
丁度良い足慣らし、そして西コースを下山に選べば低山らしからぬ岩場と
滑り易い急降によって山気分を堪能できるのだ。
特にこの西コースは昨年からの何者かによる執拗な登山路のテープ剥がし
が連続して発生し「まちすい」の方々がその都度に付け直すイタチゴッコが
続いているので昨年12/29に設置したものが今年の1/2には確認されているが
現在残っているか?心配なので確かめるのも目的の一つ。

昨日までの風も収まっているが気温が上がった遅い時間に吉井に向かった。

登山者用の駐車場には車は一台もなし、今日も誰にも会わない一日に
なりそうだ。この標識は新しいものらしい。(10.50)



約130mほど車道を南進すると何時もと変わらぬ北コースの登山口。



いきなり薄暗い日陰の竹やぶで空気がひんやり。斜面をジグザグで稜線を
目指すが勾配はかなりきつい箇所もある。やがて「虚空蔵堂跡」、数年前
まで存在したお堂の残骸が山裾に積まれていた。



ここから少し北に回ると稜線に達して切返しのようにして尾根道に切り替わり。



直ぐに小さなコブ



幾つかの小規模なアップダウンの後、浅間山に到着。ここの標高は推定で
280mほどだから登山口からは標高差110m来た事になる。



小さな広場は北西側のみが開けていて赤城方面。



脇にあるかつての目印「天狗松」は枯渇したものの未だにこの貫禄。



浅間山から南進で一旦下ると右手に親切な道標。



こんなコブを越えると



東が開けて牛伏山、肉眼では山頂付近までの車道のガードレールが見える。
この山は車で山頂まで行けてしまう観光スポットになってしまっているので
登山路が数本開かれてはいるが最近は登っていない。



又、コブが現れる。



コブ頂点はこの大岩の右を抜けて新しい尾根。



再び北西が開けるがさっきと同じアングルの赤城方面。



牛伏山が更に近づく。手前に見える稜線は八束東肩から発する第二北コース
と仮称している尾根だが変哲の無い一本登りなので面白味は無い。



やがて東側が伐採されて日当りの良い稜線をのんびり歩く。



第二北コースがどんどん近づいてきた。



伝説の「羊の足跡」、テープ剥がしと同時にへし折られていたが
多少短くなって復旧していた。



爺イの靴と比較してみると凹みは二倍近い。



何故、羊伝説かといえば
この八束山は「多胡八束城址」とか「多胡上城址」とも通称されるそうだ。
ここは戦国の城郭であることはその遺構から確認されているのに、築城時期・
城主がハッキリしない不思議な城址。それほど、重要ではなかったからとは
思われるがその事が、羊大夫と結びついて「羊大夫の居城」という伝説を
生んで地元では暖かくそれを受け入れているのだ。
羊太夫とは「711年多胡郡建置。藤原宗勝 上野国権大目となり六位下を授位。
郡司となる。それまで住んでいた長根(辛科神社の近く)から新屋(甘楽町)
に移り小幡羊太夫宗勝と名乗る」と言うことなんだが
「8世紀、羊太夫なる者、八束村に居住せしが望楼として天引村に城山を築き、
物見の先守とし、その勢い盛んになりけるに讒言により官軍に攻めこまれ、
城山を捨てて敗走、八束の城にて防戦す」と古記録にあるがこの「天引村の
城山」とは現在の甘楽町・朝日岳北峰のことであり「八束の城」というのが
現在の八束山のことである。国土院地形図では八束山は「城山」と
表記されている。
蛇足的に加えれば朝日岳北峰は天引城址と言われるが「天引城は大字天引村
の東部にあり、羊太夫が砦を構えし所と言う。されど千余年の星霜を経たれば、
今や砕かれたる。少しばかりの礎、巌に残る胸壁の跡らしきもの、空しく往昔
の面影を留めるのみ、国破れて山河あり、城春にして草木深し」ということで
国土院地形図には何の表記も無い。


このコース初めてのテープ、どうやら目印は健在らしい。



こんな尾根道の一本登りに入る。



やがてこの北コース唯一のロープ箇所、下地がカリカリなので滑り易いが
ロープのお陰で楽々と通過出来る。



と、登山道に破棄されたテープの残骸が捨てられている。だが、テープが
付け直したピンクリボンではなく赤のビニールテープなので最初の頃に
破棄されたものらしい。





やっと直下の腰曲輪に到着して先に空掘りを経て東肩に向かう。



周囲は伐採されて新しい植林地になっており榛名方面も遠望できる(12.13)。



北方には雪嶺が連なる。



暫く展望を楽しんでから再び空掘りを渡って本丸へ。



この城址は山崎一氏の著書に拠るとこんな形であり何重もの空掘りは
現在もはっきり残っている。



広場の真ん中の窪みには石宮一基、この窪みは城址の古井戸跡との伝承。



本日の爺イ。体の半分が日陰になることも察知できないようでは
81歳を間近にしてますますボケは進行しているらしいが止める術が
無い。



軽食を兼ねて休憩の後、この道標に従って西コースの下山開始(12.42)。



直ぐに目印リボンを発見、どうやら12/29の取り付け分は健在らしい。
このリボンは通し番号入りで「まちすい」のwassyさんのブログに
よると従来の57本から今回は111本とのこと。有志が集団で作業したにしても
度重なる廃棄にめげずに大した根性だ。



爺イも何か応援したいが急には思いつかないので手持ち赤テープで
二重に鉢巻をして剥がしにくくした。



こんな表示物も多数付けられている。これではリボンを取り去る悪戯者
も手が出ないはず。三回に亘って60本の目印全てを100%剥がすという
者が登山者の中に居ると言うことが情けない。



この西コース、人によっては登りに適しているが下り向きではないと
評されるが爺イの脚力ではここの急登は逆に無理で下りが好み。
上部は低山には珍しく岩場の連続で下り切りの都度振り返り写真。
乗り越えも迂回もあるので目印テープは絶対に必要なのだ。









やがて下り道にある唯一の登り返しの小ピーク。



再びロープで岩場下り。ここは四段構えで気持ちが萎えそうになるほど長い。
写真は二段目終了点で一呼吸置いて振り返り。



前方が開けて西に浅間山。



県道71号線やゴルフ場(関越ハイランドGC)もはっきりと見えてくるが遠目のせいか
曜日のためか?閑散の模様。



そして最後の岩場、何時もの事ながら短足では足掛かりが困難。



岩場は終了したら今度はザラ場のジクザグ急降、これが中々に厄介で
軽アイゼン無しでは爺イには無理。この道標を見ると終盤は近い。



西登山口に到着。標識も増えている感じ(13.44)。



休憩がてら甘味を補給したり身支度を変えて長い県道歩きに出発(14.02)
近くに此処を登りに使う人のための道標。



墓地脇をぐるっと回って大沢川を「山口橋」で渡って県道に出ると
丁寧な道標。



途中、珍しい柚子畑などを見ながら近道で駐車場着は14.24。
リボンがこれからも健在であることを願いながら本日の
ハイク終了。9100歩の足慣らしだった。




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2 コメント

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本日午前中、点検登山で確認しました。 (wassy)
2014-01-15 18:43:42
爺ィ様

いつも応援ありがとうございます。
本日、点検登山で、赤テープを確認しました。

近日中に、上毛新聞に記事が掲載される予定です。
返信する
re.八束山 (爺イ)
2014-01-16 07:40:19
wassyさん
一先ず落ち着いたようですね。あれだけの
表示物でリボンの必要を訴えていますから
悪戯もやり難いと思います。
それと登山者が多ければ監視の目が多い事になりますので新聞に載ってハイカーが増えることを願っています。
毎日の寒気で冬篭り状態ですが裏日本の
雪が止んで風が収まったら朝日岳へと思っています。
まちすいの方々、支援のボランティアの方々に
宜しくお伝えください。
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