クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

右京の無駄掘りと黒岩の道確認 R- 4- 11- 25

2022-11-27 12:11:50 | 榛名山麓
23日夜から24日未明にかけてTVやABEMAでサッカー
観戦に集中してしまい予定がくるったがやや落ち着いた
今日は予定通り「右京の無駄掘り」訪問と序に
忘れてしまった「黒岩の道」を北から中盤までを再確認。
無駄掘りとのかかわり合いを持ってからもう17年も経つが。

爺イがハイキングを始めたのが2002年(69歳)、「野山を
歩く100コース」を片手に黒岩下からスルス峠まで歩けた
のが2004-11、榛名湖北岸の「壱っ岩」を見て無駄掘りの
存在を知り伊香保・水月亭先代社長さんの研究論文を読み
二回目の探索で見つけたのが2005-11、そしてコース案内や
初代となる標識を取り付けたのは2006-3ーーーという経緯。


伊香保からヤセオネ峠を越えた坂下のメロディーライン
が始まる手前のスペースに駐車。ここが沼の原北口。(09.12)



沼の原に立つと相馬山・榛名富士・蛇ヶ岳・烏帽子ヶ岳が
出迎えてくれる。何れの山も装いは秋衣。



僅か10分程で関東ふれあいの道。東は相馬山、
西はスルス岩から旭岳・三峰山方面。



直ぐ脇に「スルス岩・行人洞」案内板があるが
帰りに寄る予定。



南斜面の立木に大分傷んだ「無駄掘り」案内表示。(09.24)



オレンジやブルーのテープを慎重に確認しながら
急斜面の判り難い笹原の蛇行道を降る。堆積落葉の下に
小石や木の根がゴロゴロ、おまけに下地が
軽石のガレ。



やがて笹原の丁字路。右が無駄掘り、左は黒岩の道へ繋がる。
目印の大岩があるから覚え易い。



西を眺めると笹原の立木に目立つテープ数本。



やや下り気味に右に回り込むと



山裾に張り付くように無駄掘りが見えた。
左上の標識は文字消えで白板の様だが
良く見ると「右京の泣き掘り」らしい
文字が微かに残って居る。(09.51)



爺イの記録に残る歴代の標識。



無駄掘りの様子。右下は友人の
「本格格闘甲冑集団」の面々が趣味の
洞窟探検の一端としてこの無駄掘りに
入った時の画像。水深は深く長さは
40mほどらしい。
このグループ、各地の武者行列に参加していて
特に箕郷城まつりではリーダーの須藤さんが
長野業盛 役で着到状読み上げをやり
元々武道・格闘技に卓越しているメンバー達が
後半の一騎打ち数場面で激しく戦うのが有名。



一呼吸置いてから再出発、沢筋から脱するために
この斜面を登る。



丁字路に戻って黒岩の道への合流を試みる。(10.13)



目印が無ければ勝手な歩きになつて何処かに
迷い込むような笹原を進む。



やがて笹原の小骨の様な皴を細道に沿って進むと



右下に見覚えのある大きな涸れ沢が見えたので
急坂を下って上流から回り込んで対岸に渡る。



渡り切って振り返り帰路の為に下り場所を確認。(10.31)



今度は東に横たわる山帯の裾を反時計回りに歩く。
南に回れば黒岩から北上するルートを捕捉できる筈。



涸れ沢から10数分で振り返ると枯れ枝の間から
スルス岩がいっぱしの尖塔のように見えた。



それから7分程で先日南から来て引き返した箇所に
到着。これでルートは一本に繋がったので
目的は達成。今度は陽が長くなった時期に一本通しで
ハイキング出来る確信が付いた。何しろ遅足で時間が掛かり
日の短い季節は無理。
ここで本日は引き返し。(10.48)



帰路の涸れ沢渡りで再度眺めたらこの大岩脇から
渡るのが楽そうだと見えた。



笹原の入口。登りの笹原歩きは下りよりルートが
見えにくいのでマーク探しに時間が掛かる。



この入口も直ぐに左に分け入らなくてはならない。



何方を向いても似たように見える笹原を進む。



何とか分岐に帰着で一休みして早目の昼食。(11.18)




この西南の山は三つ峰や旭岳なのかな?



東には相馬山しかない筈なので相馬山か?
いやこんな形はしていない筈だがな。



休憩がてらに本日の爺イ。泣き掘りで撮った画像が
水流と濡れた岩の反射でお化け写真だったので撮り直し。



十分休んで出発(11.50)して蛇行急斜面を一曲がりごとに
休み休みで峠着(12,09)
(本当の峠は相馬寄りの東屋近くらしいが)



直ぐにふれあいの道を西に向かう。



スルスの黒い巨体が近づく。洞はスルス岩の
東南下部にある。



やがて小道に入る道標。道は一部崩れていたり
倒木が邪魔したりして荒れ模様。



洞全景。爺イの好きな線刻菩薩が殆ど消えていて
遠目からは見えない。右上の縦長の碑には
「相馬山百回登山 普光院豊山行者之霊」とある。
昔からこの地は修験場だったというからその一環かな?
石室が無いから行者塚ではないだろう。



小野関三太夫の線刻も変遷を記録すると
その傷みの進行が良く分かるが誠に残念。



ここを離れて沼の原を横断して県道着。(12,32)



車で北岸のウバ百合のその後を見て



南岸で秋景色の動画、さっきの駐車場所が
「湖畔の宿」のメロディーライン脇だったので
それに因んでBGMは昔の懐メロ。
榛名湖南岸の秋景色


ご来訪の序に下のバナーをポチッと。
登山・キャンプランキング


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 徳明園周遊 2022 R- 4-11- 22 | トップ | 榛名山麓史跡探訪 R-4- 11-28 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (山はこれから)
2022-11-29 00:25:27
度々失礼します。
今回の折り返し点は「野山を歩く」のp.91地図の⑥から右上に上った四角の看板マークのある地点でしょうか?(地図では十字路になっていますが、実状はほぼ丁字路の所)
「黒岩の道」ルートの繋歩、おめでとうございます!
その丁字路を(今日のルートでいえば)直進すると、すぐに枯れ沢に突き当たり、崩落があって道が途切れます。
難所ではありますが、この沢を渡れば対岸には、判りやすく平坦な道があって、鷹ノ巣鞍部・相馬山表口石標(三十六童子下)へ続いています。相馬ガ原の物見塚・ガラメキ・表口登山道と繋がる「旧スルス道」ルートです。
戦前までは、高崎や金古方面から榛名湖畔へ向かうメインルートだったようです。進駐軍に接収され、その後も自衛隊の演習地になっているので、今では黒岩ルートがメインとなり、「榛名郷(障害者施設)」の先の第2カーブから白川の栗ノ木沢合流点へ降りて、物見塚上の七曲りから工事用に林道をガラメキへ向かうルートがサブ道になってしまっていますね。
返信する

コメントを投稿

榛名山麓」カテゴリの最新記事