クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

甘楽・熊倉山周回 H-28- 4-20

2016-04-21 17:22:37 | 高崎・甘楽・藤岡方面
今月の29日には宝積寺で恒例の菊女観音祭がある。史跡伝説探訪などで馴染み深いので
ぜひ行って見たいが生憎と所用があるので代わりに菊が池と菊女金毘羅堂を今日
訪問することにした。序の事に尾根を南に登り上げて熊倉山から反時計回りで
小柏峠経由で帰って来る計画。

小幡の街中を抜けて宝積寺前から林道に入り天狗山方面に。寺から凡そ400m位で
右に東屋。この近くの林道を使って水越沢を遡っても行けるがこの沢は
南牧村の4つの集落490名を孤立させた台風9号で大荒れになっていると聞いているので
敬遠。



更に桜公園に向かって走り途中の二股分岐で新道の直進を選び蛇行して約1.5k、
左への脇道近くに路傍駐車。脇道は林道と言うより峠道風(9.54)。



僅かの距離でY字分岐、右は菊が池方面、左は地形図上でP.600と表示されている
鷲翎山(シュウレイ)の近くを通る作業道。菊が池へ行く前に鷲翎山に寄って行く。
上野国郡村誌・轟村」に「北ニ城山アリ、南ニ熊倉・鷲翎アリ…」との記載が
あるのでこの山名は間違いなかろう。おまけに宝積寺の山号でもあり
「鷲翎山宝積寺」。但し「翎」の漢字が偏からは出てこないので旁から
引き出す事に気付かなければ「鷲れい山宝積寺」と書くことが多い。



道はこんな感じで薄暗い林間を東に向かう。



山の北側に回り山頂を見上げる。一見、丘の程度だが間伐材の堆積で歩き難い。



特に尾根らしきものは無く斜面はこんな程度。



突然、思いがけない岩帯にぶつかり大きく右から迂回。



山頂に着いたがかって存在していたはずの新旧二基の図根点標石が見つからない。



こんな赤杭が一本だけ。恐らく探し物は地表を埋め尽くす伐採材の下に隠れているんだろう。



さっさと諦めて南に下る。だがどうも道が見つからず怪しげな獣道をウロウロ。



峠道風な道に出たが記憶にある本道とは違うようだ。



前方に鞍部が見えた。一寸この辺は良く知っていると過信してこの尾根は菊女金毘羅堂に
繋がると決め込んで尾根を伝わろうとしたのが運の尽き。あちこちとさ迷って
多大の時間を浪費。



30分も経ってから漸く雰囲気が菊が池に近づいた。3945



そして漸く菊が池の入り口の巨石群。菊女がここに大権現として祀られ、
たのは明和5年(1768年)と聞く。因みに宝積寺の巨大な菊女観音像は
平成5年9月19日建立。



岩山に登ると菊女霊位の石碑。



観音像。



側面に「藤沢群黄刻」とあるがこのお方の事は良く知らない。
唯一富岡製糸場皇后皇太后行啓記念碑に「蘇峰徳富正啓撰 高田忠周書 
藤澤群黄刻」とあると聞くので多分この地域の著名な彫刻家かも知れない。



少し離れて石宮一基と仏像。これも場所柄から菊女関連だろう。



その脇に「心佛蓮心大姉 物心妙心佛蓮」と彫られたもの。下部に藤沢の文字も
見える。何だか良く判らないが宝積寺史目次の石造物リストに
仏心大姉 妙心大姉 蓮心大姉 仏蓮大姉 心仏大姉像とあるので関連するかも。



一通りお参りを済ませて稜線を登って菊女金毘羅堂に向かう。



僅かの距離で小さな、しかも粗末に見える金比羅堂が見えた。



線香を供えて参拝。記帳のノートにサイン、知っている名前発見、
時々爺イのブログにコメントをくれる「諏訪匡輔」さん。



少し休んでからおまけの熊倉山登山開始。金比羅堂の裏に回って進路確認(11.25)。



途中までは傾斜が厳しいので成るべく左手の植林地の縁を進む。



進路は下地が柔らかく靴のエッジも良く利くので何とかノロノロと。



やがて急登が終わると鍵の手に曲がる箇所に到達。



尾根は西南に曲がり目印赤テープも見える。



曲がりが終わると南に向きが変わり傾斜の緩い尾根を進み熊倉山直下。
直線距離でもう100mを切っていて山容がはっきりと。



所々に大木が倒れていて邪魔をするが根本から折れているので伐採ではない。



この倒木は目印、この脇から回り道が東に延びていて楽に熊倉東鞍部の稜線に
到達できるんだが今日はインチキはせずに正面突破する。



間近に来ると流石に難所で超スローペース。



そして下山目印の倒れた石柱の所に真正面から到達。ここまで約一時間、
かの超人・七黒爺さんは30分も掛かっていないから2倍以上だな(12.27)。



台地の真ん中に三角点。三等で点名は雉平 896.21m
但し、地形図には896.2m。この様に地形図上端数の付いているのは所謂
現地測量によるもので鷲翎山600の類は写真測量による標高点なんだろうな。



嬉しい事にすかいさんの標識が付いていた。後ろに見える汚れた板は
かって爺イの付けた古いもの。沼田のN.G氏の名刺判も既に無い。







こんな物があってさては新型?と近づいたら唯の丸太だった。何か意味ありか?



本日の爺イ。三角点前で。



少し冷たい風に晒されながら急いで軽食を詰め込んで東に向かって周回開始。
次のポイントは770m離れた P842地点(12.50)。



幾つかのアップダウンを経ると露岩の多い処。東から回ってきてここに来ると
あと僅かだと急に元気のでる尾根。



僅かの登りで台地の上を行くとP842に着いている筈だが何も無い。



境界杭が倒れているが境界杭と標高点は関係ないだろう。



こんな雑木(甘楽町)と植林地(藤岡市)の境を進むと



無名峠に到着。この峠名は勿論通称にもならない勝手な仮称でただ
名前が無いと云うだけのこと。



かって存在した標識。



峠を過ぎて尾根伝いに大きく右旋回しながら一山越えて小柏峠に向かう。



三つの突起の一つに図根点。



大きく下るとそこが小柏峠。「多野郡地方誌」「群馬県多野郡誌」等を
調べたたが、記載は全て「二本木峠」で小柏峠の記載は見付らなかった。
この地域の伝説で名高い「猫の踊り」や「山犬様の牙」を収録した本でも何れも
「上日野から甘楽の小幡さまへ行くために二本木峠を越えるときーー」
と書き出している。
但し甘楽の峠の権威・amano氏の資料の古い地図には明確に小柏峠の記載がある(13.24)。



峠には二基の石仏が藤岡方面を向いて建っている。



脇には文字の読めない古い標識。



かっての姿がこれで爺イも二回ほど修復したが今や修復不能。



ここから東へは藤岡・甘楽境界が吉井・藤岡境界に姿を変えて小梨峠を経て
ずっと続く。



さて、この峠からは反転するように切り返しで山裾の踏み跡を辿って
天狗山への尾根や峠道に行く。



斜面のトラバース道は谷側の肩がルーズだが何とか歩ける程度。



やがて尾根が見え合流する。



下を通る峠道より北に下るのは尾根通しが適している。進路の樹幹には
ベタベタに赤ペイントマーク。



この大木で二股分岐、左を選択すると急降。



峠道に合流して降り立ち後ろを見ると道を塞ぐ大木が昔のまま健在。



合流点から直進の天狗山尾根を避けて左の峠道。



一旦下り切ると意外なほどの平坦場所。



この大木の処で右に急旋回して尾根に沿って北上。



峠道は杉の枝おろし残材がそのまま放置してあるので歩き難い。



やがて何やら見覚えの無いような林道を下っている。この辺は縦横に林道が
開削されているので暫く来ないと戸惑うことも多い。



右手に天狗登山口の道標。



直ぐ脇を見ると植林地は野生動物の食害から守るのか? ビールカバーが
林立して異様な風景。



暫く歩いて天狗山を西から見たら完全なハゲ山に変貌していた。



ぐんぐん下山するとかっての廃土砂集積場は緑の丘になっていた。



何とか桜公園の分岐着。何時もの時計回りならここが駐車地点だから
終点となるが今日はこの先2k近くの林道歩きが終盤の登り返しを
伴って待っている(14.17)。



せっせと歩いて新・林道の分岐。宝積寺行きの道を右に見て
左の新道に入る。



始めは下りで楽をするが間もなくとてつもなく長く感ずる登りの林道。



疲労困憊で駐車場所に到着は(14.45)。

歩数 13500歩のハイクだったが敬遠していた熊倉北尾根を登って
一回りしたことに満足。本日のルートは七黒爺さんの記事を参考にしている。
http://kanranotougetoyama.seesaa.net/article/436191310.html






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