クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

今年最初のハイキング 吉井・八束山 H-28-1-5

2016-01-06 20:53:35 | 高崎・甘楽・藤岡方面
正月気分も抜けたので暫く振りの足慣らしはもうマンネリ化してはいるが
矢張り勝手知ったる吉井の八束山。

拙宅から車で40分程度で駐車場に到着。直ぐ目の前の山塊が八束山の北面、右手
奥のトンガリ山は多分多胡美人と云われる朝日岳南峰に連なる甘楽の朝日北峰か?(9.53)



ここから車道を約130m程南進すると八束山の北登山口。八束山には北・西の
2コースの他に地権者との折り合いが付かずに整備されていない東コースもあるが
こっちは余り薦められる代物ではない。



登山道に入ると昨年末に「まちすい」の方々がボランティアで整備したとのことで
登山道に覆いかぶさっていた竹などは綺麗に登山道から除けられていた。
「まちすい」とは高崎市と合併前の吉井町でH-13年頃に設立された
「吉井町まちづくり推進委員会」のことで、其の活動の一つである
「八束山プロジェクト」はH-14年頃からボランティアで八束山北登山道の
整備に着手し、H-17年頃には西コースの整備まで手がけていて現在も
コースの整備に尽力している。



で、こんな綺麗な道で斜面に向かって登っていく。豪雨時などには水路化するから
真ん中は削られているが歩くには何の支障も無い程度。



斜面に掛かると急登を避けて蛇行道、角々には親切な道標。



傾斜が終わって小広場、ここが「虚空蔵堂跡」。



老朽化によって撤去されたか? 又は他所に移転したかは分からないが現在は
跡地の看板のみ。数年前にMHCさんから借用した写真を並べてみる。



付近には未だ石像物が点々と残されていて往時を偲ばせる。



堂跡を過ぎて少し登ると右から来ている通称「見晴らし尾根」に達して合流。



八束手前の浅間山に行くには左に上るのだが反対の右下降道を10M程で「蚕神社」と
あるので一寸寄り道。

神社と言っても石碑だけ。地元の人たちがかつて養蚕の繁栄を願って建てたものーー
とは某サイトからの受け売り。



再び元に登り返してやや急登の稜線を進んで浅間山(278m)着。この小山は地形図上には
山名も標高も記載されていない。此処までで登山口からの比高は約110m。(10.21)



展望は北方面だけ、多分吉井の塩地区辺りかな?



既に枯れて久しいかっての名物・天狗松は未だ頑張っているが上部が欠損し始めた。
三年前の爺イのブログからほぼ同アングルの写真(右)を並べてみたら矢張り
背丈が可なり縮んでいる。この様子では爺イの余命と同じで長くは持つまい。





かってここに建てられていた小学生の作った可愛い看板もここ数年の間に消えている。



浅間山から少し下って振り返ると雑木に覆われた小山だった。



ここからは小さなアップダウンが連続して段々本体直下に近寄っていくのだ。
一旦下って小ピーク、又下りながら西から反時計回りに大きな谷を回りこむように
進む。



この突起は右から抜けて稜線に復帰、新尾根と錯覚するがここは兎に角、尾根は
一本きり無い。



やがて東が開けて日当たりの良い稜線歩き。



直下に近づくと又、コブの登り。



目印の羊の足跡。云わずと知れた羊太夫の伝説が大事にされているのだ。



左手に牛伏山がくっきり。吉井三山の一つだが昨今は山頂まで立派な車道が作られており
かって縦横に楽しんだ複数の登山路は車道で寸断されているのでもう歩く気がしない。



やがてこのコースで唯一のロープ箇所、下地がカリカリで落ち葉も滑るので
ロープは大助かり。



こんな大岩脇をすり抜け、この北コースには岩場が少ないのでこんなのでも楽しみ。



前面に杉林、突入かと思ったら右に回って



左・杉林と右・雑木林の間を進む。



漸く頂上直下。左の空堀を越えると展望台になっている頂上台地の東の肩。
目の前の土手を登れば頂上。



山頂到着の爺イ。ここは地形図には「城山」として452.3mと記載されている(11.26)。



かってはこの「城山」の標識があったが今は無い。



近くの城址古井戸跡と伝わる凹地には石宮が一基。



この標識は補修の筆が入っているのでかっての姿と並べてみる。



城郭研究家の山崎一氏の著書からこの城址の概念図。



この八束山は「多胡八束城址」とか「多胡上城址」とも通称されるそうだ。
ここは戦国の城郭であることはその遺構から確認されているのに、築城時期・
城主がハッキリしない不思議な城址。それほど、重要ではなかったからと
思われるがその事が、羊大夫と結びついて「羊大夫の居城」という伝説を
生んで地元では暖かくそれを受け入れている。
羊太夫とは「711年多胡郡建置。藤原宗勝 上野国権大目となり六位下を授位。
郡司となる。それまで住んでいた長根(辛科神社の近く)から新屋(甘楽町)
に移り小幡羊太夫宗勝と名乗る」と言うことなんだが
「8世紀、羊太夫なる者、八束村に居住せしが望楼として天引村に城山を築き、
物見の先守とし、その勢い盛んになりけるに讒言により官軍に攻めこまれ、
城山を捨てて敗走、八束の城にて防戦す」と古記録にあるがこの「天引村の
城山」とは現在の甘楽町・朝日岳北峰のことであり「八束の城」というのが
現在の八束山のことである。


陽だまりで軽食と休憩の後、「岩場ルート」と表示されている道標に従って
西コースを使って下山に掛かる(11.50)。



直ぐに浅い掘り切り、ロープで下る。



今度は深い掘り切りを渡る。ここにもロープ。



その先は平坦な雑木林の頂上台地を西に向かう。



このコースはかって迷って難渋した人が出たので慣れれば分かり易い登山道にも
念の為、多くの目印が付けられている。



最初の岩場が出てくるが迂回道は無いので軽アイゼンをカチカチ鳴らしながら通過。



やがて尾根は急下降の連続となり下地には細かい石が多く下ばかりに視線が集中。



これは真ん中を抜け。



右から回る。



正面から乗り越え。岩場の都度、抜け方を瞬間判断するのはボケ防止にもなるだろう。



ここは単独の岩ではなく長い岩帯、右をずっと抜けていく。



岩からロープで降りて尾根道に復帰。



このコースの下りで数少ない登り返しの小ピーク。



ピーク上から朝日岳が見えてきた。左が南峰、右が甘楽町に属する北峰。



長い三段構えのロープ下り。定石通りに後ろ向き三点確保で慎重に。



下り終わって振り返り。



暫くは平坦道を淡々と。



二つ目の登り返し突起。



頂点で八束山の西面にでる。遥かの下に関越ハイランドのゴルフ場が望めるが
距離があってプレイヤーの姿は確認できない。



最後のロープ場所、最初の足がかり位置が高いので短足爺イは毎回苦戦。



後は急傾斜の滑りやすいザラ場を下るが特に最後の杉林の中は斜面下りなので
日頃使わない腿の筋肉が硬直して来る。



やっと下り終わって先日、まちすいの方々が設置しなおした木橋を渡ると西登山口に
到着。(12.53)



登山口道標二枚がお出迎え。

 

入り口の階段はがっちり造ってあるので崩れ無し。



暫く足を休めてから県道歩きに向かう(13.04)。途中のキュウイフルーツの果樹園では
小さな蕾が出ていた。



果樹園をぐるっと回ると西から登山の目印・山口橋。



r-51に合流するところにこれも入り口目印の「割烹やじま」。


 

神戸四つ角から県道から分かれて山裾のショートカット道で八束山の西側を通過。
路傍には冬日に輝くナンテンの赤。



20分程度の車道歩きで無事に駐車場に帰着(13.26)。



登り1時間半 下り1時間 車道歩き20分 9300歩の軽ハイキング

















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