クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

榛東村で蝋梅見物 H-25- 1-24

2013-01-25 14:10:36 | 榛名山麓
どうやら蝋梅の季節真っ盛りらしい。だが、県内の有名所は松井田・上増田、
松井田・新井、桐生、みどり市、前橋フラワーパークなどと言われるので
体調不安定の爺イとしては一寸時間が掛かり過ぎる。
先日の肺機能検査は「相当以上の向上」と言われて一応は合格したが
序の内臓検査で黄色信号が出てしまい、来週から総点検に入るのだ。

で、手近の所で先日、牛伏山岳会さんの記録にあった榛東村の「十二山」。
ここはかって三角点探訪で訪れてはいるが二月の半ば過ぎだったので既に蝋梅は
終盤だったので良く見ていないから。

一旦、R-123(柏木沢ー大八木線)で榛名に向かい、柏木沢信号でR-26(安中高崎渋川線)に
乗り換えて北上、広場場・八ノ海道を経て次の新井信号を右折してR-161(南新井前橋線)に
入って東南に進む。延長成ったR-25を横切って二つ目の信号左が目標の場所。



ここのバス停には「判塚」とあるがこの地域は「笹熊」と言われるし近くの古墳の
所在地には「北原」と記録されているのでどれが正式なのかは分かり難い。
そこで「上野国郡村誌・群馬郡」の「新井村」の項を見たら「笹熊」が字名で
「北原」「判塚」や古墳名にもなっている「高塚」「長久保」などが小字名と判明。



この変則交差点には北側に目立つ道標があり山手に誘導される。



僅かに坂を上るとそこは「笹熊」集会所の駐車場。ここに車を置かせてもらう。



集会所から少し戻って車道から眺めると早くも蝋梅が目に入り特有の濃厚な香りが
車道にも漂っている。



こんな道祖神やや古そうな石造物を見たり





右に巨大な庚申塔を確認して



改めて参道を見上げる。石の鳥居には「山神十二社」の掲額。




楚巒山楽会さんの記録によると鳥居には、正徳3年(1713)と刻まれているそうだ。
その時、徳川幕府は7代・家継の時代、丁度貝原益軒の養生訓が成立した年。時代劇の
花形の八代将軍・吉宗や大岡忠相の登場はこれから三年の後ーーーという時代。

楚巒山楽会といえば、幹事役の川俣さんが桐生の山中で急逝されてから今年の三月で
もう四年になる。爺イは山で出会ってから少々のお付き合いもあったので
毎年の命日の辺りの登山途中で前年の極楽トンボさんの慰霊祭のときに撮った
桐生の岳人達との集合写真を飾って一人だけの慰霊祭をやっている。
尚、ご遺族の砂女さんのHPを見る限りお元気に活動されているので安心。

石段を登り切ると社殿と思われる建屋があるがそこの額には「敬神」とだけあって
地図に記載されている「大山祇神社」とは表示されていない。




社殿の中の様子はこんなもの。



この神社は「オオヤマギ」ではなく「オオヤマツミ」と読むそうだ。
由緒書きによると「この社は笹熊地区の氏神として笹熊の民の平和と幸を願い
見守り続けて幾歳月、笹熊地区北西の高台、前橋、高崎方面を一望する非常に
眺望の良い丘陵地に奉祀されている」と。大山祇神は大山積神、大山津見神とも
云われ日本神話に登場する神。別名 を和多志大神とも。
神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意なので、「オオヤマツミ」は
「大いなる山の神」という意味となる。別名の和多志大神の「わた」は
海の古語で、海の神を表す。すなわち、
山、海の両方を司る神ということになるんだそうだ。
神話上の系譜をたどると日本建国の大神としてのこの神は、天照大神の
兄神にあたり海の神、武人の神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集め、
戦におもむく武人たちが武運を祈って出陣したらしい。その娘・木花開邪姫は、
天照大神の孫の瓊瓊杵命(ににぎのみこと)の妻。

さて、そんな詮索は置いといて肝心の蝋梅は周囲に満ちている。













途中にある説明板によると植えられたその数、700本とある。



規模は小さいながら今冬初めての蝋梅に満足して頂上にある三角点を確認する。
四等で点名は「新井」 226.1m。





その北側斜面にも蝋梅林は続いている。



途中から北に見える高みに行って見る。ここは「北原古墳」の一部。
実は榛東村の古墳の数は記録上は168基もあり古墳の宝庫とも言えるが、そのうち
旧新井村に139基が集中し隣の「つつじがはら団地」の長久保古墳は27基、
ここの北原は17基もあるとのこと。

二箇所の小山に玄室の入り口らしきものが認められた。





そばにこんな表示物があつたが肝心の号数が読めず榛東00号。



そこから時計回りに下るとさっきの社殿脇に出る。何人かの集団と一緒になって
駐車場に戻った。

序に団地の中の長久保古墳群を見ようとして団地入り口。



少し離れた公園風の所で団地案内図、描いてある古墳を探したがまったく駄目。



多分、宅地化されてしまつていてごく僅かが残されているらしいが
今日は諦めて帰宅。

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