クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

霧積から剣ノ峰 H-26- 9-28

2014-09-29 14:34:24 | 安中・松井田
御嶽山水蒸気爆発の噴火による痛ましい事故が起きた。山好きの一人として
犠牲者には哀悼の意を捧げる。
それにしても全くの素人考えではあるが、浅間・草津白根・本白根などの
素早い規制処置、それもやり過ぎではないかとも云われる程の指示によって
登山者の安全を期している群馬県のハイカーにとってみると
確かに有毒ガス・マグマなどの経験値の積み上げに大きな差があるが御嶽も九月
初旬からの微動の察知が何故に規制に向けられなかったのかと言う疑問が残る。
岐阜県側の説明が噴火予知の難しさを強調していたがそんなことは当然で
難しい中でもより安全を求めるべきだったのではないか?

その御嶽山の最高峰は剣が峰、それを聞いてこの時期にやや不謹慎とは思うが
名前の似た「剣ノ峰」を連想して今日の登山先を決めた。

R-18の旧道を進み、坂本からr-56に乗り換えて霧積温泉方向へ。この県道は
8.5k地点で行き止まりの表示付き。
このr-56は北軽井沢松井田線で北軽井沢から坂本を結ぶ県道しかも主要地方道
の筈であるが重要区間は通じておらず、専ら霧積温泉へのアクセス道路。

途中に霧積ダム湖入り口のゲートが開いているので一寸寄り道。



貯水量は長雨にも関わらず少なく拍子抜け。



ダムからは南側に放水が盛んに行われているので満々とはならないのか?



やがて霧積川を渡る立派な橋、この橋を渡って林道を進むとハックリ山や
大丸山に行けるルートがある。



道幅が狭くなり対向車が来ないことを願いつつ走行すると金湯館への分岐が
現れるがバーで閉鎖されている。温泉へのお客だけを下の駐車場から
マイクロで送迎するのに使えるだけ。かってはここに「金湯館へ」という
道標があり細道ながら温泉上まで行けて路傍駐車が出来たんだがな。



僅かの先に廃業した霧積館跡の広い駐車場、名物だった水車が残っていた。



旅館のあった所は更地になっていて何も無い。あのウドンの味が懐かしい。



かっての姿を爺イの古いブログより。



この西条八十の詩が書かれた看板も無い。



車は十台ほどあるが人気の無い駐車場で支度をしてこの看板から出発(9.56)。
看板の1kとは金湯館までの距離で登山口までは800mの「ホイホイ坂」を上る。



やや古びた橋で霧積川を渡る。左上流の堰堤が丁度滝の役割をして水量豊富。
この坂は名前からすると散歩道だが標高差は120mあるから中々に侮れない。



林道に合流、下り口に親切な道標(10.20)。



僅かの距離で「鼻曲山」登山口道標、剣ノ峰とは書いてないが途中まで同一コース。
ここから温泉旅館の金湯館までは林道を300m。



付近の草むらに廃業した「きりづみ館」への道標が転がっていた。



登山道に入ると直ぐに両側からの壁が迫って何となく圧迫感を覚える箇所。



少し行くと幅は広がるがまるで蟻地獄のような軽石粒の道。



やがて沢の突端で左に切り返すように脇の小尾根に移る。



蛇行道で右の大尾根に変わると



何時の間にか尾根東側斜面の蛇行道を歩いている。



斜面の道が自然に尾根道へ。



右手に水準点の標石、水準点の殆どは平地にあるのでこんな山奥とは珍しい。
但し、帰宅後に国土院の資料を調べたらこの山域での水準点の記録は無かった。



曲がり角に碑文の読み取り不能の石碑、多分峠道の名残で馬頭観音。



何とか、第一目印地点の鼻曲山との分岐。剣ノ峰まで1.5k。



ここからは上り傾斜が影を潜めて殆ど平坦道。



十六曲がり峠跡に到着(11.29)。今では霧積への道標になっているが



かっては(平成十九年)この様に峠名が残っていた。



その残骸は無造作に土の上に転がっている。



さて此処からの進路は東に変わり暫くは軽い上り傾斜の笹原が続く。



間もなく最初のピークの始まり、右に迂回道があるが直進。等高線7本位。



岩角や木の根が頼りになるかなりの急登がつづく。



頂上直前で右の迂回道、こんな邪魔物も現れる。下からでは跨げないので潜り抜け。



この道標を見ても何も気づかずに直進。ホンとはこの道標で左上の道に曲る
べきだったがボンヤリして通り越し。



尾根を巻き切って尾根先に到着、何気なくこんな尾根を下る。
だが、100mほど行ってからオカシイと気付く。尾根が広すぎる、踏み跡が無い。
慌てて尾根の方向を計ると何と北東の筈が南東、しまったと思って剣ノ峰登り口との
距離を測ると東北500mの方向違い。ボケが進行してるなと自嘲しながらさっきの
道標まで戻る。30分以上のロス。



道標から上の道に入り暫くで今度はこの道標で一安心(12.20)。



やがて鎖場で沢筋を渡る。妙義の蟹の横ばいに似ているが距離は短い。
渡ったところにあった腐りかけの梯子は既に見当たらない。



かっての梯子はこんな形だったが当時から腐りかけは見て判ったので触る
ことも無かったが。



渡り切ってから振り返り。



ここでセルフの写真を撮ろうとしたが下の沢の落ち込み断崖を見て断念。



歩き易い平坦道が続く。



途中に猪のドロ場。猪は人と鉢合わせするとぐぇーと奇声を発して逃げ去るが
話によると視力が弱いので動くものに突進する場合があるので、ある意味では
熊より危険とか。



単調を紛らわすに格好な岩場も偶には出てくる。



馬頭尊と読める石碑を通過(12.38)。



やや下りで少し南に向かい、切り返しのように左旋回して東北尾根に進む。



最後の分岐に到達。この回り道は帰路に使う予定。



剣ノ峰直下の登り口がここで、標識もあるが昔とは様変わりで霧積を指している。



かってのここの道標はまともな物だったがH-19時点で既に落下していた。



等高線は6本程だが傾斜は厳しくさっきと同じに木の根と岩角が頼り。



頂上台地の西端に到着、先ず西の展望台に向かう。



堂々たる浅間隠山。



浅間を背景に鼻曲山。



その中間の二度上げ峠からの稜線。



湾曲したような台地の縁を回って東進すると再び浅間隠が樹間から。



頂上標識の場所に到着(13.11)。下半分が腐り落ちている。熊のいたずら説も
あるが熊なら上から叩き潰すし、齧りならこんな程度は全て剥ぎ取るのでは
ないかな。



標柱の下部にも表示。



元の姿の標識はこんなだった。



直ぐ傍にある三角点は三等で点名「剣ノ峰」1429.63m 管轄は安中市。



標識前で本日の爺イ。遅い昼食と大休止。



立教大が建立した遭難碑。



直ぐ隣には尖塔のような角落山。



北方の山々。



東の小ピークには同級生の立てた遭難碑。
この小ピークを東北に下りると角落山、東南の尾根を辿るとかってあにねこさんが
踏破した長大ルートで地蔵峠に至る筈。



帰路は尾根道でなく巻き道専門で行く。剣ノ峰に登り返す手前で左(南)下の笹薮に
突入。僅かの下に獣道、本来の巻き道はもっと下にある筈だが面倒くさいので
そのまま西進。



笹は密度もあり丈も身長を越えるが下に見える細い獣道を頼りに進む。



少し開けて大岩の直下を通過。



南に回って尾根を跨いだはずだが獣道は消滅。已む無く右の稜線に再び近づきなから
深藪を下降して本道を捕捉。



途中で迷走したが何とか看板のある剣ノ峰西直下に合流(13.56)。



西南に向かって下り道をまっしぐら。



馬頭尊石碑前を通過。



16曲がり峠に到着(14.42)



鼻曲との分岐を通過するときには下りで楽なので脹脛の突っ張りも解消。



蟻地獄では滑って一度転倒したが損傷はなしで林道着(15.08)。



金湯館方面から来た登山者三人組と相前後して霧積館跡に無事帰着(15.26)



ハイク再開で天狗山7000歩、音羽山12.000歩、今回は15.000歩と歩数を伸ばしてきたが
翌日に持ち越す疲れも無いので未だ大丈夫の模様。

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4 コメント

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金湯館は消えましたか。 (egiko-ike)
2014-09-30 21:02:20
いつも楽しませてもらっています。1月近く更新がなかったのでちょっと心配していました。
明治の中ごろは維新の元勲達の別荘があったと聞いている霧積温泉も無くなってしまいましたか。寂しいですね。十六曲がり峠から鼻曲山へのコースは過去に経験があります。ブログをみると大分荒れた感じですね。道標が朽ち落ちきちんと読図ができないと危険でしょうか。
OCNブログが廃止になるので9月からGooブログに引っ越しました。お仲間になりました。まだ使い方がわからないところが多々あります。アクセス数が急増して人気のブログはすごいな思っていました。最近その理由がわかりました。なんだ! 急に読者が増えるのはおかしいですよね。
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re.霧積 (爺イ)
2014-10-01 06:07:24
egiko-ikeさん
いや、無くなったのは水車の霧積館で
金湯館はたった一軒で営業しております。
あの拠点から鼻曲・剣ノ峰へのルートは
簡便コースなので小生のような足弱には
最適。
gooブログへようこそ。最近gooはブログ村と
連携したようで少々戸惑い気味。
返信する
霧積館 (tomo)
2014-10-02 04:52:20
御嶽山の噴火では犠牲者が多く出てざんねんでなりません。
群馬県は、火山に敏感なので対応が違っていたかもしれませんね。

霧積館は更地になっていましたか。
あそこの駐車場に止めて鼻曲山に登ったのを思い出します。
返信する
re.霧積 (爺イ)
2014-10-02 10:32:18
tomoさん
朝日に輝く谷川の写真拝見しました。登山の
醍醐味の極致ですね。
聞くところによると霧積温泉は1910年の
山津波で金湯館一軒だけが災害を免れ
1971年にご親族が霧積館を作ってから
二軒の営業が続いていたので2012年の
霧積館廃業で又、元の姿に戻ってしまったとのこと。
群馬の秘湯として残って貰いたいものです。
そろそろ、低山でも熊の季節に入りますので
tomoさんのページ上段にある警告を守って
行きます。
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