クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

第11回目の御巣鷹の尾根 慰霊登山 H-27- 9-15

2015-09-16 15:36:44 | 神流・上野村
毎年の恒例になっている「御巣鷹の尾根」への慰霊登山。今年は九月になってしまったが
思い立ってからの13年間に今年で11回目になる。毎年、これが最後かなと思いながらも
その直前の夏山行きで脚力がさして落ちていない感じなので続けている。
今年のテーマは去年に引き続いて全墓標の現状を写真に撮り適切なBGMを入れてDBを
造りそれをCD化して永久保存版にすること。
昨年は270名の方々の墓銘碑を記録しているので今日はその延長戦。結果としては
約130名分を追加できたが未だ撮り残しがあるので再延長。
但し、折角のDBも遺族会の意向もあって一般公開が出きないのでブログにも載せられなく
辛うじて「友人までの公開」で希望により小生発のメール添付のDB紹介に止まっている。

本日の探索予定範囲はこの配置図の赤マークの辺り、巡視路が複雑なので行っていない
場所も多分にあるし、通過していても見落としがある筈。



早めに出発した積りだったのにR-18で通勤渋滞に巻き込まれてしまう。この渋滞は
「岩井」でr-10に入っても続き富岡木工団地や宇宙開発関連で有名なIHIエアロスペース
などのある富岡の「桑原」まで解消しなかった。



富岡・下仁田を経てr-45(下仁田上野線)の西上州やまびこ街道で南牧村を縦断。
漸く湯の沢トンネル 3,323m 入り口、この辺は「ふるさと林道湯の沢線 」との
名が付いているらしい。このトンネルは 関越トンネル 11,055m、 八風山トンネル 4,471m に
次いで県内第三位の長さだが、交通量が少ない上に曲がりも無く構内が明るいので
トンネル嫌いの爺イでも気楽に走れる。
だが、その手前で旗が振られて通行を停められる。構内で工事中とのことで
下り線を使って片側交互通行だ。待ち時間が長いのに閉口。



片側通行も対向車が来ないので楽だなーと思っているうちに上野村に下ってR-299との
丁字路、右へ行くと「武州街道」の名で十国峠なのでここは左折。僅かの距離で
楢原郵便局の丁字路。
大きな看板がr-124(上野・小海線)への右折を指示している。この地点から御巣鷹の
尾根駐車場へは19K(9.17)。



約3kで再び左折の道標。直進はぶどう峠に達する激しい蛇行道。



ここからはダム用の幅広道路。直ぐに「三岐トンネル」と「浜平トンネル」がある。
トンネル写真はクリックで拡大します。



二つのトンネルの先には諏訪山登山口の道標があり左の草むらの中を切り返しのように
踏み跡が付いている。



続いて地形の為か?360度近くも曲がり続ける太神楽1号と2号、更に最長の「虎王トンネル」。
太神楽沢が近くを流れているのでそこからの命名かな。



次のトンネルとの僅かの間の右に「上野ダム」の看板。



そこは小公園風になっていて標石も置かれているが一気にトンネル走行をしている途中なので
立ち寄る人はどの位居るだろうか?



展望場所からダム湖の様子。





続いて「長岩」「手水」「琴音」と短いトンネルが連続して8基の全ては終わり。琴音の
入り口には「あと8K」の表示。



トンネルを出るとダム方面は立ち入り禁止。ここは神流川発電所の入り口とも違う感じ。
大体、神流川発電所は御巣鷹山(御巣鷹の尾根ではない)の地下500mにあるのだ。
解説を読むと「長野県側の上池の南相木ダム湖と群馬県側の下池の上野ダム湖との間で
揚水発電を行う、2県2水系にまたがる大規模な純揚水式発電所である。発電所は
両ダムの間に位置し、地下500mの空洞内部に発電機6台が収められる」と云う事らしい。



ダム用道路が終わると少々程度が落ちる村道を走ることになる。間もなく
「中止の滝」。急斜面への入り口は夏草茫々で今の時期は見物する気にはならない。
ここからの表示は「あと6k」。



やっと下の駐車場に到着して観音像に迎えられる。ここは1.3kの林道延長が完成するまでは
登山の起点で歩行距離2,030m、標高差500m、片道約1時間超の道のりで爺イは大分苦労した
記憶がある。



更に車で登ると上の駐車場。バス一台と神奈川から登山客を運んで来たと云う個人タクシー
の看板をつけたマイクロ、それに一般車で満杯で辛うじて隙間に潜り込む。
登山グループは高天ヶ原山に行くとして出発していったのでその後についてスタート(10.12)。



地元小学生が寄贈しているという登山杖が多く並ぶ登山口。中は直ぐに上野村特有の
深い森なので薄暗く沢沿いの為に湿度が高い。ここからの歩行距離は0.8kで高度差は
180mと言うので年寄りでも何とかなる範囲。



登山道は沢沿いの道。この沢は「長戸沢」の支流かも知れない。



山守地蔵を通過。



「すげの沢のささやき」の碑の前。写真右の石碑は2010年頃没したと聞いたジムバーネット氏が、
すげの沢にて霊感を受けたという記述の石碑。



この登山道には随所に熊よけの鐘があるが、音色が招魂の碑の鐘と似ているので
それを聞くと鎮魂の想いが深まる。



道の大方はこんな歩き易い木枠段が設置されているので大助かり。



二年ほど前の崩落場所は綺麗に整備されていた。



昨年は未だ応急手当でこんなものだったので安定せずに慎重に通過したものだ。



左手の管理小屋から丁度、管理人の黒沢完一さんが出てきた。最近はすっかり顔なじみの
なっているので声を掛けて一緒に歩いて昇魂の碑に向かう。



団体客が多く居る現場に到着(10.50)。高天ヶ原山への登山客が参拝するのを待つ間、



黒沢さんと雑談。今日は午後の団体を含めて応対に忙しいらしい。



空いた所で一枚写真を撮ってもらって黒沢さんと別れて墓銘碑探しに出発。



直ぐ上に「御巣鷹茜観音」。



上の慰霊小屋前を通過して



最上部に近い三人のクルーの碑。爺イは必ずこの碑に線香をあげ、地獄の中で
必死に頑張った方々の労をねぎらう事にしている。因みに当日操縦桿は副機長が
握っていた。それを叱咤する機長の語調に問題ありとして随分と無責任な
評論家や何も航空技術など知らないコメンテーターたちに非難され気の毒だった。



ここからが今日のスタート、これが最上部ではなくもっと奥があるし右サイドに
も墓標がある。一回りして相当数を収録できた。道は狭く険しい箇所もあるが
何時も藪山を這いずり回っている爺イにはさして問題ではない。
13.00を過ぎたので昼食・休憩の為広場に戻る(13.10)。
付近の木立には早くも紅葉か?と思わせる色づき



例のU字溝が目の前に見える。かっての爺イの記録から再録すると
「記録に拠ると123便は羽田を発って房総西岸を南下、大島北方で西に進路を変えた所で
機体の損傷発生、操縦不能の状態で下田から駿河湾を横断して焼津、北上して
富士山西側から大月、大きく機体を右に傾けて急降下しながら上野村に向かう。
丁度、「U字溝」に来た時は既に水平飛行ではなく「垂直」。つまり右翼を下に
左翼を上にして右翼が「U字溝」の山肌を擦って水きり石の様に大きくバウンド、
完全に裏返し状態で御巣鷹の尾根に激突。
其の前にバウンドのショックで中央部からやや下部で機体は二つに折れていた。
前部は前のめりに山に激突して木っ端微塵、中央下部の燃料が爆発。後部は斜面を
滑走してスゲの沢に落ち込んだとのこと」となる。



やがて午後の団体が黒沢さんの先導で登ってきた。JR東日本高崎の新入社員数十名の
一行。同じく乗客の安全を守る立場なのでここに来て墓銘碑を見て気を引き締めるためらしい。
整列して長い黙祷の後、黒沢さんの説明を聞いていた。



説明中の黒沢さん、団体の慰霊登山には度々こうした話をするらしい(13.22)。



一呼吸置いて、残り名簿を見せて相談、すげの沢をもう一度探ったほうが良いと
云われて再出発。やや上部から接近して沢を見下ろす(13.41)。



沢山の墓標が並ぶが特定のものは表示するのを憚るのでこの程度が限度。



かっては広場にあった風車はここに今年から移転して違う雰囲気を作っている。






慰霊小屋周辺も丹念に捜索。



本日の総数が130件になつたし、今日はこれ以上は無理。
さっきの黒沢さんの話では墓銘碑の無い犠牲者は外国人を含めて100人になるかもと
云われているので520-270-130=120となり後は管理人さんに残った不明者の
名簿を預けて所在NOを聞いたほうが良いと判断。帰路に付く。
路傍の地蔵に線香を上げて挨拶して山を下る(14.17)。




駐車場着は14.35、個人タクシーの方と雑談してから車上に。帰路のトンネル前で
又もや交通規制で時間待ち、



途中で道の駅など覗き見してのんびり走行。
楽しみにしていた広島戦は完敗でガックリ。コレでは四位に転落の危険がある。



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お久しぶりです (ちぃ)
2015-09-16 23:48:47
なんとか無事に退院いたしました。
私は85年産まれなので、産まれ年を聞かれると、あ~日航機の年だ。とよく言われるので気になっていました。毎年テレビを見たり、調べたりしていました。爺様のブログも3年前に調べて辿り着きました!高濱機長は私の尊敬する人です。慰霊登山出来ないので毎年詳しくブログあげてくださり、ありがとうございます
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退院おめでとう (爺イ)
2015-09-17 19:11:49
ちぃさん
随分長い入院でしたね。手術が七月初めでしたから
とっくに全快していると思っていました。
事後が大事です! 気長に慎重に療養してください。
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初めまして (NB)
2015-11-29 21:57:52
ブログを拝見し、お尋ねしたいことがありまして、投稿させていただきました。
以前、慰霊登山をした時に、知人の墓標を御巣鷹山で見つけることができず、心残りのままに、下山しました。もし、場所を教えていただけましたら、来年に、もう一度登りたいと思っています。
よろしくお願いいたします。
返信する
re.御巣鷹 (爺イ)
2015-11-30 06:35:13
NBさん
コメント有難うございます。残念ながら収録した400名の
夫々の場所は特定の方のものを除いては記憶しておりません。提案ですが若しかするとお尋ねの友人の墓碑は
既に小生のデジブックCDに入っている可能性が大ですので取り敢えずその画像をご覧になったらどうですか?
方法は二つあります。
1.小生のメールアドレスrsf29380@nifty.comに貴兄から
ご連絡いただければ(携帯・スマホ不可)そのアドレス宛にデジブック専用様式メール添付でデジブックを
貴兄のパソコンへ送れます。
2 貴兄の住所名前をメールで教えていただければ
CDを郵送します(勿論無償)
お尋ねの墓標の方のお名前をメールでお知らせいただき確かに入っていると確認してからの話ですが。
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