安中の山・古標識探し
安中と榛名町の境の山並、丁度長野新幹線のトンネルの上辺りには、地図上で七つの山が連なっている。かって1993年頃、この連山に目をつけた「群馬移動通信」の大塚氏がこれらの「可哀想な山」に頂上標識を付けて廻ったとの記録があつた。高い山には雪が積もり融ける気配も無いので暇つぶしに昔の標識の「今」を数日掛けて確認しに行くことにした。生みの親にも知らせる積りである。
(4)御殿山(400m)ー安中の御殿山と言っても地図にも無いから余程、低山に興味がある人以外は知らないであろう。実は四十七士の元助遺跡の裏山の事である。私も元助遺跡に行った時は知らないでそのまま帰ってきてしまつたので今回改めて行くことにした。又、406号に戻り上里見で烏川を渡らずに406号から離れて直進し、安中・榛名駅への新道を登っていく。大小二つのトンネルをくぐって駅前に出る手前に小さな道が左右から交差し、「元助遺跡」への案内標柱があるからその狭い道を右折して上り詰めると大きな駐車場に出る。ここから遺跡への案内に従って歩き、石仏群の前で岩壁の右端を見ると回り道がうっすらと見える。僅かの急登を過ぎると尾根に出てもう一つ大きな石仏に出会う。
そこから頂上に向かって直登出来そうに見えたが硬く乾き切ったザラ場は杖も刺さらずズルズルに滑って私の靴では登れない。少し周囲を調べると東回りに山の北側に向かう踏み跡があつた。
足の幅一つぐらいに感じる踏み跡は斜面を横切りつつ北に回るが、暫くで予想通り尾根が垂れている個所に到達。御殿山からの尾根道はそのまま北に延びている。北へ行ってもどうせ何処かの林道にぶつかるので探検は帰りにして取り敢えず藪の中を頂上を目指す。すぐに頂上らしき広場に着くが、広場と言っても雑木は切り払われていないので平坦な場所というほうが当たっている。見渡すと樹にはkumoさん(登山仲間の先輩らしい)の古い標識と金属製の小さな標識があつた。大塚氏はkumo標識に敬意を表して自分のものは付けなかったと記録しているので当然の事ながらここには無い。
但し後日kumo標識は腐敗が酷く間も無く落ちてしまうとだけ伝えた。
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安中と榛名町の境の山並、丁度長野新幹線のトンネルの上辺りには、地図上で七つの山が連なっている。かって1993年頃、この連山に目をつけた「群馬移動通信」の大塚氏がこれらの「可哀想な山」に頂上標識を付けて廻ったとの記録があつた。高い山には雪が積もり融ける気配も無いので暇つぶしに昔の標識の「今」を数日掛けて確認しに行くことにした。生みの親にも知らせる積りである。
(4)御殿山(400m)ー安中の御殿山と言っても地図にも無いから余程、低山に興味がある人以外は知らないであろう。実は四十七士の元助遺跡の裏山の事である。私も元助遺跡に行った時は知らないでそのまま帰ってきてしまつたので今回改めて行くことにした。又、406号に戻り上里見で烏川を渡らずに406号から離れて直進し、安中・榛名駅への新道を登っていく。大小二つのトンネルをくぐって駅前に出る手前に小さな道が左右から交差し、「元助遺跡」への案内標柱があるからその狭い道を右折して上り詰めると大きな駐車場に出る。ここから遺跡への案内に従って歩き、石仏群の前で岩壁の右端を見ると回り道がうっすらと見える。僅かの急登を過ぎると尾根に出てもう一つ大きな石仏に出会う。
そこから頂上に向かって直登出来そうに見えたが硬く乾き切ったザラ場は杖も刺さらずズルズルに滑って私の靴では登れない。少し周囲を調べると東回りに山の北側に向かう踏み跡があつた。
足の幅一つぐらいに感じる踏み跡は斜面を横切りつつ北に回るが、暫くで予想通り尾根が垂れている個所に到達。御殿山からの尾根道はそのまま北に延びている。北へ行ってもどうせ何処かの林道にぶつかるので探検は帰りにして取り敢えず藪の中を頂上を目指す。すぐに頂上らしき広場に着くが、広場と言っても雑木は切り払われていないので平坦な場所というほうが当たっている。見渡すと樹にはkumoさん(登山仲間の先輩らしい)の古い標識と金属製の小さな標識があつた。大塚氏はkumo標識に敬意を表して自分のものは付けなかったと記録しているので当然の事ながらここには無い。
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