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クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

旧中山道から御巡幸道路周回 H-19-6-19

2007-06-19 18:47:46 | 安中・松井田
今日は「旧中山道」を散策しながら平行して走る慶長以前と言われる
古道跡を確認してから閉鎖中の「御巡幸道路」を探索する予定。
予想外に空いている18号線を西進、五料の辺から妙義の北面。
何時も見る東面と違って結構な厚みと奥行きに見惚れる(9.33)。

旧道に入り坂本の町並みを通過して登りに掛ってカーブ9が登山口。
バス停・東屋・各種の説明版と盛り沢山。熊野神社まで8.3k
(9.52)。

出だしはいきなりの急登、「堂峰番所」付近の古い石垣を確認しながら
進むと東西に長大に伸びる「刎石山」の北側を巻く登りが始るが、
随所に崩落止めの木枠が新しく設置されていてるので歩き易い。が、
長い登り道。

途中にこんな看板多数

好い加減歩いた積りでも標示はあと7.5k、やれやれこれは大ごとだ。
ヘアピンカーブで大きなケルンと「柱状節理」、これだけ説明付きなら
地質素人の爺イにも十分理解が出来る(10.31)。


ぐるっと回ると何時の間にか今度は南側、大きな石像物が立ち並ぶ。
馬頭観音・大日尊・南無阿弥陀仏の名号搭など。
直ぐ先に「十返舎一九」の謂れがつく「上り地蔵・下り地蔵」の看板があるが
少し下がったところなので看板だけで実物はパス。
やがて「一茶」の句で名所になった「覗」到着。生憎のドンヨリ日和で折角の
坂本宿の見降ろしは薄ぼんやりで残念(10.42)。



大きな北向き馬頭観音をみて昔の街道を実感すると、直ぐ先に風穴がある。
但し、規模は小さくて冷気の噴出も無く、榛名の「鷲の巣・風穴」や
「おんま谷風穴」と比較しては気の毒。
やがてこれも名物の「弘法の井戸」、一体全国にこの名は幾つあるのかな?
確か「蛇喰渓谷」近くにもあったようだな(10.52)。


井戸の水は満々、傍らに汲み上げ用の大きな柄杓まで置いてあるご親切。
石垣の残る「四軒茶屋」看板の所に頂上と書かれていたり


「碓氷坂関所跡」の看板もある。

これは899年の設置と言われ、938年には京都に逃走する「平貞盛」
を追った「平将門」がここを通って上田で追いつき千曲で大合戦をした
とかの言い伝え。但し、関所は940年に廃止(貞盛記)。
前方に見える東屋で休憩。

ここには手製の頂上標識。ん?記載標高が710m。

爺イのナビは814m、国土院地形図で650m等高線から勘定したら線の
数は16本、1/25000だから一本10mとしてやはり710mは怪しいが
設置者が名のある山岳グループなので爺イのナビがぐずっているのかな?
(11.07)
(ベテラン氏の「山と渓谷」にある「群馬の山一覧」には810mとあるので
やはり爺イのナビ標示が正しいらしい。) 

あと、6k地点で「堀切」、

松井田城主・大道寺氏が秀吉の小田原・北条攻めに参陣する景勝・利家の
北陸軍を迎え撃つて奮戦した防御線。この戦いが有名のため
松井田城=大道寺氏と短絡しているが、元を正せばこの城の歴史は古く、
1262年に青砥藤綱による築城とか。其の後戦国前期には諏訪氏の勢力下で
信濃望月一族の望月氏の居城。
1486年頃、上杉顕定全盛時代に犬猿の仲の安中忠親・忠清兄弟に攻められ
「城落ち」。
後に武田の度重なる箕輪攻撃で武田の手に、天目山のあとは一時的に
滝川一益、本能寺の変以後は北条の持城。ここまでの城は極めて小城で
今の「安中曲輪」が本郭で1/4程度。北条から送り込まれた大道寺政繁
が現在の城址規模に増築。
1590年秀吉の北条攻めに参陣する景勝・利家の大軍を迎え撃ったが、政繁は降伏。
小田原への先導役を買って出て延命を図るが戦後に裏切り者・卑怯者として
秀吉に切腹させられている。
余談が長過ぎたがこんな事。
さて、次ぎに再び南・北向き馬頭観音を過ぎると一里塚(11.34)。


ここから左の山に入るとこの街道随一と言われる中世以前の古道遺構。
兎に角凄い、道幅5㍍もあろうか?此れなら二騎並んで進める道だ。
将門は元より武田の軍団、関ヶ原に急ぐ秀忠の大軍団などの馬蹄の響き
が聞こえるようで暫し立ち止まる(11.43)。

間も無くこの古道は「座頭ころがし」で旧中山道に合流、

あと5キロの標示先で「御巡幸道路」入り口。交番のはしりになった
という「栗ヶ原」という派出所跡もある。


巡幸道路は閉鎖状態(12.04)。

折角だから少し足を伸ばして「中山茶屋跡」「山中跡」をみて

其の先の「あと3キロ」

の道標でストップして休憩・昼食。下からは十人ほどの団体、長野側から
二組と結構歩く人がいるものだ。近くに二台目の廃車、こんな看板がある所を
見ると長野側から、ここまでは車で入る人が居るようだ
(12.35-13.07)。

ゆっくり休んでから戻っていよいよ御巡幸道路の探索。入り口付近はこんな
感じで幅広。

蛇行しながら下っていくと左の樹間から目指す「めがね橋」が微かに見える。
(13.40)

おまけに廃線になっている旧信越線の上下二本の鉄橋も。

標識もあるので楽観して進む。

突然、前方が怪しい。赤土の剥き出しに見えるが早くも心配していた崩落沢だ
(13.51)。

近付いてじっくり観察。僅かに腰が残っているので渡れそうだったが、下地の
落ち葉の堆積は水の染み出しで泥濘状態、足首まで泥にはまって散々な目に。
この先に再び帽子付き標識が現われるので

道は間違いではないと確信するが、路面と藪は最悪、其の上に蛇行道が
尾根を回って谷にかかると実に毎回の崩落。
数え切れない回数の崩落現場を一つ一つ慎重に観察して摺り抜けるので
身体の疲れより精神的に参ってしまうが戻れないので兎に角前進。
立入り禁止の意味が良くわかった。最後の崩落を何とか過ぎると

青々とした草叢の幅広道路に出た(14.43)。

野イチゴが一杯。

気を楽にして下ると下に赤い橋を見て呆然。メガネ橋ではなく碓氷湖の橋だ。

何処かで道を間違えたのか?道標も確認して来たし、分岐もなかった筈。
首を捻りながら車道に下りる。目の前にはバイクの並んだ店(14.56)。
出口は標識もないこんなところ。

確か、遊歩道からは喫茶店に見える店だ。すぐ目の前は碓氷湖東端のダム。
ついでの事なので湖入り口から一眺め。

直ぐ脇の2号トンネルを潜って遊歩道を歩き、

看板の所で十八号に戻ると

そこが東屋の駐車場所(15.16)。歴史を満喫はしたが国土院地図の
破線はどうなっているのだろう?

帰宅後、ナビの軌跡を確認して下記のルート図を作った。結論から言えば
途中までは国土院地形図の破線を辿り、碓氷橋の寸前まで来ているが
本来そこから南に下って大きな渓流を渡って碓氷橋への林道に達すれば
良いところを、18号に平行して東進し碓氷湖東端に下山したのだ。
但し、渓流渡りは崩落していて爺イの力量では突破出来そうもないから
結果オーライかも。南に下れなかった要因はナビへのポイント入力の
欠落なのでこれも実力の内か。


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5 コメント

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御巡幸道路に決着 (爺イ)
2007-06-21 19:46:21
松井田町観光協会の「碓氷峠路探訪マップ」を調べたら
爺イの降りてきた2号トンネル先に御巡幸道路の記載があり
破線がはっきりと刎石山西に向かって伸びているのを発見。
今まで御巡幸道路は旧中山道の派出所跡からメガネ橋の間と
思いこんでいたのは、国土院地形図にその間の破線があったことと、某サイトの「碓氷峠への旧中山道詳細地図」にメガネ橋
を起点として破線があり御巡幸道路と記載されていたから。
結論として御巡幸道路は爺イの辿った経路が正しいと
勝手ながら決めこむ事とする。
返信する
明治天皇巡幸道路 (稲葉輝)
2007-07-03 13:42:29
はじめまして。
検索して貴兄のサイトを見つけました。
わたしも先週の土曜日に下からここを通りました。
URLにそのときの記録がありますのでご覧ください。
GPSの軌跡も掲載しています。
貴兄は水平道から九十九折を下ってきた途中から沢筋まで
降りずにそのまま沢沿いに進まれたようですね。
渡河点は3mほどの幅ですぐ上に堰堤がありました。ほとんど2.5万図の通りに道を確認しています。
こんごともよろしくお願いします。
返信する
御巡幸道路 (爺イ)
2007-07-04 11:17:28
稲葉輝様
HP拝見させて戴きました。大変参考になり、御礼申しあげます小生何処から御巡幸道路を外したのか未だに判りませんが、H-16年頃、「かめ」さんなる御仁より碓氷橋から登ったとコメントを戴いた事があります。多分「kame-don」さんと思われます。
「峠道探訪マップ」の2号トンネルからの御巡幸道路破線
について松井田商工観光課に問い合わせしたら、現在の
マップからはこの道路記載を削除したので新作を無償で郵送して呉れるとのことでした。
今後と宜しく。
返信する
Unknown (かめどん)
2007-07-07 20:03:40
お久しぶりです。

「御巡幸道路」行ったのですね^^

「御巡幸道路」って碓氷湖の上までいけるのですね・・・
機会があったら行ってみたいと思います・・・
でも、下から登らないと進入禁止ですよね^^
返信する
御巡幸道路 (爺イ)
2007-07-07 20:21:52
お久しぶり! お元気のようで何よりです。
何の機会だかは忘れましたが、「かめさん」は
「kame-don」さんのことらしいとは感じていました。
本日、安中市から10年前に旧松井田町教育委員会が
作ったと思われる中山道・御巡幸道路・和宮道の地図が
参考までにと送られてきました。あすにでも要点だけ
アップします。
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