クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

松井田散策(2) 五料茶屋本陣ひな人形 H-31- 2-20

2019-02-23 15:07:02 | 安中・松井田
木馬瀬を離れて再びr-33で往路を戻って松井田市街地に向かう。増田川を
渡ると道は大きく左にカーブするがr--33は直進の細い林道風の道で
山手に登り上げていく。
土塩付近の九十九川手前で仙ヶ滝や高戸谷山への道を懐かしく眺めて
トンネル先の西松井田駅前から西進しR-18に合流して五料着。平日の
ためか?先客は一台のみ。
ここは中山道の碓氷峠の近くにある間宿(あいのしゅく)と云われる。
間宿というのは宿場と宿場の中間に設置される宿場に準じた町ではあるが
正式な宿場ではないので、大名の宿泊所である本陣は造れない。代わりに
設置されるのが「茶屋本陣」という休憩所であるとの解説。
五料の茶屋本陣は江戸時代の五料村の名主屋敷で、中山道の茶屋本陣
として参勤交代などで、中山道を通行する大名や公家、幕府の役人などに
休憩所として利用されていたし明治天皇の北陸御巡幸の折には僅かの
時間ではあるがここで休憩された記録がある。

さて、肝心の毎年恒例のひな人形展は関係者のご努力によって
毎年違ったテーマで盛大に開かれているが今年のテーマは
「掛け軸とひな人形」との触れ込み。

順不同ではあるが記録できたものを羅列する。

「お西」の展示は「ハイカラさん」で始まるが大正ロマン華やかなりし
頃の都会の女学生を模した人形。時代を表すように袴に靴の出で
立ちで髪型にも文明開化後の様子が特徴。
(画像左クリックで拡大、元のページに戻るには左上の左向き矢印をクリック)



ここから新しいストーリーが展開する。先ず、ハイカラさん人形の
後ろに掛けられたのは「小野小町」の掛け軸。



小野小町と云えば『清少納言』『紫式部』との三人で三賢女、
柿本人麻呂・菅原道真と共に三歌人であるとともに何よりも
クレオパトラ 楊貴妃と並んで 世界三大美女となれば
理想の女性と云う事で雛祭りの常連。
(但し、世界三大美女に小野小町を入れているのは日本だけの話)

近くの段飾りの二段目、三段目は小町人形のオンパレード。



更に言えばこの小町の掛け軸は「狆」を曳いている。



その狆を拡大するとこんな顔。女性の豪華な色柄の着物姿を
引き立たてるため 毛並も「白黒」に改良された犬種。
犬はお産が軽い事、また幼児の死亡率が高かった時代に
子供の健やかな成長を願う親の思いが育ちやすい犬に結びつき 
ひな人形と一緒に 好まれて飾られる習慣が出来たそうだ。
中でも 狆は日本古来の犬種で、昔から 上流階級で飼われていた。



そして狆引き人形が勢揃い。
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尚、犬は外、猫は家の中で飼う事が常識だった頃、狆は部屋で
飼う抱き犬だったため、犬と猫の中間のものと考えられ 
«けものへん»に«中»と書いて «狆(ちん)»という字になったと云うが
真偽のほどは分からない。

次の間の入口に素戔鳴尊の人形、端午の節句じゃあるまいしと
一瞬思ったがヤマタノオロチ退治は老夫婦の娘の救出劇だから
素戔鳴尊は女性の守護者として雛祭りに飾られるのだろう。
素戔鳴尊画像


次の間は沢山の御殿づくりの周囲に人形多種。御殿飾りは、
京の御所・紫宸殿を模した「御殿」を飾り、そのなかに天皇皇后を
模した内裏雛のお人形を入れるというスタイル。
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膨大なな数の「裃雛」。江戸後期に岩槻市近辺で作られたもので、
大正時代にかけて北関東に広く普及したもの。別名は「座り雛」で
背筋を伸ばし両手はきちんと膝の上、こんなお行儀よく育って
欲しいという親の願いだろう。髪型の「おかっぱ」「ちょんぼり」が
特徴。
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手古舞雛は舞踊の上手な氏子の娘が祭礼の時に踊りを奉納したことが
はじまりだと言われているが男装をした芸妓の祭礼姿で
江戸祭礼の一風俗。花笠をかぶり、金棒を引く芸妓の男姿。

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蚕神の人形も多い。養蚕が盛んだった群馬県では、女の子が
誕生すると、養蚕が上手になるようにと、「衣笠(きぬがさ)様」と
呼ばれる養蚕の神様の雛人形を贈る風習があった。
桑の小枝を手に持った女神・蚕神である。

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背中に蝶の羽根をつけた「胡蝶の舞」は古代中国の胡の蝶蝶をモチーフと
した舞楽。

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如何にも古そうな享保雛。
徳川八代将軍・吉宗の《享保年間》の頃に流行したものだが
この呼び名は明治になって命名されたもので、この名のお雛様が、
享保時代に制作されたわけではない。 この時代は、バブル期のような豪華絢爛な
時代だった為に、雛人形も豪華で、特に女雛は袴えを大きく膨らませ五衣
(いつつぎぬ)を着て、大きな宝冠を被っている。



同じグループの五人囃子と三人官女。



初めて見る珍しい「こっくり雛」、頭を押すとコックリと動くらしいが
壊すといけないので見るだけ。



古今雛(こきんびな)は、江戸後期に江戸で完成された雛人形。
男雛は束帯、女雛は五衣唐衣裳(いわゆる十二単)と上級公家の
正装を模すが必ずしも有職故実に則さず、華麗に仕立てている。
女雛が単の袖を長く出し、垂髪に宝冠を被るのが特徴。



三番叟
翁の舞が、天下泰平を祈るのに対し、三番叟の舞は五穀豊穣を
寿ぐといわれ、鈴を振りながら、荘重かつ飄逸に舞う。


藤娘
塗り笠に藤づくしの衣装で藤の花枝をかたげている姿は人形の定番。



その他
嵯峨の衣装雛 金糸の豪華刺繍が見事。



母子雛
子供を慈しむ母親の心情を表現



何しろ、展示は800体もあるので全てを網羅するのは到底無理。
雰囲気程度でオシマイ。


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オマケ
木曽街道(中仙道)六十九次模写展(お東)ー今村龍太郎描
日本橋から軽井沢までを抜粋。フラッシュが反射するので斜め撮り。

木曽街道(中仙道)模写展抜粋
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