クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

慈眼寺の枝垂れ桜満開 H-30- 3-26

2018-03-27 06:40:58 | 高崎・甘楽・藤岡方面
慈眼寺の枝垂れ桜が満開との話題が巷に満ちて来ているので
何時も花時を外す爺イとしては今年こそと思って花見に出発。
この寺は高崎市内からは極めて分かり易い道筋だ。
田町北信号からR-354に乗って東進すればほぼ一本道。
江木・高関を過ぎてひたすら東へ。下大類東信号で東南に湾曲する
R-354と別れてr-24に乗り換えて北上、次の上滝信号を右折して
最初の信号で再び右折すれば慈眼寺駐車場前に着く。

この寺の難点は花時には混雑が激しく、駐車場に入るのに相当時間もの
路傍での順番待ちを強いられることだ。但し、秘策はある。駐車待ちの
車列を尻目に一寸先に行くと目立たないが墓参者用の駐車場があるので
そこに潜り込めば時間待ちの必要は無くなる。

華敷山補陀落院慈眼寺と云うこのお寺は説明によると1250年の
歴史を持つ、高野山真言宗のお寺。
慈眼とは、観音様の慈悲の目が凡ての人々の上にそそがれるように
との願いを。華敷 (ケフ)とは、春の庭に垂れた枝に咲き競う桜の華が、
地面までも敷きつめる姿を。そして補陀落とは観音様の浄土を
表しているのだそうだ。

大勢の花見客に交じって満開の枝垂れ桜を満喫。その様子は
youyubeで
(途中で止めるには画面左下の縦二本棒をクリック、その途中から再開は
右向き矢印、終了してからもう一度見るには左下に現れる反時計回り
反転マークをクリック)
慈眼寺しだれ桜 


境内その他の見所。

境内案内図



本堂 現在の本堂は昭和58年、52世良雄代に落慶した。間口11,5間、奥行8間、92坪。
本尊は中興開山乗弘大徳により南方の古墳より見出された1寸2分の聖観音。
前仏はこれまで観音堂に納められていた聖観音。



観音堂 詳細は不明、堂前の灯篭に元禄6年奉納とあることから、その頃の建立。
昭和31年に堂全体の解体修理、平成18年に回廊修理が為されている。
現在はかつての本堂前仏である、故松久宗琳氏作の聖観音が祀られている。



大師堂 観音堂と同じく詳細は不明、同時期の建立とされる。
堂内には数体の弘法大師像。



弁天堂 昭和初期、50世良清代に高崎田町より移転した。本堂裏山林内の小塚上。



山門 文政元(1818)年、36世良恵代に造立。格天井の絵画は平成5年に奉納。
周囲の彫刻は一見に値する。山門より南方に参道。



山門の彫刻



山門の格天井



鐘楼 天保12(1841)年、37世覚信代に造営。梵鐘は昭和19年に応召され、
 昭和50年に再鋳。 毎日6時12時18時に衝かれる。



少将桜  前橋城主少将酒井忠清公遺愛の枝垂れ桜。公が慈眼寺の桜を愛し、
 ご自身の位階を取ってこの桜を「少将桜」と名付けた。 別名「夜泣き桜」。



芭蕉句碑 文政7(1824)年の造立。高さ3尺2寸。
      「木の下は しるもなますも さくらかな 翁」



 江原源左衛門重久の墓  市指定史跡。
源左衛門は江戸時代初期に滝川地方の新田開発の中心人物で、
 先祖は武田勝頼の遺臣とされ、父の代より滝川村に土着。この地域を
 開発するために代官伊奈忠次に進言して天狗岩堰の末流を改修し、
 慶長15(1610)年に竣工にこぎつけた立役者。 寛永14(1637)年4月14日寂。



 隠れキリシタンの墓 「延宝元(1673)年7月29日 妙霊禅定尼」と刻まれている。
旧境内地(現・天田氏屋敷)にあった多数の墓石を現在の場所に移した
 際に発見された。



ご来訪の序に下のバナーをポチッと。
登山・キャンプランキング



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 嶺公園の水芭蕉とカタクリ H... | トップ | 桜満開の噂を追いかけて H-3... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

高崎・甘楽・藤岡方面」カテゴリの最新記事