日曜日の朝、庭の草むしりで腰を少し痛めたが、軽度の腰痛は静かに
していないで逆に動かして直すのが爺イ流。
腰痛バンドをがっちり締め、鎮痛剤を飲んで先日の続きで榛名へ。
船尾・水沢・渋川総合公園の満開の桜を見ながらカーフ17の林道入り口に
駐車して五万石へ向う(9.50)。直線距離0.8K。
歩き出して直ぐに五万石の丸い姿、何処からでもどうぞという雰囲気だが
何時もの登山口。
目印の「土砂流出防備保安林」の白杭は間も無く倒れるだろう。
踏み跡から左上に進んでカーブミラーの真上まで来れば道があるので
わざわざ桧幼木の中を通過することは無い。やがて大木の幹にペンキマーク。
どう見ても漢数字の「三ニ」だろう。近くの「山」マークの標石には「三一」。
距離は短いが想像以上の急登を経て五万石に到着で先日の標高値誤記修正。
この標識の裏にはこんなカメの図柄と「H-4-02-11」の日付(10.37)。
これは以前からの主の様な標識だが裏には赤フェルトペンで「KA」と
「94-7-12」の書きこみがある。
何回も来ているのに今回初めて気付いたのがこれ、裏に「04-12-11山行」。
もう1枚は小型の板だが表・裏とも文字消え。
重鎮さんの1996-7-14の記録にあつた達筆標識は無し、当然の事ながら
裏面にある筈の「サル」さんや重鎮さんの書き込みにはお目に掛かれなかった。
直ぐに下山して三角点探し。車でカーブ23の高根展望台、ここの三角点は
国土院記録では展望台の改造時に移転扱いで消えていたが、再び「正常」と
なったので探索。
しかし、現地には三角点は見付らない。車道の反対側にこんなもの。
「BM」とはbench markのことなら「水準点」、1030.964mとの数字入り。
ナビの示す地点にはこんなもの、鍵がつけられ金属円盤、これから金属標設置か?
似たような土台がもう一つ、だがこっちは少し大き過ぎるから展望台用か?
次のターゲットは四等三角点「高原駅」。これは学校敷地内にあるので難物。
ヤセオネ峠の「墨田区立榛名高原学園」前に駐車(11.31)。
正門は閉まっていて立入り禁止だが、門柱右の隙間から構内に侵入。
校舎はペンキも剥がれ大時計も止まっていて荒れ模様、
ナビに従って南に周りこむと困った事に裏の校舎は塀で囲まれている。
裏に回って山裾との細い隙間を探して漸く発見。苔生して文字は全く読み
取れないが間違いは無いだろう。四等・高原駅 1185.34m、「駅」の意味不明。
再び車で湖畔の西、「つるや」先を左折して無料駐車場。着いた途端に
ナビが目的地到着サイン、隅に金属四等・「榛名湖畔」 1099.52m発見。
正面に榛名富士が少し煙って。
今度は戻ってロープウェイ駐車場。33号線にでて「バギーミニランド」の
向いに駐車場と化した「明治百年記念園地」。
その碑文前に金属四等・「沼の原」 1089.41m発見。
ここから対岸左手に掃部と硯岩
その右に左から鬢櫛・ヒトモッコ・烏帽子。
これで三角点の探訪は終了、「三ッ峰山」に向って126号で「唐沢峠」へ。
この「唐沢峠」、国土院地形図には勿論、旧伊香保町・榛名町・箕郷町地図には
峠名の記載は無く「群馬県万能地図」に載っている。だが、ここを通る
関東ふれあいの道の説明とか「300山」では「七曲峠」となつている。
峠の広場に駐車、脇にある案内図には矢張り「七曲峠」と明記。
これから登る三ッ峰山。
車道からこの木段を経て遊歩道をダラダラ登り(12.36)。
0.3k地点の標識を過ぎて南に大きく旋回すると数基のベンチ、その先に
新しい登山口道標。登り25分、下り15分と書かれている。昔の道標には
往復30分と書かれていて顰蹙をかったものだが(12.54)。
かっては判り辛かった笹原も十分踏まれているし適当に道標もついている。
最初のコブに難渋しながらやっとの事で唐松キャンプ場へ抜ける西コース
との分岐。ここが通称三ッ峰山西峰だ。あとは東へ93mで雑木に被われた
頂上、石宮と標識一枚(13.22-13.59)。
早速修復作業開始、修復前
修復後
石宮のお賽銭が少ないので一式取り揃えて奉納、年金も目減りしたので
500円玉は勘弁してもらう。
「箕輪別当金剛院」の石宮前で本日の爺イ。
昼食・休憩の後、登山口へ戻るが最後の登り返しにやや苦戦(14.16)。
全て終了で峠から126号線で帰宅、沿線は正に花街道。
腰痛の事は忘れていたから爺イには荒療治が適しているらしい。
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していないで逆に動かして直すのが爺イ流。
腰痛バンドをがっちり締め、鎮痛剤を飲んで先日の続きで榛名へ。
船尾・水沢・渋川総合公園の満開の桜を見ながらカーフ17の林道入り口に
駐車して五万石へ向う(9.50)。直線距離0.8K。
歩き出して直ぐに五万石の丸い姿、何処からでもどうぞという雰囲気だが
何時もの登山口。
目印の「土砂流出防備保安林」の白杭は間も無く倒れるだろう。
踏み跡から左上に進んでカーブミラーの真上まで来れば道があるので
わざわざ桧幼木の中を通過することは無い。やがて大木の幹にペンキマーク。
どう見ても漢数字の「三ニ」だろう。近くの「山」マークの標石には「三一」。
距離は短いが想像以上の急登を経て五万石に到着で先日の標高値誤記修正。
この標識の裏にはこんなカメの図柄と「H-4-02-11」の日付(10.37)。
これは以前からの主の様な標識だが裏には赤フェルトペンで「KA」と
「94-7-12」の書きこみがある。
何回も来ているのに今回初めて気付いたのがこれ、裏に「04-12-11山行」。
もう1枚は小型の板だが表・裏とも文字消え。
重鎮さんの1996-7-14の記録にあつた達筆標識は無し、当然の事ながら
裏面にある筈の「サル」さんや重鎮さんの書き込みにはお目に掛かれなかった。
直ぐに下山して三角点探し。車でカーブ23の高根展望台、ここの三角点は
国土院記録では展望台の改造時に移転扱いで消えていたが、再び「正常」と
なったので探索。
しかし、現地には三角点は見付らない。車道の反対側にこんなもの。
「BM」とはbench markのことなら「水準点」、1030.964mとの数字入り。
ナビの示す地点にはこんなもの、鍵がつけられ金属円盤、これから金属標設置か?
似たような土台がもう一つ、だがこっちは少し大き過ぎるから展望台用か?
次のターゲットは四等三角点「高原駅」。これは学校敷地内にあるので難物。
ヤセオネ峠の「墨田区立榛名高原学園」前に駐車(11.31)。
正門は閉まっていて立入り禁止だが、門柱右の隙間から構内に侵入。
校舎はペンキも剥がれ大時計も止まっていて荒れ模様、
ナビに従って南に周りこむと困った事に裏の校舎は塀で囲まれている。
裏に回って山裾との細い隙間を探して漸く発見。苔生して文字は全く読み
取れないが間違いは無いだろう。四等・高原駅 1185.34m、「駅」の意味不明。
再び車で湖畔の西、「つるや」先を左折して無料駐車場。着いた途端に
ナビが目的地到着サイン、隅に金属四等・「榛名湖畔」 1099.52m発見。
正面に榛名富士が少し煙って。
今度は戻ってロープウェイ駐車場。33号線にでて「バギーミニランド」の
向いに駐車場と化した「明治百年記念園地」。
その碑文前に金属四等・「沼の原」 1089.41m発見。
ここから対岸左手に掃部と硯岩
その右に左から鬢櫛・ヒトモッコ・烏帽子。
これで三角点の探訪は終了、「三ッ峰山」に向って126号で「唐沢峠」へ。
この「唐沢峠」、国土院地形図には勿論、旧伊香保町・榛名町・箕郷町地図には
峠名の記載は無く「群馬県万能地図」に載っている。だが、ここを通る
関東ふれあいの道の説明とか「300山」では「七曲峠」となつている。
峠の広場に駐車、脇にある案内図には矢張り「七曲峠」と明記。
これから登る三ッ峰山。
車道からこの木段を経て遊歩道をダラダラ登り(12.36)。
0.3k地点の標識を過ぎて南に大きく旋回すると数基のベンチ、その先に
新しい登山口道標。登り25分、下り15分と書かれている。昔の道標には
往復30分と書かれていて顰蹙をかったものだが(12.54)。
かっては判り辛かった笹原も十分踏まれているし適当に道標もついている。
最初のコブに難渋しながらやっとの事で唐松キャンプ場へ抜ける西コース
との分岐。ここが通称三ッ峰山西峰だ。あとは東へ93mで雑木に被われた
頂上、石宮と標識一枚(13.22-13.59)。
早速修復作業開始、修復前
修復後
石宮のお賽銭が少ないので一式取り揃えて奉納、年金も目減りしたので
500円玉は勘弁してもらう。
「箕輪別当金剛院」の石宮前で本日の爺イ。
昼食・休憩の後、登山口へ戻るが最後の登り返しにやや苦戦(14.16)。
全て終了で峠から126号線で帰宅、沿線は正に花街道。
腰痛の事は忘れていたから爺イには荒療治が適しているらしい。
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