およそ70台もの車が接触事故と、ニュース映像だと、三つぐらいの集団になったようですが、一度に発生した、大変なニュースです。日本付近は冬型の気圧配置が強まり、北日本や北陸を中心に大荒れの天気という状況に、霧がかさなったようですが、お見舞い申します。ブログは、アクセス数が増えました。どうもありがとうございます。この間から、ちょっと報告をしています。次のようです。
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鬼は、おぬ、から、転訛したという説があります。古い辞書、倭名抄に見えるとか、おぬ、は、隠れて人の目に見えないもののようですが、目に見えなければ、形を見ないのですから、どうしてあのような姿になって表れるのでしょう。その姿は、風土記などに一つ目として描かれ、具体的な姿形として、大鏡にも出てくるようです。そういえば宇治拾遺物語の瘤取り爺さんの話に出てくる鬼は、なんだか愛嬌あるものと連想しがちですが、その後、後世に神社仏閣で出てくるような形相をした鬼は、どこでどういう風に作られてくるのでしょう。古今著聞集に見える鬼が、八尺、九尺もあって、いまの3メートルにもなる大きさです。色も目鼻も、創造の、いや想像の限りのように作られているようです。
歴史の記録書には、鬼もまた、神であったようです。鬼神とか、逆神とか、いずれも、あしきかみ、あしきもの、のようです。しかし、キシンと言えば、おにがみ、すなわち、鬼神は、実は精霊というとらえ方ができます。中国語の鬼はそもそも、そういうものであったようです。それは、たましい、魂魄としてのとらえ方があります。鬼籍に入る、と言って、死んで別の世界に行くことを表しています。それは、天と地にある間のことでまださまよう状態のことです。場合によっては、魂は天へと向かわずに、そこにとどまって、人々いたずらをします。鬼が、鬼であるのは、人間の気持ちのあらわれでもあるわけです。ただ、 人間と神の間に存在する、その鬼は悪行をしたとか、善を積んでいないとか、そうして疎まれる代わりに、また、その恐ろしさのゆえに、あがめられもするのです。なぜ恐ろしいか、知る人が知ることになります。
もう一つ、ここで触れておかなければならない鬼がいます。それは赤鬼、青鬼としてなじみがある、かどうか知りませんが、牛鬼、馬鬼もいますが、もっとこわいのが、仏教の渡来とともに餓鬼とか邪鬼とか、地獄にいる鬼としてとらえられたものたちです。平安時代とそれ以前からの護国思想に加えて、末法をとらえる浄土思想がこれらの鬼の存在を強調することになります。民俗的な鬼はいろいろに脚色を受けることにもなるようです。もののけ、というと、鬼とは関係しそうにないようにも思いますが、物が、、ほかに、もののふ、ということもあるように、モノとは、精神のことをも示し、魂でもあるので、それが怪しいわけですから、前のところで述べた、天にいかない鬼の状態でもあるわけです。仏教のほかに陰陽道もこれにかかわりますから、ちょっとややこしくなります。
鬼門と言いますが、陰陽でしめすところの、ある方角、うしとらだそうですが、そこに鬼が集まってくるというので、よくないとされることが多いのですが、そこに向かない、いかない、とする考え方は、東北のほうから睨み据えた、つまりは南の方から入ってくる春の風があるからで、その春一番はいまでも黄塵であり黄砂であるわけで、それは嵐のように吹いてくるのは地勢で仕方がないことなので、その出ていく方向を考えよ、というようなことでもあるわけです。鬼門には、言われますが、とくに悪いところではなさそうです。
このさまざまな、といっていいでしょうか、まだありますが、あとひとつは、大江山の酒呑童子の話でしょうか、鬼サミットとか、鬼博物館とか、鬼の故郷としての村おこしが盛んです。
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歴史の記録書には、鬼もまた、神であったようです。鬼神とか、逆神とか、いずれも、あしきかみ、あしきもの、のようです。しかし、キシンと言えば、おにがみ、すなわち、鬼神は、実は精霊というとらえ方ができます。中国語の鬼はそもそも、そういうものであったようです。それは、たましい、魂魄としてのとらえ方があります。鬼籍に入る、と言って、死んで別の世界に行くことを表しています。それは、天と地にある間のことでまださまよう状態のことです。場合によっては、魂は天へと向かわずに、そこにとどまって、人々いたずらをします。鬼が、鬼であるのは、人間の気持ちのあらわれでもあるわけです。ただ、 人間と神の間に存在する、その鬼は悪行をしたとか、善を積んでいないとか、そうして疎まれる代わりに、また、その恐ろしさのゆえに、あがめられもするのです。なぜ恐ろしいか、知る人が知ることになります。
もう一つ、ここで触れておかなければならない鬼がいます。それは赤鬼、青鬼としてなじみがある、かどうか知りませんが、牛鬼、馬鬼もいますが、もっとこわいのが、仏教の渡来とともに餓鬼とか邪鬼とか、地獄にいる鬼としてとらえられたものたちです。平安時代とそれ以前からの護国思想に加えて、末法をとらえる浄土思想がこれらの鬼の存在を強調することになります。民俗的な鬼はいろいろに脚色を受けることにもなるようです。もののけ、というと、鬼とは関係しそうにないようにも思いますが、物が、、ほかに、もののふ、ということもあるように、モノとは、精神のことをも示し、魂でもあるので、それが怪しいわけですから、前のところで述べた、天にいかない鬼の状態でもあるわけです。仏教のほかに陰陽道もこれにかかわりますから、ちょっとややこしくなります。
鬼門と言いますが、陰陽でしめすところの、ある方角、うしとらだそうですが、そこに鬼が集まってくるというので、よくないとされることが多いのですが、そこに向かない、いかない、とする考え方は、東北のほうから睨み据えた、つまりは南の方から入ってくる春の風があるからで、その春一番はいまでも黄塵であり黄砂であるわけで、それは嵐のように吹いてくるのは地勢で仕方がないことなので、その出ていく方向を考えよ、というようなことでもあるわけです。鬼門には、言われますが、とくに悪いところではなさそうです。
このさまざまな、といっていいでしょうか、まだありますが、あとひとつは、大江山の酒呑童子の話でしょうか、鬼サミットとか、鬼博物館とか、鬼の故郷としての村おこしが盛んです。