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源氏の物語 16 難しい

2015-12-09 | 源氏のものがたり
源氏物語を難しいという。難しさはどこにあるか。古典文学のことである。日本文学の古典が古典であること、そのものの捉え方にある。古典が古典であるとは何を意味するか。難しいとすればそれを解き明かさなければならない。古典を通常、古い時代に著された、立派な内容の書物とすれば、その立派さが問われてくる。それが難しいのであろう。また、過去の時代に作られ、長年月にわたる批判に耐えて伝えられ、現代でも文化的価値の高いもの、特に文芸作品とするならば、源氏物語はまさにそういうことであろうから、古典の難しさはどこにあるか。読解のむずかしさが古典語のゆえであるなら、日本語の古語として学ぶべき難しさということになる。解釈のむずかしさをあげればそれは時代のこと、その背景、文化の理解にある難しさだろう。その困難を超えててなお、源氏物語が難しいとなれば、それは実は、古典として立派な書物であるということへの疑問であるし、またさらには、批判に耐えた作品ということへの評価の仕方であろう。しかし、藤原氏の時代に源氏をもって物語とし、それはまた王室のサロンで語り伝えられたと理解するなら、そこにむずかしさの根底にあるものが見えてくる。物語の時空にある人と人のこと、そこにおこることがらにまつわること、これが実は、驚天動地なのである。



ウイキペディア、古典の項より

近代以降における日本(日本語)の「古典」という概念は古代中国に源流を持つ漢語の「古典」と古代ヨーロッパに源流を持つ「クラシック」という、由来も示している範囲も異なってはいるものの、類似した性格を持った二つの言葉・概念を融合させたものである。
古代中国における「古典」とは、もともとは単なる古い書物を意味するのではなくそこに書かれている「礼」(儀式の手順・方式)を意味する言葉であった。早い時期の使用例としては春秋左伝の注や後漢書儒子伝のものなどがある。やがて四書五経など中国古代の聖人たちの著作を示す言葉になり、時代とともにその指し示す範囲が広がってきた。
日本における「古典」という語の早い時期の用例としては「太平記」のものがあり、そこでは中国の古典を指している。その後も日本での「古典」とは中国における「古典」と同じ「四書五経」をはじめとする古代中国の聖賢たちの書物を指す言葉として使われており、日本国内で日本人によって著された作品を指すことは無かった。源氏物語などはすでに平安時代末期には歌作において「源氏見ざる歌詠み遺恨の事なり」などとして現代的な意味での古典に類する地位を与えられていたが、これら日本の作品が「古典」と称されることは無かった。江戸時代に生じた日本の歴史と伝統を重んじた国学では、古事記など日本の伝統の尊重という観点から重要視すべき書物を指すときには、「古典」という漢語を避けてもっぱら「ふるきふみ」や「ふることぶみ」などといった和語的な表現を使用しており、明治時代以降はこれらの「日本の古典」に対してしばしば「国典」という表現を使用している。
英語の「クラシック」及び西欧諸語における「クラシック」と同じ意味の言葉は、もともとすべてラテン語に由来している。もともとは「クラス」(階級)を意味した言葉がさまざまな言語において普遍的に見られる意味の転化により「最上の階級」を意味する言葉になったと考えられている。早い時期の使用例としては130年ころ、ラテン語の著作で古典ギリシャ時代の賢人たちの著作をさして用いられている。その後も「クラシック」という語は主として古代ギリシャ・ローマ時代の作品に対して用いられてきており、明治時代の英和辞典でも「主としてギリシャ・ローマ時代に名著に用い、それ以外のものに使うこともある。」とされている。
明治時代以降の日本語における「古典」とは、上記のような中国語の「古典」と欧米語の「クラシック」という、そもそもの由来も指し示す範囲も異なるものの、類似した性格を持った二つの言葉・概念を融合させたものである。



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