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見れる、見られる

2014-05-12 | 日本語あれこれ百科
56 ら抜き言葉はいつかっらあるの

ら抜き言葉と言うのは、見る動詞を、可能形にする、見れる という変化である。
規範の用法は、見られる となる活用変化である。

れる、られる助動詞を動詞の活用の種類によって下接させる。
その規則を類推して、見る、食べる動詞を、見れる、食べれる、のように使う。

歴史的な使用例を検索すると、大正時代の地方での使用を記述するものがあると、レファレンス事例詳細(Detail of reference example)として見られる。

方言の変化をもつならば、それは標準的な規範の言い方になるかどうか、いわゆる共通語としての使用例を見出そうとすることになる。

しかし方言の歴史をたどることは困難である。中央に伝播したか、それを運んだ人、つまり首都圏に移動した人がつたえたのはいつか、というようなことである。





「ら抜き言葉」についてそのはじまり、歴史を解説してある資料は ...
crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000071681
日本語文法がわかる事典』(東京堂出版 2004)p286~p287に項目として解説あり。 この項目の補説に、“ラ抜き言葉はすでに大正時代、地方で用いられていて、昭和初期には東京山の手で用いられ始めていた。1950年代以降急速に広まり・・・”とあり、 ...

http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000071681
>『日本語文法がわかる事典』(東京堂出版 2004)p286~p287に項目として解説あり。
この項目の補説に、“ラ抜き言葉はすでに大正時代、地方で用いられていて、昭和初期には東京山の手で用いられ始めていた。1950年代以降急速に広まり・・・”とあり、また“1955年版の国語審議会の中間報告にラ抜き言葉が取り上げられているが、「現時点ではラ抜き言葉は認めない」とされた”と解説されている。
その他、『勘違い敬語の事典』(東京堂出版 2007)より「第9章“ら抜き型”を考える」、『国会会議録を使った日本語研究』(ひつじ書房 2008)より「東京出身議員の発話に見る「ら抜き言葉」の変異と変化」、『日本語はなぜ変化するか』(1999 笠間書院)(全般的に変化の歴史を解説。ら抜き言葉の文法変化ついてはp51~p53、p230~p245で詳しく解説されている)をその他の資料として紹介する





「ら抜き言葉」について - 黌門客
d.hatena.ne.jp/higonosuke/20121231
2012/12/31 - いわゆる「ら抜き言葉」をあつかったもので、北村氏はこれを、「今は、少くとも文章語としては『食べられる、出られる、来 .... また小松英雄『日本語はなぜ変化するか―母語としての日本語の歴史』(笠間書院1999)は、「ら抜き言葉」をメインに ...

> 「ら抜き」が広まってきた経緯をたどると、昭和二〇年代にはすでに登場していたという記録がある。一九五一(昭和二六)年、ラジオのクイズ番組「二十の扉」で回答者が「それは見れますか?」と言っているのは気になるという意見が雑誌『言語生活』の投書欄で紹介されている。(略)「ら抜きことば」にはそれなりに合理的な側面があるとも言われる。「れる」「られる」は、可能、受身、尊敬、自発の四つを表す助動詞である。「来られる」は「来ることができる」という可能性のほか「先生が来られる」という尊敬の意味も表す。これに対し「来れる」は「来ることができる」という可能の意味だけをわし、受身や尊敬には使われない。可能の場合は「れる」の方が合理的だというのである。
(加藤昌男『テレビの日本語』岩波新書2012:73-74)

ら抜き表現が「日本語の乱れ」として議論が起こったのは1990年代、私の高校生時代だった。(33歳男性,2010.7.29付「朝日新聞」大阪版)

 「(ら)れる」はお〈受身〉〈尊敬〉〈自発〉〈可能〉の意味を表す助動詞であるが、「(ら)れる」という同一の形式が使われると、たとえば「先生は学会には行かれないそうだ」が〈尊敬〉なのか〈可能〉なのかが不明であるように、実際の言語活動において支障をきたすことがある。しかし、可能動詞を使えば、「先生は学会に行けないそうだ」となり、〈可能〉の意味を明示することができる。動詞が助動詞「(ら)れる」を付加することで〈可能〉を表すことによって生じる不都合を、動詞が可能動詞という〈可能〉専用形態を持つことによって解消できるのである。可能動詞の発生・定着という現象は、そうした不都合をなくす方向での動詞形態の歴史的変化と考えられる。
 こうした可能動詞化の流れが、五段活用動詞だけにではなく、一段活用動詞やカ行変格活用動詞(「来る」)にまで及んできたのが、「ら抜き言葉」の出現であるといえる(サ行変格活用の「する」は、「できる」が〈可能〉を表す語形である)。
(須賀一好「ら抜き言葉」 北原保雄監修『岩波日本語使い方考え方辞典』岩波書店2003:463)

 それ(「ら抜き言葉」―引用者)が全二十巻の『日本国語大辞典』に取り入れられたときは批判的な意見の方が多かったと思う。用例文をもとに語釈をほどこすという記述辞書の使命として、葛西善蔵や川端康成の例文を添えての扱いは当然であったが、そこには本来「来られる」「見られる」であるが云々という注記があった。(略)
 この“ら抜き言葉”は短い言葉から定着しつつあって、「来れる」「見れる」に「着れる」「出れる」が続いて、さらに「食べれる」などの二拍を語幹とするものが予備軍として控えている。しかし、それ以上長くなるとどうだろうか。「考えれる」なんて、ちょっと考えられない。しかし、“ら抜きの(ママ)言葉”のとがめだては逆の現象を生み、「…は使えられない」などという“ら入れ言葉”が登場し、若い女性アナウンサーの声で聞くことがある。(倉島長正『正しい日本語101』PHP文庫1998:192←1996東京新聞出版局)
「ら抜きことば」とは、「見れる」「出れる」「食べれる」「起きれる」のたぐいだが、これらは一度に出てきたのではなく先後の順があり、「見れる」は明治の東京の最高級の家庭にすでにあったのだろう、と思うのである。
(高島俊男「見れます出れます食べれます」1996.3.7『お言葉ですが…』文春文庫1999:239←1996)

れる《助動》五段活用動詞での(3)の言い方(「可能」の意味で用いられる表現―引用者)は、現在では普通「読める」のような形で言う。
(西尾実・岩淵悦太郎・水谷静夫編『岩波国語辞典【第四版】』岩波書店1986年第1刷,1991年第7刷)
れる《助動》五段活用での(3)の言い方は現在では普通「読める」などのように可能動詞で表現することが多い。また最近「見れる」「着れる」「来(こ)れる」「食べれる」など、ら抜き言葉(意図的に抜くのでないから適切には「ら抜け言葉」と呼ぶべきか)として話題になる現象は、かなり前から(3)の意に限って、主に語幹が一音節の場合に見られる。
(同前『岩国【第五版】』岩波書店1994年第1刷,1997年第3刷)*2

 可能の意味の「見れる」は昭和の初期にすでに登場していたらしいが,一般に注目されるようになったのは太平洋戦争前後である。(略)
 今では,この「ら抜き」表現はまったく普通のものになっている。「見れる」「食べれる」のほか,「出れる」「着れる」「逃げれる」「生きれる」「起きれる」等々,数だけで言えば,「~られる」と言う人のほうがむしろ少数派かもしれない。
それだけに,むげに間違いとして退けるには,ある程度の勇気がいるが,現在,NHKは,一段活用やカ変の動詞から出た「見れる」「出れる」「来れる」のような言い方は適当とは言えない,という態度をとっている。
 なぜか。これは「見る」「食べる」といった個々の動詞の問題ではなく,一段活用の動詞の可能形がすべて「~られる」→「~れる」になるという組織的変化の問題だと考えられる。しかし,それにしては,変化がまだ十分組織的なものになっていない。つまり,人によっては「ら抜け」表現をまったく用いないばかりか,強い抵抗感さえ抱いている。また,「見れる」「食べれる」と言う人でも,「あきらめれる」「取りまとめれる」と言うとは限らないのが現状である*3。
(NHK放送文化研究所編『NHK ことばのハンドブック』日本放送出版協会1992第1刷→1999第9刷:357)

 日常の言葉づかいなどの中で、国語の乱れを心配している人が7割以上もいることが、27日付で総理府が発表した「国語に関する世論調査」の結果、明らかになった。一方、「食べられない」を「食べれない」というなどの、いわゆる「ら抜き言葉」が、文法上は誤りとされているにもかかわらず、6割近くの人が「気にならない」としており、若い層ほど自然な語法と感じている。
 調査は今年6月、全国の20歳以上の男女3000人を対象に面接方式で実施した。有効回収率は76.1%だった。
 「日常、世間で使われている言葉づかいなどからみて、今の国語は乱れていると思うか」との問いに、乱れているとの認識を示した人は「非常に」「ある程度」を合わせて74.7%を占めた。全般的に女性の方がその意識が強く、なかでも40代の女性は82.6%と、最も高い数値。逆に最も少ないのは20代男性で59.2%。
 乱れていると思う点では「話し方」72.4%、「敬語の使い方」67.3%、「あいさつの言葉」51.9%(複数回答)などが目立つ。また、「従来は文法上誤った用法とされてきた」(文化庁国語課)ら抜き言葉については、「見られる」「食べられない」「出られる」「起きられない」の4例を挙げて、気になるかどうかを調査した。「気にならない」は57.9%で、「気になる」は40.1%だった。
 「気にならない」人は、20代で74.6%、60歳以上で50.4%。また北海道や北陸地方で70%を超えたのに対し、関東地方では50%を切るなど、地域的な偏りも明らかになった。
 敬語については、今後も「必要と思う」人が93.7%。その理由では「尊敬する気持ちを表せる」68.4%、「けじめをつけることができる」50.1%、「人間関係を円滑にすることができる」45.9%が多い(複数回答)。「必要だとは思わない」とする理由では、「よそよそしい感じがする」が41.0%で最も多く、次いで「複雑でわずらわしい」「形式よりも個性的な表現を優先したい」だった。
 ○文法に変化は自然の流れ
 文部省の国語審議会委員で歌人の俵万智さんの話 敬語についての答えに見られるように、言葉に込められる心が大事だという考え方が回答の全体からうかがえ、すてきなことです。
 ら抜き言葉が気にならない人が、これほど多いとは思わなかった。私は活字で見ると気になるが、話し言葉ではその方が発音しやすく、理解できる。文法があって日本語が作られたのではなく、日本語を観察して作ったのが文法であり、変わっていくのは自然の流れです。(1992.9.28付「朝日新聞」)

 実は、この言い方は、松下大三郎という、日本語を深く研究した文法学者の『標準日本文法』という本(今から七十年も前の一九二四年出版)にすでに注意されています。
 「起キレル」「受ケレル」「来レル」という言い方は、「平易な説話にのみ用い、厳粛な説話には用いない」とその本にあります。
大正の末、昭和の初めには実際に方言として使われていたようで、小林多喜二の『蟹工船』(一九二九年)に「過労のためだんだん朝起きれなくなった」とあります。
 この言い方は東京ではむしろ山の手にあったようで、下町の深川の育ちの私など耳にしたことはなかったと記憶します。(略)
本来、ラレルという助動詞は、受け身、尊敬、可能、自発という四つの役割を負っています。そこで、見ラレル、起キラレルという表現を、もっぱら尊敬表現のほうに使うことにして(これには戦後、文部省が、尊敬にはレル、ラレルを使うと導いたことも関係があるでしょうが)、可能を分離し、レル形の見レル、起キレルにもっていく。こういう一種の役割分担による表現の明確化の意向が、人々の間に潜在的に働いていると私が感じていることもあるのです。*4
(『大野晋の日本語相談』朝日文芸文庫1995:26-31←1986~1992「週刊朝日」連載を再構成。のち2002年朝日新聞社(現朝日新聞出版)から復刊)

 一枚のメモに、
でれない 大正15・10・9
小林多喜二日記
とあった。(略)
 要するにこのメモは、多喜二の日記の、大正の記事に、「出れない」という用例があった、ということの記録である。
見れる・見れないという、破格な文法の、いわゆる乱れたことば遣いは、昭和三十年代から、耳につくようになったという記憶があるが、(略)メモによると、
 大会にも来れない 昭25・9・24 三笠宮 朝の訪問
とあって、すでに昭和二十年代に、三笠宮がNHKの放送で、これない、と言っておられたのである。
 見れないは、昭和十年か十一年の、川端康成の書いたものにある、というが未確認である。それにしても多喜二の例ははなはだ古い。
(池田彌三郎「日記から―『でれない』」 1975.8.4付「朝日新聞」夕刊東京版)

(「見れる」「出れる」などが誤りと見なされる―引用者)理由は、
(1)可能動詞は、四(五)段活用の動詞の仮定形から派生するものに限って認められ(読む→読める 書く→書ける等)「見る」「出る」のような上一段・下一段活用の動詞には認められない。
(2)可能の意味を表す助動詞「れる」は四段(五段)活用とサ行変格活用の動詞にだけ接続し、その他の活用をする動詞(上一段・下一段・カ行変格)には「られる」が接続する。
とされているからである。(略)ほとんどの国語辞書においても、「見れる」「出れる」などを公認したものはない。(ただ、わずかな例外として、比較的最近に出た一、二の辞書では、「来れる」を独立項目として掲げ、川端康成の「雪国」の用例「よそを受けちゃった後で、来れやしない。」を引用したものがある。これは「来れる」を「来る」に対する可能動詞として正式に認めたことを意味している。)
(文化庁編『言葉に関する問答集【総集編】』(旧)大蔵省印刷局1995:540,『言葉に関する問答集』第1集;1975.5.1初出)



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