日本語文法論議23726
日本語文法で日本語には文という規定がなかった歴史経緯から、それを振り返る議論はほとんど見られないが、なかには文とは何かを議論していて、そこには文法論には文ありきだったようすがある。文の議論にまして文章の議論は文法論では行われない。といっても、文論は確かであるし、文章論は学校教育用文法で実践法となっているのは、ひいては日本語教育の文章論の議論展開が見られるのも、時枝学説の継承に置いてのことで限られているかに見える。
日本語の文章は中国語の文章と対照されるべきところのもの、中国文章論には古典漢文の文章の影響を受けている国語があるのでそれは漢文学になっている。
ここで文論の議論では必ずしも解決してこなかった日本語の文という単位について文を文章の構成単位と見る視点から日本語文法が見えてくる。文の成分としてきた国語、文の必須要素とのかかわりで英語文法の影響、文節を単位にとらえられない外国語文法かたち、主語と主題の日本語文の解釈、文における省略表現とされてきたことなどなど、ここに文と文章での単位に見る日本語の意味内容を持つひとつひとつを積みなおしていかなければならない。