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源氏の物語 17 筆致

2015-12-11 | 源氏のものがたり
物語を読むと、それなりに浮かび上がる源氏の苦悩である。物語をテクストにしてその筋立てが語られる。かつてその場面を描く絵巻に源氏のすべてがあると思った。その本文を見出して、抱き出でたてまつらせたまひ  という、抱き取りたまへば  という、いと心やすくうち笑みて、つぶつぶと肥えて白ううつくし  である。


原文

例の、中将の君、こなたにて御遊びなどしたまふに、抱き出でたてまつらせたまひて、
 「御子たち、あまたあれど、そこをのみなむ、かかるほどより明け暮れ見し。されば、思ひわたさるるにやあらむ。いとよくこそおぼえたれ。いと小さきほどは、皆かくのみあるわざにやあらむ」
 とて、いみじくうつくしと思ひきこえさせたまへり。
 中将の君、面の色変はる心地して、恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、かたがた移ろふ心地して、涙落ちぬべし。もの語りなどして、うち笑みたまへるが、いとゆゆしううつくしきに、わが身ながら、これに似たらむはいみじういたはしうおぼえたまふぞ、あながちなるや。宮は、わりなくかたはらいたきに、汗も流れてぞおはしける。中将は、なかなかなる心地の、乱るやうなれば、まかでたまひぬ。



御乳母たちは、やむごとなく、めやすき限りあまたさぶらふ。召し出でて、仕うまつるべき心おきてなどのたまふ。
 「あはれ、残り少なき世に、生ひ出づべき人にこそ」
 とて、抱き取りたまへば、いと心やすくうち笑みて、つぶつぶと肥えて白ううつくし。大将などの稚児生ひ、ほのかに思し出づるには似たまはず。女御の御宮たち、はた、父帝の御方ざまに、王気づきて気高うこそおはしませ、ことにすぐれてめでたうしもおはせず。
 この君、いとあてなるに添へて、愛敬づき、まみの薫りて、笑がちなるなどを、いとあはれと見たまふ。思ひなしにや、なほ、いとようおぼえたりかし。ただ今ながら、眼居ののどかに恥づかしきさまも、やう離れて、薫りをかしき顔ざまなり。


現代語訳

 いつものように、中将の君が、こちらで管弦のお遊びをなさっていると、お抱き申し上げあそばされて、
 「御子たち、大勢いるが、そなただけを、このように小さい時から明け暮れ見てきた。それゆえ、思い出されるのだろうか。とてもよく似て見える。とても幼いうちは皆このように見えるのであろうか」
 と言って、たいそうかわいらしいとお思い申し上げあそばされている。
 中将の君は、顔色が変っていく心地がして、恐ろしくも、かたじけなくも、嬉しくも、哀れにも、あちこちと揺れ動く思いで、涙が落ちてしまいそうである。お声を上げたりして、にこにこしていらっしゃる様子が、とても恐いまでにかわいらしいので、自分ながら、この宮に似ているのは大変にもったいなくお思いになるとは、身贔屓に過ぎるというものであるよ。宮は、どうにもいたたまれない心地がして、冷汗をお流しになっているのであった。中将は、かえって複雑な思いが、乱れるようなので、退出なさった。

 御乳母たちは、家柄が高く、見た目にも無難な人たちばかりが大勢伺候している。お呼び出しになって、お世話申すべき心得などをおっしゃる。
 「ああかわいそうに、残り少ない晩年に、ご成人して行くのだな」
 と言って、お抱きになると、とても人見知りせずに笑って、まるまると太っていて色白でかわいらしい。大将などが幼い時の様子、かすかにお思い出しなさるのには似ていらっしゃらない。明石女御の宮たちは、それはそれで、父帝のお血筋を引いて、皇族らしく高貴ではいらっしゃるが、特別優れて美しいというわけでもいらっしゃらない。
 この若君、とても上品な上に加えて、かわいらしく、目もとがほんのりとして、笑顔がちでいるのなどを、とてもかわいらしいと御覧になる。気のせいか、やはり、とてもよく似ていた。もう今から、まなざしが穏やかで人に優れた感じも、普通の人とは違って、匂い立つような美しいお顔である。


次は大学生の基礎演習のレポートである。
読み込んでその意見をまとめているところ、加害者と被害者でまとめる。

いまひとつ想像力がのぞまれるのは、わたしが示す上述の場面の一致である。。
ここに宿世があらわされ、因果応報が見えるのは、指摘のとおりであるとして、罪とは何か。


http://blog.goo.ne.jp/gooksky/e/7d4d8fff815e06b9d7afdeb9368fbe97
心  私説 源氏語り17
2013-09-17 11:24:13 | 源氏語り



光源氏の苦悩について
www.asahi-net.or.jp/~tu3s-uehr/kisoen-03.htm
そのため藤壺と源氏は桐壺院に御子の出生の秘密が漏れるのではないかと気が気でない様子である。 ... 子を抱かされ、世間には自分の子として披露する苦さを存分に味わうと共に、もしかしたら桐壺帝も今の自分と同じような気持ちで若宮を抱いたのではない

光源氏の苦悩について
1.光源氏が犯した罪~加害者としての苦悩~

源氏は、母更衣の死後入内した藤壺の女御が、死んだ母に似ていると周りの人々に言われて、子供のころから宮中で馴れ親しんでいるうちに藤壺に心を寄せるようになる。
そして、自分の実の父親である桐壺院の妃である藤壺と関係を持ってしまう。
その結果、藤壺は源氏の子供を懐妊してしまう。
そして、若宮を産む。
しかし、この若宮はあきれるくらい源氏を生写しにしたというような顔かたちなので源氏の子であることは紛れもない。そのため藤壺と源氏は桐壺院に御子の出生の秘密が漏れるのではないかと気が気でない様子である。本文でも、
{本文}
「「例の、中将の君、こなたにて御遊びし給ふに、抱き出で奉らせ給ひて、「御子たちあまたあれど、そこをのみなむかかるほどより明け暮れ見し。されば思ひわたさるるにやあらむ、いとよくこそおぼえたれ。いと小さきほどは、みなかくのみあるわざにやあらむ。」とて、いみじくうつくし、と思ひ聞こえさせ給へり。
中将の君、面の色かはる心地して、恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、かたがたうつろふ心地して、涙落ちぬべし。物語などしてうち笑み給へるがいとゆゆしいうつくしきに、わが身ながら、これに似たらむはいみじういたはしうおぼえ給ふぞ、あながちなるや。宮は、わりなくかたはらいたきに、汗も流れてぞおはしける。中将は、なかなかなる心地の乱るやうなれば、まかで給ひぬ。」」
桐壺院が若宮を抱きながら源氏に「わたしには皇子が大勢いるがお前だけをこのぐらいの幼いときから明け暮れ見ていた。だからそのため自然とそんな気がしてくるのかもしれないがこの若宮はいかにもおまえによくにているねえ。小さいときは誰でもこんなに美しいものばかりというわけなのだろうか。」と言ったのに対し、
源氏は、顔の色も変わる気がして、そら恐ろしくも勿体無くも嬉しくも、いろいろな感じが乱れに乱れてつい涙が落ちそうになる。また、若宮を御覧になるにつけて、却って胸が掻き乱れるようなのでおさがりになった、とある。
この様子を見ていた藤壺はむやみにいたたまれない気持ちで冷や汗をながしている、とある。
ここからも二人が秘密の漏れるのをおそれていたことがわかる。
•本文に桐壺院は出生の秘密に気付いていたとは書かれていないが、桐壺のこのような言葉からまったく気付いていないとは言い切れないのではないかと思った。

1.柏木と女三宮~被害者としての苦悩~
柏木は女三宮の婿選びのときからずっと女三宮のことが好きで源氏の妻になった後も忘れることができなかった.そしてとうとう小侍従を使って女三宮に恋文を届ける。
すると、最初は恐れていた女三宮だったがだんだん心を通わすようになる。 そして、源氏が紫の上の見舞いに行っている間に二人は一夜を共にしてしまう。その結果、女三宮は柏木の子を懐妊してしまう。
女三宮と柏木は二人のことが源氏にばれてしまうことを非常に恐れていたが、女三宮が柏木からの恋文を枕元に置き忘れ、それを見舞いから帰ってきた源氏が偶然見つけてしまう。源氏はその筆跡から柏木が書いたものだとすぐに分かったが信じがたい気持ちでいた。そして、源氏の心は深く傷つけられ、二人に対してはなはだ穏やかではないが、それと同時に自分も同じように父帝の妃に通じて子供を産ませたのであり、他人事として二人を責められない気にもなる。そして当時の父帝のことを考え思い悩むのであった。
源氏は今自分が父帝と同じ立場になってみて、もしかしたら本当は帝は自分と藤壺のことを知っていたのではないかと悩む。また、女三宮と柏木の子を抱かされ、世間には自分の子として披露する苦さを存分に味わうと共に、もしかしたら桐壺帝も今の自分と同じような気持ちで若宮を抱いたのではないかという思いが胸をよぎる。しかし源氏はこのような思い(他人の子を自分の子として抱くことなど)をしなければならない苦痛もかつて自分が犯した罪の報いを現世で受けると思って我が身を責める気にもなる,と言っている。

•まとめ*
わたしは源氏は被害者でもあり、加害者でもあり、両方の気持ちがよく分かるのでとても悩んだのだと思う。
また、自分自身が被害者側の立場になってみて初めてかつて自分が犯した罪がとてつもなく大きいということに気付いたのだと思った。
 


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