万葉集の成立は数次にわたるとすると、最初の成立がある。
その万葉歌は国民文学であり、万葉集は詩歌による、詞華集であるとする。
そして成立には繰り返し愛誦されて編集されたことがかかわるであろう。
編纂事業と言われる、その編集には成立の手掛かりがある。
万葉集の歌の配列には規則性が働く、時空によるもの、テーマによるものがある。
こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち
このおかに なつますこ いえのらせ なのらさね
そらみつ やまとのくには おしなべて われこそおれ
しきなべて われこそおれ われこそば のらめ
いえをもなをも
巻一の冒頭歌であり、全20巻本4,516首の巻頭歌である。
この歌は、この時代に伝承歌として伝えられていたのである。
はつせのあさくらのみやにあめのしたしらしめすすめらみことのみよ
おおはつせわかたけのすめらみこと
そして、天皇御製歌 、とある。
雄略天皇、21代である。
日本国語大辞典による。
>泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)に即位。王権を強化し、諸氏族の反乱を鎮圧し、対外関係にも注目すべき事跡があり、「宋書」にみえる倭王武に比定されている。
>在位二四年、六二歳で崩御した。陵は大阪府羽曳野市の丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)。(四一八~四七九)
西暦5世紀半ばの歌を採録していることになる。
巻軸歌の日付からおよそ三百数十年をさかのぼる。
万葉歌はその年代を統治者による御代としてまず特定する。
さきの冒頭歌は伝承歌としてみるが、採録された歌が集中する時代がある。
そこには最初に万葉集が成立したとみられる。
なお、この歌は、雑歌により部類分けされた。
ぞうか と読む。くさぐさの歌であるが、はたして・・・
歌の引用は国歌大観番号、角川日本古典文庫を用いる。この書の注釈と解説による。
伊藤博校注 万葉集 上下巻 角川書店
その万葉歌は国民文学であり、万葉集は詩歌による、詞華集であるとする。
そして成立には繰り返し愛誦されて編集されたことがかかわるであろう。
編纂事業と言われる、その編集には成立の手掛かりがある。
万葉集の歌の配列には規則性が働く、時空によるもの、テーマによるものがある。
こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち
このおかに なつますこ いえのらせ なのらさね
そらみつ やまとのくには おしなべて われこそおれ
しきなべて われこそおれ われこそば のらめ
いえをもなをも
巻一の冒頭歌であり、全20巻本4,516首の巻頭歌である。
この歌は、この時代に伝承歌として伝えられていたのである。
はつせのあさくらのみやにあめのしたしらしめすすめらみことのみよ
おおはつせわかたけのすめらみこと
そして、天皇御製歌 、とある。
雄略天皇、21代である。
日本国語大辞典による。
>泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)に即位。王権を強化し、諸氏族の反乱を鎮圧し、対外関係にも注目すべき事跡があり、「宋書」にみえる倭王武に比定されている。
>在位二四年、六二歳で崩御した。陵は大阪府羽曳野市の丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)。(四一八~四七九)
西暦5世紀半ばの歌を採録していることになる。
巻軸歌の日付からおよそ三百数十年をさかのぼる。
万葉歌はその年代を統治者による御代としてまず特定する。
さきの冒頭歌は伝承歌としてみるが、採録された歌が集中する時代がある。
そこには最初に万葉集が成立したとみられる。
なお、この歌は、雑歌により部類分けされた。
ぞうか と読む。くさぐさの歌であるが、はたして・・・
歌の引用は国歌大観番号、角川日本古典文庫を用いる。この書の注釈と解説による。
伊藤博校注 万葉集 上下巻 角川書店