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源氏の物語 24 物語の照応

2015-12-24 | 源氏のものがたり
文章の冒頭と末尾に照応がある。それを読むことで、読者は物語のいわば結束を見る。
原文引用は、http://www.sainet.or.jp/~eshibuya/text01.html による。
段落は、渋谷栄一校訂(C)による。

桐壺冒頭
 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。

桐壺末尾
 「光る君といふ名は、高麗人のめできこえてつけたてまつりける」とぞ、言ひ伝へたるとなむ。

続く巻を見ると、次のようである。

帚木冒頭

 光る源氏、名のみことことしう、言ひ消たれたまふ咎多かなるに、いとど、かかる好きごとどもを、末の世にも聞き伝へて、軽びたる名をや流さむと、忍びたまひける隠ろへごとをさへ、語り伝へけむ人のもの言ひさがなさよ。
 さるは、いといたく世を憚り、まめだちたまひけるほど、なよびかにをかしきことはなくて、交野少将には笑はれたまひけむかし。

帚木末尾

 「よし、あこだに、な捨てそ」
 とのたまひて、御かたはらに臥せたまへり。若くなつかしき御ありさまを、うれしくめでたしと思ひたれば、つれなき人よりは、なかなかあはれに思さるとぞ。

空蝉冒頭

 寝られたまはぬままには、「我は、かく人に憎まれてもならはぬを、今宵なむ、初めて憂しと世を思ひ知りぬれば、恥づかしくて、ながらふまじうこそ、思ひなりぬれ」などのたまへば、涙をさへこぼして臥したり。いとらうたしと思す。手さぐりの、細く小さきほど、髪のいと長からざりしけはひのさまかよひたるも、思ひなしにやあはれなり。あながちにかかづらひたどり寄らむも、人悪ろかるべく、まめやかにめざましと思し明かしつつ、例のやうにものたまひまつはさず。夜深う出でたまへば、この子は、いといとほしく、さうざうしと思ふ。

空蝉末尾

 つれなき人も、さこそしづむれ、いとあさはかにもあらぬ御気色を、ありしながらのわが身ならばと、取り返すものならねど、忍びがたければ、この御畳紙の片つ方に、
 「空蝉の羽に置く露の木隠れて
  忍び忍びに濡るる袖かな」

夕顔冒頭

 六条わたりの御忍び歩きのころ、内裏よりまかでたまふ中宿に、大弐の乳母のいたくわづらひて尼になりにける、とぶらはむとて、五条なる家尋ねておはしたり。

夕顔末尾

 なほ、かく人知れぬことは苦しかりけりと、思し知りぬらむかし。かやうのくだくだしきことは、あながちに隠ろへ忍びたまひしもいとほしくて、みな漏らしとどめたるを、「など、帝の御子ならむからに、見む人さへ、かたほならずものほめがちなる」と、作りごとめきてとりなす人ものしたまひければなむ。あまりもの言ひさがなき罪、さりどころなく。

ここで、それぞれを物語によって読む巻き巻きのエピソードは、端緒と掉尾にあること、語り伝えることとして知る。
桐壺末尾で、言い伝えたことを結びとし、光る君を、光源氏と受けて語り伝えたことを帚木で語りだす。そしてそれはまた、巻を継いで夕顔の末尾に照応する。

帚木三帖と伝えられるゆえんである。



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