日本語文法論議23730
述べてきたことを繰り返し、語と単語の別で、わかりにくいので、言い言い直しして、言いたしてみる。
付属する語は自立する語につくので単語を言うときには自立語がそれで単語となる、つまり自立語は単語であり、自立語と付属語もまた単位語である、自立語に付属語、付属語となってもそれは単語、単位になる語である、というふうに見ると、気づくことに
学説で文節をとらえるとき、橋本進吉氏は語の分類では詞と辞を立てていたので、自立付属の機能を分かりやすくした名称はその学説にもっぱらではなく、学校文法のあおりであったかと見える。
自立と付属はその機能をよくとらえて、これは文節を指しているのだから、つまり同じであって、文節は語であるということができる。ただ、自立語付属語をセットにした単語というとらえかたは文に働く文節としての簡便な呼称となるので、そう受け止めているかどうか。
時枝学説の句を同様に見てしまうと、おのずとそこには違いがある。時枝文法ではそこをどうしたか。語を単語とするのは普通に、そこに句を以て単位にすると、言語過程は文章の中で文を句構造の包摂する構造と見て繰り返し、繰り返して辞が句を大きくして包み込んでいくので、そこには語とも、また文節とも異なって、句は文となるか文章作品となるかという単位になる。
そこに連文節との違いがある。連文節は語と語との関係構成を示す。句はあくまで単位ひとつなのである。学説議論で句における詞と辞の関係を分析して係り受けが分かりよい、正しい構造であるとする通説ができてしまって、句を語扱いにしない、何にしているのだろう。句は句であるか、文をとらえていたのか、成分とか要素とかには時枝誠記氏の考えはそこを埋めていない。
さて句は何か。明らかにこの言葉が示すことがあるので、よく注意をする。
まず、次の解説は精選版日本国語大辞典に見える。
>単語をつづって、ひとまとまりの思想を表わすもの。思想の言語的表現の最小のまとまり。
>単語または文節の一個または連続で、叙述・判断・疑問・詠歎・命令など話し手の立場からの思想の一つの完結をなすもの。
上記の引用は、句と文の項目である。同じことを言っているのは、思想を表すという。
これは文法の説明のところ、次のようにも上記の項目にはあって、
>文章の中でひとまとまりをなしている、意味を持つことばのひと区切り。また、ことばのひとつづき。
>文章。また、詩文。転じて、それらを集めた書物。
上記の引用は、同上の辞書、句と文の項目のうちのひとつである。
ちがいは、ことばのひとつづきと、書物にまでなってしまうという一般の解釈である。
また、文法には、「定義には諸説ある。西洋文法では、主語・述語を具えることが文成立の条件とされることがあるが、日本文法では必ずしもそれによりがたい」とするところ、日本語の文成立条件とは何か、それが明確でないのは、語なのか、句なのか、文なのか。
辞書の説明が分かりよいか、わかりにくいか、まして説明となる項目相互で解説の齟齬なり、ひどいときには同語反復したりとなる、あってはならないので、最近の辞書には少なくなって、それでも、上記のように、読めば読むほどにどちらが文で、どちらが文章か、何が句なのか分からない。
これまた体系的な文法記述をするところとみてそこだけ読んで、さきに見えることから、それでも、叙述、判断、疑問、詠歎、命令についての「話し手の立場から」という限定は不明なことである。文にはムードのうちにモダリティーを持つものしか、日本語にはないようである。
>文の内容に対する話し手の心的態度の相違が、動詞の語形変化の上にあらわれたもの。英独仏などの言語に見られ、直説法・接続法・命令法などがある。法、叙法などと訳される。
>文の中で、叙述内容に関する話者の心的態度を表わす部分
上記の引用は、ムードとモダリティーの項目、なにをかいわんや。