主題の議論 日本語の文法について その11
主題を持つ文は、主語主題の文章である。主格で示す文は主語主格の文である。したがって主語は文章にあり文にある。象は耳が大きい という文は、象、耳、大きいよ 象は耳が大きいことだ 象は耳がおおきいです という情報を持つ文章をあらわし、それを端的に感覚として表現したのである。文の構文は、 ~が形容詞述語 と、~は名詞述語 。
これに対して、「『象は鼻が長い』、のように、『主語‐述語』の代わりに『題目‐述部』と捉えるべき文が非常に多いことを考えると、日本語の文にはそもそも主語は必須でないという見方も成り立つ」フリー百科事典ウイキペディアより。とする説明があって、以下、その記述を批判する。この説明の骨子は主語が必要でない見方があるということである。
これについて三上章学説は主語廃止論で主語という文法用語をやめる提案を唱えたと言うが、これは必須要素としてのとらえ方あるいは第1格ではないということの三上学説の主張のようであるので注意がいる。次のような例文を図解している。甲ガ乙ニ丙ヲ紹介シタ という文において重要なのがそれらをまとめる述語の部分であるとするようである。
~ガ ~ニ ~ヲ はすべて述語の補語となる、と言うので、まず補語の概念が広げられてしまっているのはいかがか。英語などの文で主語は述語と人称などの点で呼応し特別の存在であるというのはよいとして、補語がなんであるかを取り違えているように思える。次いで、この考え方に従えば、と、英語式の観点で次の主語の省略という文の説明がある。
ハマチの成長したものをブリという ここでニュースをお伝えします 日一日と暖かくなってきました などは、いわゆる主語のない文である、とする。これを、日本語の文では述語に中心があり、補語を必要に応じて付け足すと考えれば、上記のいずれも、省略のない完全な文と見なして差し支えない、という説明をしているのだが、違うのである。
だれが なにが を読むと次のようになる。ひとびとはハマチが成長したものをぶりだという ここでアナウンサーがニュースをお伝えします 日一日と気候が暖かくなってきました という文情報になる。そう理解していくと、省略した主語を推測して読み込むことができる。例に上がった文は誰が何について述べる情報かを不足に思うだろう。
いま読み込んだ文の情報は、だれがなにをについて、漁師、わたし、気温とすることもできるので、これはやはり必要な情報を読み取ることができない可能性を持つので完全な文ではない。この例文としたものは句のレベルにあると言ってよいだろう。文章があり文がありして、さらに句を考え次に語を捉えることになる、その文法レベルには文節がある。
主題を持つ文は、主語主題の文章である。主格で示す文は主語主格の文である。したがって主語は文章にあり文にある。象は耳が大きい という文は、象、耳、大きいよ 象は耳が大きいことだ 象は耳がおおきいです という情報を持つ文章をあらわし、それを端的に感覚として表現したのである。文の構文は、 ~が形容詞述語 と、~は名詞述語 。
これに対して、「『象は鼻が長い』、のように、『主語‐述語』の代わりに『題目‐述部』と捉えるべき文が非常に多いことを考えると、日本語の文にはそもそも主語は必須でないという見方も成り立つ」フリー百科事典ウイキペディアより。とする説明があって、以下、その記述を批判する。この説明の骨子は主語が必要でない見方があるということである。
これについて三上章学説は主語廃止論で主語という文法用語をやめる提案を唱えたと言うが、これは必須要素としてのとらえ方あるいは第1格ではないということの三上学説の主張のようであるので注意がいる。次のような例文を図解している。甲ガ乙ニ丙ヲ紹介シタ という文において重要なのがそれらをまとめる述語の部分であるとするようである。
~ガ ~ニ ~ヲ はすべて述語の補語となる、と言うので、まず補語の概念が広げられてしまっているのはいかがか。英語などの文で主語は述語と人称などの点で呼応し特別の存在であるというのはよいとして、補語がなんであるかを取り違えているように思える。次いで、この考え方に従えば、と、英語式の観点で次の主語の省略という文の説明がある。
ハマチの成長したものをブリという ここでニュースをお伝えします 日一日と暖かくなってきました などは、いわゆる主語のない文である、とする。これを、日本語の文では述語に中心があり、補語を必要に応じて付け足すと考えれば、上記のいずれも、省略のない完全な文と見なして差し支えない、という説明をしているのだが、違うのである。
だれが なにが を読むと次のようになる。ひとびとはハマチが成長したものをぶりだという ここでアナウンサーがニュースをお伝えします 日一日と気候が暖かくなってきました という文情報になる。そう理解していくと、省略した主語を推測して読み込むことができる。例に上がった文は誰が何について述べる情報かを不足に思うだろう。
いま読み込んだ文の情報は、だれがなにをについて、漁師、わたし、気温とすることもできるので、これはやはり必要な情報を読み取ることができない可能性を持つので完全な文ではない。この例文としたものは句のレベルにあると言ってよいだろう。文章があり文がありして、さらに句を考え次に語を捉えることになる、その文法レベルには文節がある。