漱石の用字に、本文の生態学という一書をなす石川氏のブログに、2014年10月16日 朝日新聞 三四郎 漱石の「当て字」――麗々 か 例々か が、あって、氏のホームページ http://www008.upp.so-net.ne.jp/hybiblio/index.htmlに、漱石の書誌学本文研究があることを知った。さきのサイトのタイトルには、初校ゲラを通してみた小宮豊隆の『夏目漱石』 と、あるものである。それで導かれて、『本文の生態学』については、全ページを私のホームページに pdf 版で掲載 というのを、拝読することにする。
http://pub.idisk-just.com/fview/1ZUB8cPQl0buJl1aBiYMbHjNHmIn7lipZnmuNa4bV3UZI25WRt_rOY7v8hOPXL4eeHMU6hvGuMfsrqW_2JgjSXrtnHiS1hnhPEh7NyXwckDoeB9RWo6AulxAUKOz0EXx/44CM5pys5paH44Gu55Sf5oWL5a2m4oCV4oCV5ryx55-z44O76bSO5aSW44O76Iql5bed44CN.pdf
ブログサイトには、次のように書かれている。
>ひとつ例をあげよう。『三四郎』74回(七の六)の、私の復刻版全集(注)なら、51行。真ん中頃の、「三四郎は傍に居て」に始まる段落の数行先に、
例々しく
というのが、新聞に出てくる。むろん、自筆原稿にそう書かれていて、初刊本(252ページ、2行)も同じ。ところが、大正6年の最初の漱石全集(編集の中心は森田草平)で、「麗々」に改竄されてしまい、そのまま、現在の文庫本にも続いている。(平成の新漱石全集だけはやっと元に戻された。)
「例々」は、拙著にもあるように、「小供」同様に『坊っちゃん』等にも出て來る漱石特有の用字である。意味は、「麗々」と「いろいろ、さまざま」が合わさったものであろう。それが、「麗々」に矮小化されてしまい、その麗々が、出典は漱石として、いろいろな国語事典に出て来るのである。なんとも罪作りな話である。
さきのブログサイトを読む限りで、漱石の用字法の麗々しさを、否、例々しさを取り上げている。まさに原文表記にその用字法を見出している。
漱石の表記を学んだわたしの読書体験からすれば、原文の全集読みは、その表記の醍醐味に圧倒されていただけであったのだが、無理もないのは13歳であったから、そして、いまに多くを得ていることを知る。
夏目漱石「門」:86
2016年2月3日05時00分
十七の五
夕飯(ゆうめし)
黙然(もくねん)
他(ひと)
戸(こ)ごと
瓦斯(ガス)
外套(がいとう)
往(い)ったり来たり
考(かんがえ)
途(みち)
雛形(ひながた)
煩(わずら)った
今日(こんにち)まで
推(お)して、
凡(すべ)て
創口(きずぐち)
癒合(ゆごう)
一昨日(おととい)
夜(よ)
希知(けち)
下(もと)に
易(か)えなければならなかった
響(ひびき)
後(あと)
攫(つか)んだ
烟(けむり)
果敢(はか)ない
文字(もんじ)
関聯(かんれん)
坐禅(ざぜん)
記臆(きおく)
相国寺(しょうこくじ)
迂闊(うかつ)
益(ますます)
侮蔑(ぶべつ)
安心(あんじん)
立命(りつめい)
二十日(はつか)
明瞭(めいりょう)
http://maxowl.blogspot.jp/2014/11/blog-post_77.html
長閑悠閑 これは私の雑記帳です。気ままに書いていきます。
>余談になりますが、内田百は中学時代に「吾輩は猫である」を読んで漱石に傾倒、帝大独文科在学中から漱石の原稿の校正をつとめています。そういう仕事の常として作家の用語、用字や文法などについて質疑をかわしますが、長らく続けるうちに漱石も百の異常なほどの凝り性に迫られて用字の選択を明らかにしたり、時には判断を任せたりしたそうです。漱石死後の第一回全集編纂の時、主として校正の任に当たった百は『漱石校正文法』を体系化して、漱石の用語法・かなおくり法などに一つの法則を導いたとのことです。こういう次第は百自身の文章に何かと反映されることでしょうから百の作品に漱石の影を指摘する研究者も多いようです。
http://pub.idisk-just.com/fview/1ZUB8cPQl0buJl1aBiYMbHjNHmIn7lipZnmuNa4bV3UZI25WRt_rOY7v8hOPXL4eeHMU6hvGuMfsrqW_2JgjSXrtnHiS1hnhPEh7NyXwckDoeB9RWo6AulxAUKOz0EXx/44CM5pys5paH44Gu55Sf5oWL5a2m4oCV4oCV5ryx55-z44O76bSO5aSW44O76Iql5bed44CN.pdf
ブログサイトには、次のように書かれている。
>ひとつ例をあげよう。『三四郎』74回(七の六)の、私の復刻版全集(注)なら、51行。真ん中頃の、「三四郎は傍に居て」に始まる段落の数行先に、
例々しく
というのが、新聞に出てくる。むろん、自筆原稿にそう書かれていて、初刊本(252ページ、2行)も同じ。ところが、大正6年の最初の漱石全集(編集の中心は森田草平)で、「麗々」に改竄されてしまい、そのまま、現在の文庫本にも続いている。(平成の新漱石全集だけはやっと元に戻された。)
「例々」は、拙著にもあるように、「小供」同様に『坊っちゃん』等にも出て來る漱石特有の用字である。意味は、「麗々」と「いろいろ、さまざま」が合わさったものであろう。それが、「麗々」に矮小化されてしまい、その麗々が、出典は漱石として、いろいろな国語事典に出て来るのである。なんとも罪作りな話である。
さきのブログサイトを読む限りで、漱石の用字法の麗々しさを、否、例々しさを取り上げている。まさに原文表記にその用字法を見出している。
漱石の表記を学んだわたしの読書体験からすれば、原文の全集読みは、その表記の醍醐味に圧倒されていただけであったのだが、無理もないのは13歳であったから、そして、いまに多くを得ていることを知る。
夏目漱石「門」:86
2016年2月3日05時00分
十七の五
夕飯(ゆうめし)
黙然(もくねん)
他(ひと)
戸(こ)ごと
瓦斯(ガス)
外套(がいとう)
往(い)ったり来たり
考(かんがえ)
途(みち)
雛形(ひながた)
煩(わずら)った
今日(こんにち)まで
推(お)して、
凡(すべ)て
創口(きずぐち)
癒合(ゆごう)
一昨日(おととい)
夜(よ)
希知(けち)
下(もと)に
易(か)えなければならなかった
響(ひびき)
後(あと)
攫(つか)んだ
烟(けむり)
果敢(はか)ない
文字(もんじ)
関聯(かんれん)
坐禅(ざぜん)
記臆(きおく)
相国寺(しょうこくじ)
迂闊(うかつ)
益(ますます)
侮蔑(ぶべつ)
安心(あんじん)
立命(りつめい)
二十日(はつか)
明瞭(めいりょう)
http://maxowl.blogspot.jp/2014/11/blog-post_77.html
長閑悠閑 これは私の雑記帳です。気ままに書いていきます。
>余談になりますが、内田百は中学時代に「吾輩は猫である」を読んで漱石に傾倒、帝大独文科在学中から漱石の原稿の校正をつとめています。そういう仕事の常として作家の用語、用字や文法などについて質疑をかわしますが、長らく続けるうちに漱石も百の異常なほどの凝り性に迫られて用字の選択を明らかにしたり、時には判断を任せたりしたそうです。漱石死後の第一回全集編纂の時、主として校正の任に当たった百は『漱石校正文法』を体系化して、漱石の用語法・かなおくり法などに一つの法則を導いたとのことです。こういう次第は百自身の文章に何かと反映されることでしょうから百の作品に漱石の影を指摘する研究者も多いようです。