父の日に思う。母の日には、思ったか、想いをもって過ごしたが、いつも、はて命日はいつだったかと、いまだに書くことがない。それでは父の日の命日はいつだったか、1月2日の早暁であった、1995年が大震災で平成17年と繰って、くしくもその難を逃れた父は翌18年に亡くなった。それから22年がたつ。明治生まれであった。敗戦の年、12月に引き揚げ家族となった。持てる荷物と両手に子たちを引き連れて上海から母の日には、思ったか、想いをもって過ごしたが、いつも、はて命日はいつだったかと、いまだに書くことがない。それでは父の日の命日はいつだったか、1月2日の早暁であった、1995年が大震災で平成17年と繰って、くしくもその難を逃れた父は翌18年に亡くなった。それから22年がたつ。明治生まれであった。敗戦の年、12月に引き揚げ家族となった。持てる荷物と両手に子たちを引き連れて上海から博多へ、そして宮崎の社宅に伯父によって誘われ落ち着いた。その地で翌年、わたしは生を享けて、すぐにも兵庫へと転じた。 . . . 本文を読む