モダリティーは話し手の意図を分析する。法また話法としての文法規則は日本語では難しくない、というのは、主語が言語主体として明瞭だからであるが、そのはずだったが、文法論はそうではなかった、対人、対事とそして文末の語基まで含めた聞き取り方になってしまったので、話し手の心的態度はとどまるところがなくなってしまった。国語の助動詞を詞を包み込む辞の包摂構造、句構造の論までならとらえやすかったのは、主語述語の構造になかったからである。しかし、それは話しことばとして自明の話者による主語の文が、言語主体による文として成立するものであったにもかかわらず、モダリティの部分を見て、文を抽出する作業が、文章になれば文の規則になってしまう意味の論となってしまった。1970年代の末に日本語教育の実践で話し言葉の表現類型に捉えていた国語の助動詞の用法が、モダリティーと名を変えて、文構造も不明に法として規則だてられようとした、そのころに、日本語教育に教官として赴任してきた文法のモダリティーの第1人者となるスタッフが加わったことを知る。助動詞には展叙、統叙の機能が見えたころであったが、カタカナの文法カテリ議論をまたひとつ加えようとしたのである。 . . . 本文を読む