ことばの広場、英語で自己紹介 朝日新聞記事より。英語で自己紹介、との見出しで、姓名表記を話題にしている。英語表記の場合は、名前をまず書くと教えられた世代からすれば、英会話、英文などでの必要があると思ってきた。それが、記事によれば、それについて2002年度からすべての教科書で、姓―名 中心の表記となっているそうだ。英語学習のことであるから、その理由のあるところだと思われるが、文科省が進めていることだとすれば、英語と日本語との文化の捉え方にかかわって、学習には不適当であると言わざるを得ない。1st name ということ、family name ということ、なかには、middle name の順序ということがあって、英語表記にある英語学習として誤解を作っていくことになる。そのことを、郷に入れば郷に従うというようなことを言うではなくて、英語文化を日本語文化で見たままにしようとするのであって、その表記法を英語文化、英語社会の了解を変えて、異なった文化での、違った事実を教えるということになる。
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届け出用紙など姓名を書き込むところに、フリガナの欄があって、漢字で書いた名前の文字の上に書き込む。カタカナを求めるのが書類の書き方であった。そこに仮名書きをするのに、なぜ片仮名であるのか、平仮名ではいけないのか。そう思ったりしたことがある。その仮名書きに、フリガナ とせずに、ふりがな とするのがあって、それは仮名書きに平仮名を求めているのだろうと、まねて平仮名書きをする。ただ、その届け書類で、正式名称となるのは戸籍上の表記と同じであるということで、多く漢字で書いてきている名前が多くあった。男児の名前で、大翔、悠人、温都、冶音、暖翔 と並べると、これはどれも同じ読みを充てることができる。ハルトは、86人いたという調査で、漢字は、悠人、温都、冶音、暖翔など、36ものパターンがあったと言う。明治安田生命から発表された『2014年生まれの子どもの名前』調査より。カタカナで書くのは、発音表記としてであり、日本語の音韻によるということであろう。なお、戸籍上の名前に書かれた表記通り書くことが、その証明、証拠書類となるので、赤子の誕生に届けるときには、漢字で書いたなら、そのままにして、読み仮名をつけたりしないで名目とするのが通常である。 . . . 本文を読む
表記行動は端末のキー操作にある。いま多く人々が行っているのは、スマフォと呼ぶコンピュータ入力は仮名文字選択の打鍵に似たタッチ式である。繰り返される瞬時の反応は、わずかな差を持つリズムでもって、指での操作を超えた実現がある。かつて英文タイプライターに文字配列による位置があって、そして、いまも当然のことながら、それを方式として、ブラインドタッチで文字入力をパソコンのキーボードにしていた。いまもそうであるから、この方式は英文字の打鍵しやすいキーとなっているはずで、それ日本語入力にする表記行動と呼ぶべきものが現実にある。指先はロマ字表記の日本語に従い、画面では平仮名表記に出た入力結果を文字変換して、それが電子情報上の文字となって記憶、記録されて、日本語となる。仮名文字入力もあるので、それを選ぶと、そのステップが、ひとつ、段階がおこなわれないことになる。日本語をパソコンで入力し、それを日常とするようになったのである。言葉があって、その音形をローマ字表記にして思い浮かべるともなく、次には仮名文字があって、漢字変換があって、そのプロセスがまさに現代日本語の表記行動なのである。 . . . 本文を読む
漢字を日本語読みする、
日本語を仮名書きにする、
漢字と仮名書きを混ぜる、
漢字仮名交じり文に、あらたに、
異なった表記が用いられる、それは英文字であるが、
現代語の表記に漢字かなローマ字交じり文となっているのは、まだ限られた範囲のことであるから、
このような表記の一連の流れに日本語が形成されて表記が変化してきている。
それを可能にしているのは表記のための文字である。
文字は言葉のあやともいうべく、
文字そのものは言葉に過ぎないのだが、
日本語の発音のために片仮名を用い、
日常の表記に片仮名よりも平仮名が選ばれて、
そこに漢字を制限して用い、
また目安として用い、して、記録されてきた。
いまやその記録媒体は電子化された、
情報という型の中に記号化されているが、
それを変換する人工頭脳によって、
かつては筆と墨と、そこに用紙があって、
記すことそのものの行為を表記としたものが、
鉛筆、ペン、そして印刷するプリントとなって、
いまや記憶とともに、
メモリーに表記が痕跡を残している。 . . . 本文を読む
万葉集の訓に、定訓を得ないもの、難訓であるもの、そして解釈によって、その表記とともに揺れがあるものなど、その読みの作業に訓釈の用語をもってとらえる。訓釈は和歌の解釈にあるかと言えば、そうではなくて、その解釈は歌の読みに基づくので、本文の読み方である。解釈作業は文学の議論であり、近代文学の解釈作業と異なって、そこに厳密な訓詁を用いたのは、古典文学の表記に日本語を読み込む工夫があったのである。古事記の訓釈、日本書記における訓釈、万葉集の訓釈、日本霊異記の訓釈、今昔物語の訓釈、経典、典籍など、漢字がまた日本語になる経緯に、その作業が積み重ねられた。それぞれ文学ジャンルンを超えて日本語の現象に意味分析がくわえられたのである。万葉集の訓釈を説明する一文がある。>訓釈の微妙な違い
改めて言うまでもないことだが、万葉集の歌の読み方は注釈書・学書の類によって千差万別で、どれに従うべきかに迷うことがしばしばである。同じ研究者の書いたものでも、年月を隔てて著した場合、変ってくることが珍しくなく、時には初案のほうが良かったということさえある。この全集本の万葉集でも、新旧二本の間に完訳(完訳日本の古典)本を挟んで、転々と変化している。 . . . 本文を読む
訓義を表すのに訓注をもちいた。漢字の読みと意味を注記する。小字にして二行で割書きをしたりする形式であった。音義注として、形音義をとらえる漢字の訓詁である。訓釈というのは釈義を意味する。文章、語句や教えなどの意義を解釈して、そこに訓注を施す。訓釈の用語は資料によってもちいられた。訓点語資料のうちに訓釈を見出す。訓釈するとは、文字や文章の、読みや意味を明らかにすることであり、そのための日本語読みである。長く大学院の時代に教えを戴いた師の著書に、日本霊異記訓釈攷 1982 遠藤 嘉基 著 遠藤嘉基先生算賀門弟有志 編 の書がある。その教えのうちに、わたくしにも、「日本霊異記」訓釈の順序の一問題ー真福寺本下巻についてー をものしたことがある。訓釈が日本語史に資料として重要な価値と意味を持つ。 . . . 本文を読む
ルビは印刷用語、明治時代からの日本の活版印刷用語とある。
イギリスから輸入された5.5ポイント活字の呼び名がruby ルビーであったそうだ。
ルビ活字とよび、それによってつけられた、振られた文字を、ルビとよぶようになったと解説している。
また、明治期つまり19世紀後半のイギリスでは活字の大きさを宝石の名前をつけてよんでい多とも、ウイキペディアは言う。
ルビをつける、ルビを振ると表現し、専門的な用語の組版業界用語では、ルビを組むと表現するようだが、振り仮名はこの名称からのものか。
総ルビ、バラルビとがある。
文字に読みを振ることはルビを振ることから始まったわけではない。
傍訓、つけ仮名と呼ばれた、訓読み、日本語読みのためである。 . . . 本文を読む
漢字をカタカナ表記する、どういうことか。外来語を日本語発音のままに書く、振り仮名にあったように人名を発音で書く、動植物の学名を書く、擬声語を書く、主に発音を示す表記として、カタカナがこの半世紀に定着した。カタカナが発音をもっぱらにしたわけではないが、それをさかのぼれば、カタカナは文字遣いの補助として漢字に添えた、記号のようにとらえられた。漢字で書くことが正式文書であれば、そこにカナ文字であるカタカナにもその位置づけがある。文書に表れる。そうみれば歴史資料の仮名書きの表記はどのようになるか。手習いとして、落書きとして、また端書などにあるのはカタカナであったろうか。この経緯の前に日本語を表記するための万葉仮名が、広くは上代仮名として工夫されていた。歌謡の表記は漢字を草にしたカナとしての崩し字にが用いられ、経文には仮名書き法華経が著わされる。草の連綿に対して、カタカナは発音のままに、訓読文体である説話集などにみられるようになる。その文献は漢字交じり文としての特徴がある。今昔物語集に顕著なのは、その伝本、写本にはさまざまな形態があるが、そのうちに、変体漢文から派生した和漢混交文体が用いられて、漢字のあとに送り仮名を、小字のカタカナ二行で書いてあるものがあることである。このような資料は通行自体や活字本になることで、それを具体にみることは難しい。今昔物語に語られる説話がほかの説話集との出入りもあり、その表記の様子が一概にならない面もある。そこで、資料に説話集からカタカナ表記の由来を探ることにする。しばし古典文学である。 . . . 本文を読む
漢字を用いた語、英字を用いた語、それぞれの表記は日本語に概念の変容を示す。漢字語は漢語であった。漢語は字音語として日本語発音で漢字文字を組み合わせたり、新造語としたりしている。漢字の字音から構成される語彙として、漢字の音読みと対応する字音語と称することがあるという。借用語の日本語発音による語種となる。英字語は、ローマ字表記であることから、ローマ字語という名称もありうるが、アルファベットの略号、ローマ字略語を用いるときの、ローマ字語をはじめ、仮名書きをそのままにローマ字変換するローマ字表記があることから、ローマ字語のさすことがらはすでに示すれてきている。したがって、英字語は原綴りをもちいた語の種となる。漢語のもと、漢字かな交じりを実現してきた日本語に、英語のもと、英語カナ交じり文があるか、というようなことである。漢字に仮名書き、そこに英数字を交えることはすでに行われている。日本語表記の特徴であるが、そこに英文字が語としてまじりあうことは、まず、ない。しかし、よく見まわすと、デザインのこともあり、機能のこともありで、英字が語として用いられている。カレンダー然り、メニュー然り、レシート然り、街頭のあたるところに、英字語の表記は漢字語の中に表れてきている。
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かぶき は、かぶく 傾くことを意味した。歌舞伎は、当て字である。意味上の対応関係をもつ漢字を使うのが通常である、とされる。歌舞伎そのものは、ミュージカルを連想して当て字の妙がある。当て字は、対応する漢字がない場合に、便宜的にある漢字の音や訓を借りて書き記し、さらに和語以外の外来語、外国語の表記に使うことで、慣用的に定まったもの、熟字訓のように、意味関係の対応を見る場合もある。その字の当て方に、読みを充てるかのように工夫を凝らしたしたのが、歌舞伎の外題に見られる。外題というのも内題に対する呼称で、ともに書誌の用語となるが、その外題を芸題とも言ったりするものに、特殊な読み方となったものがある。 . . . 本文を読む