goo blog サービス終了のお知らせ 

現代日本語百科   けふも  お元気ですか

gooブログはじめました!日本語百科です。
現代日本語百科 ⓒ2013gooksky

文字論 8

2015-11-23 | 日本語表記
日本語文字論は文字種を多用することで議論になる。多用するとは、漢字かなローマ字である表意表音をそのままに混ぜて用いることによる。その書き分けには正書法があるのは現代仮名遣いであるとするが、漢字の字形、音読み、そして訓読みによる送り仮名についても規則があり、緩やかに見える書き分けのなかにも、正書法があると言ってよい。ここに文字種による書き分けが日本語文字論の議論となる。新聞の見出しに、ベルギー首都 続く緊張 とあり、EU本部テロ警戒・学校閉鎖、と見える。朝日新聞20151124付、朝刊7面より。このように用いる日本語文字はカタカナ漢字ひらがなローマ字と4種類が使い分けられるて、多用は多様である。これは縦書きによるもので、横書きの文字の並びにも、同紙の25面、スポーツのニュースには、侍J 世界王者への宿題 プレミア12、と見えるので、同様である。算用数字としてのアラビア数字があり、漢数字と合わせて用いられている。 . . . 本文を読む

文字論 7

2015-11-22 | 日本語表記
文字は言葉であった。漢字は、文字で、やはり、ことばである。それでは仮名文字はどうか。仮名文字は音節を表す記号文字である。日本語音韻で、その音の意識には文字としての言葉では、仮名はあり得ない。表音である。その発音は片仮名でとらえられたものであった。その謂いは、草仮名で書かれた日本語には連綿する体となって書き綴られたのであるから、平仮名のように、現代の書きようでは1字が独立して書かれるようになるので、それは文字として切り離された一音ずつである。そこで漢字は憑依、仮名は表音とするのが、日本語文字の捉え方である。しかしそこには、漢字を訓読みしての仮名文字があって、文字には、文字が、いわば聴覚映像として概念化している。文字は、もじ としてしかないのは、もんじ の用法が限られているからである。さらには、日本語で考えると、文と字と分けて、それぞれの概念にはならない、少なくともそうはしない。文が、ことばの飾りであり、字が、あざなにはならない。 . . . 本文を読む

文字論 6

2015-11-21 | 日本語表記
文字を言葉ととらえた。もじ、すなわち漢字は、中国の文字である。それを、もんじ と言った。もじ、もんじ、この違いは、文字と書かれることによって読みわけをすることもなかったので、もじ と言っている。漢字は中国の言葉であったが、それを取り入れて学び、ことばとして文字に表わすときに、字音を借りて漢字発音を日本語発音にして、漢字音として読み、その一方で、字音を日本語発音の部分に利用して、漢字音を省略する方法で、中国語発音を脱落させて、日本語発音を強調して用いることを始めた。字音を借りて漢字借用は音読みで字音語となり、訓読みで日本語読みとなった。訓読みは、その読みが定着するまでに長い時間を経過することになる。借音という方法で仮り字をすることになるので、かりのな、かな という。漢字を真字とすれば、仮字である。これを、日本語読みして、まな、かな、字を、な ととらえたのである。 . . . 本文を読む

文字論 5

2015-11-17 | 日本語表記
日本語文字論は漢字を議論する。日本語の漢字である。日本語をあらわす文字は漢字、仮名である。そこに英字がくわわると、ローマ字をとらえる。このそれぞれが表意文字、表音文字の2大別になり、表音は音節、音素を表す。これを文字種とすると、日本語は顔文字、絵文字を多く開発し、それを時に応じてメールのやり取りに用いているので、多種多様の文字が用いられていることになる。正式あるいは公式の文字に正書法が求められるが、文字数とその文字体系に、漢字の字体、漢字の送り仮名、仮名文字の使いかた、ローマ字による仮名発音の転写などが決められているのは、かなり複雑な文字遣いの規則となる。文字論を日本語文字とする論となるのは、このために、文字の由来となる文字の移入と日本語の表記となる工夫、その発生などをとらえることになるからである。日本語で漢字を用いると、それはまた中国語の漢字を議論し、日本語漢字と中国語漢字の双方を視野に入れた議論となる。 . . . 本文を読む

文字論 4

2015-11-16 | 日本語表記
文字は、もんじ と読んだ。文字と、もじ もんじ とを、検索すると、歴史用語としての、文字がある。もんじ‐の‐ごく は、筆禍事件である。そこで、見ると、そう古い時代のことではない。これは、文字の国、もんじのくに という、中国の異称とあるのでそれなりに背景のあることである。漢民族の語がかかわる。また、文字の法師 もんじのほうし とあって、これは日本でのことであろう。暗唱の語で、その法師を指すと見える。もんじ と、あんしょう と、文字が持つ、いわば、威力であるとみるか。文字論は、もんじのろん ではないが、近代日本での実証学問にむかえられた概念である。しかるに、もんじ を取り出すのはなぜか。文字を漢字とみる中国文化の文字論を視野にまず入れるべきかと思うからである。それは、漢字文化の源流へといざなう。 . . . 本文を読む

文字論 3

2015-11-14 | 日本語表記
日本語文字論を考える。言語記号、言語記号の文字論、記号文字論、記号論としては、文字の論はコンピュータ文字変換の記号処理につながる実践理論であった。そこで、文字論を行うとは、文字の論として日本語の漢字、仮名文字を扱うものとして議論する。その仮名文字には日本語として扱う外国語である英字語がある。それは日本語であるのか、次のような例である。 http://headlines.yahoo.co.jp/h . . . 本文を読む

文字論 2

2015-11-12 | 日本語表記
文字論を記号文字論とするのは、音声記号を文字とするか、文字とは記号であるとする考え方である。記号論と文字論である。その文字そのものの、文にして意味するところは飾り、あやであるので、文そのものの捉え方に意味があることを知る。字そのものの、字は名であるから、それもまた名辞としてとらえる意味そのものである。つまり、文字論は記号論と画して、記号文字論に対する名称をとれば、いわば、意味文字論である。記号と意味が対立するかどうかは定かではないが、言語記号と意味内容とのありようは音形としてのものである。意味文字論の謂いは字形としてのものであるから、それを議論することになる。日中同形語とする議論があり、かつて同文同種としたことが打ち消されてまた、それは明らかに理念であって理想であるが、同文でもなく同種でもなかったようであるので、いま語における字形を見て同形とするのも短絡しているといわざるを得ない。文字論となれば、それは漢字論であるかどうか、日本語寛喜の論と、中国語漢字の論とは、それぞれ言語によっての議論である。漢字論を唱えて、簡体字と繁体字と、当用と常用と、またハングル字、貝葉経文字を漢語とかかわらせるか、漢字論の広がりは文字種としての議論となる。 . . . 本文を読む

文字論

2015-11-10 | 日本語表記
文字論は文字体系による。文字体系は表意文字、表音文字、表語文字、音節文字、単音文字、音素文字など、文字によるそれぞれの組織である。また、文字論は言語学で記号論にもなる。記号論的文字論と言うが、文字学を言語記号に捉えるようである。文字そのものを漢字として意識する日本語では、漢字を取り入れて仮名の文字を編み出したところに文字の学問があるので、日本語の言語記号を漢字文字とすることは、言語記号とあいいれないところがあると考えられる。言語記号の恣意性をそこに見るのはやはり文字に見る音形として聴覚映像である。言語記号の、その模式図は弟子たちによって書き加えられたものか、概念に漢字が位置して、言語記号となるようである。文字がとりわけ概念そのもであるなら、漢字とか仮名の関係はコトバそのもである。 . . . 本文を読む

書記 表記 表現行為 20

2015-11-08 | 日本語表記
表現行為は理解行為とともに言語生活また言語事項に捉えられる。言語を行為ともする学説が言語生活を言う。言語行動を言うことがあるので、それに対して言語生活の用語は国語に密着する。その表現行為を観ようとすると、表現の自由、表現規制、表現と言論とかかわることのようである。また言語論に、表現と意味 言語行為論研究 / 原 :Expression and meaning ジョン・R.サール/著 山田友幸/監訳 が、ヒットする。言語行為として、Speech act は、言語学および言語哲学の専門用語である。ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 言語行為論 げんごこういろん speech act theory > イギリスの哲学者 J.L.オースティンによって提唱され,J.R.サールらによって展開された言語論。従来の言語論が命題の真偽を主として問題にしてきたのに対し,文の発話は同時に行為の遂行となっていると指摘した。 . . . 本文を読む

表記行為 19

2015-11-07 | 日本語表記
表記行動は言語表記、文字表記の行動を探る。表記の揺れを探ることでその行動とした。国語学で語の揺れとしたのは慣用、誤用、通用などの正用に対する揺れであったから、問題となる誤用が主としたことがらであった。文法の語形の揺れ、意味のずれによる揺れ、外来語発音の揺れである。そこに文字遣いの揺れを見ることはなかったのであるが、仮名書きが混ぜ書きで行われてから漢字表記のあり方が問われることになった。遠因には制限漢字の枠があってそれに該当する漢字とそうでない漢字の書き替えのことが教育の現場、新聞記事など報道の用語で扱われていた。それは混ぜ書きを進め漢字を書かない場合の制限についての回避行動であったが、一方で漢字教育のもたらした日本語表記のあり方であった。それは時代を経て、ケータイ端末情報機器としての文字入力に開発が進んでスマフォとなって日常化した文字入力方法は表記行動をさらに変えてしまっている。パソコン入力の方法と、指のワンタッチで候補語が出てくる瞬時の変換は表記行動についていえば、人々は悩まなくなったのである。 . . . 本文を読む