外題 げだい という。巻子、冊子の表紙に書く書名、巻名とある。墨書き、あるいは題簽を貼るようになる。対して内題があり、書誌での調査に欠かせない。それがまた、外題には、歌舞伎、浄瑠璃の題名に、芸題、主に京坂で用いたもの、江戸では名題といった、そのタイトルをさすようになる。その読みは言葉の妙がある。区切り方をはじめ、ならわしでの読み方が興味深い。またそこに、浄瑠璃の名題、脚本の外題、書物の標題などにその内容を示す、二行の割り書きをしたものがある。角書という。 . . . 本文を読む
表記と文字との関係は、発音と言語記号の関係になるか。
記号は発音を伴えば言語になると考えてよいが、原理には、単音としてのものでは例がすくない。
それは発音の連続においてひとまとまりの区切りをもっている。
そこに意味の有無を持つかのように、言語が意味を表すかどうかにかかわる。
文字だけで言葉とした漢字漢語とちがって、しかしその漢字を借りて、文字を表記として発音記号のひとつにしたのである。
それ . . . 本文を読む
名前をつける、名づけ、名づける、古語では、なづく という語は、命名というのであるが、はて、人、物などに名をつけるとはどうすることか。
人、物、商品、土地、時代、気候、ほか概念化可能な対象一般に対して、それを他から区別し、指示できるようにする為に、一意的な記号(一般に言葉、文字)を与える行為、と、ウイキペディアには、定義する。
命名となると、行為である。
この漢字を用いて名づけを考えることになる . . . 本文を読む
キラキラする、きらきらする、綺羅 の当て字であろうか。
日本語の表記に、考えさせられる。
<人名における「ぶった切り」の不自然度分類表>というのがある。
漢字の読みを変えるものである(ニコニコ大百科、漢字の読ませ方の問題を参照)。
キラキラネームのサイトがある。
そのコラムは啓蒙をする。
また、この呼称の類似に、ドキュンネーム というのがあるが、報道機関では用いていない。
もとネットスラングの派生について、蔑称として説明があり、使用に当たってはその表記に気をつけなければならない。
それで、中立的な立場での語の、珍奇ネームともいう人がいるようである。
一説によると、キラキラネームは2000年代以降急増したそうだ。 . . . 本文を読む
文字と表記は日本語についての議論で特徴的である。
万葉集の表記、仮名文字の遣いかたにおける表記の様相がある。
そしてハングル表記とローマ字表記と、発音と日本語のかかわりに、言語資料とその広がりを持つ。
音節を言語音の単位として意識する、この議論は文字とは何かが日本語の解明となる。
漢字 かな 日本語表記論11
2013-08-27 15:50:23 | 現代日本語百科
日本語表記には文 . . . 本文を読む
漢字を書かない、自書出来ない世代が増えた。典型的にはケータイ操作による語の選択と、書くという練習がない、文字力の認知ができないというものである。認識はしているが、書くということになると、認知行動になるので、文字書きが記憶にないことになる。認知不足は脳障害によっておこるとされるので、世代に脳障害が増えているものではない。書く練習を始めれば字形をとらえて書き順を言覚える脳の機能は備わるだろう。言葉の認識はスマフォにおいてパソコン端末用に現れる語の候補によって十分に行っているのであるから、ワープロを使って文字を書く限りにはその世代の文字書きの能力は変わらなく備わったものとみることになる。これを英文字も併せて書かない、書くことができないとしたら、学力の問題に関して何らかの不足があることになるが、必ずしもそういいうことではない。読み書きそろばんのことでいえば、読み、パソコンで書き、計算機を用いるということである。暗算、筆算をするかしないか、それができなくなる、という現象である。 . . . 本文を読む
表題は、その短音化をさす。
カタカナが増えてきたことにあわせての、現象である。
言語学者、井上史雄さんが日経新聞のコラムを連載している。
最新記事は、現代ことば考カタカナ語、目立つ短音化 井上史雄 2015/10/25付 である。
促音「ッ」の入る語や長音の「ティー」「リー」についての変化を、次の例語で述べている。
いずれもカタカナ表記が変わってきた。
現実には表記が発音を伴うので、それを用 . . . 本文を読む
表し記すこと、表し記したものの、あらわしかたを議論する。
表し方であり、表された結果である。
文字表記による表記史に文体の視点を持つと、日本語の文体史がわかる。
文体史とは表記体史のことであると、訓点語学の泰斗はみた。
ちなみに文学作品が言語資料であると、おおよそのことがわかる。
歴史書の、古事記には変体漢文としての漢文体、日本書記は正格漢文にも見られる漢文体である。
和歌の詞華集に、万葉集 . . . 本文を読む
ぼかしコトバを取り上げた国語に関する世論調査は、使用頻度が15年前より増えているという。9月17日、文化庁による。ぼかし言葉は、だれがそう呼ぶのか。みたいな、の言いかたを指し、若い世代に増えているというのだ。その場の雰囲気を壊さないように断定することを避ける風潮から生まれたと、新聞記事。ぼかしは、暈しとかく。動詞、ぼかす にすると、その意味内容は >ぼか・す[動サ五(四)]
1 輪郭や色の濃淡の境目をきわだたせないで、ぼんやりさせる。「―・して描く」
2 意味や内容をはっきり言わずぼんやりさせる。表現をあいまいにする。「肝心な点を―・して話す」
[可能]ぼかせる となる。日本画で、色を濃い部分からしだいに薄くしていく技法、色を次第に濃くしたり薄くしたりして陰影をつけるもの、とある。暈し言葉は、あいまいにする、はっきり言わない、ということではない。染物にある、ぼかし染めは、伝統にある、日本独特のものとなるから、その暈し方は絶妙である。 . . . 本文を読む
日本語表記法は正書法と比べて文字種に合わせた書き分けがある。正書法が正書であるゆえんは文字種による制約を持たない、あるいは一つの文字種についての発音表記を決めることにあるようであるから、言葉における発音と表記を一致させるものであった。日本語発音は、したがって、一つの言葉に表記を充てる、まさに仮名文字と漢字を用いてかき分けることをするので、正書法と異なる、表記法が求められることになる。文字種ひとつに発音が対応する書き分けは、書記者によって漢字を充てるか、仮名文字を用いるか、その書き方が異なることを許容している。言葉 について、ことば と書く、コトバ と書く、その表記法には正書法とは異なった書き分けがある。言葉に漢字を充てる、仮名文字を用いる、ひらがなか、カタカナか、それについての書き分けの規則は原則がつくられているが、発音を音韻に基づいて仮名表記する場合の音対応が定められているのをもとにする。その書き分けは現代仮名遣いとして定着し、日本語の正書法と言えるのは、仮名遣いをもとにした表記である。カタカナは外来語発音をかき分けることになるので、日本語音韻としての原則に外れる書き方が現れる。 . . . 本文を読む