漢字、仮字、英字、数字に、これを縦書きと横書きで書き表す日本語は、それぞれにまた、旧字体と新字体、カタカナとひらがな、ローマ字綴りに原語表記、そしてアルファベットと漢数字がある。その使い分けはルールがあって、ない。あるのは書き手の表記行動にあり、緩やかではあるが統一された書記法がある。書記法とは、漢字の書き順に送り仮名のつけかた、仮名文字の書き順、その語彙による使い分け、現代仮名遣い、カタカナの表音は語によるが音節化する、数字は年号日付に書き分けられる。このようにして文字の種類による、語、文、文章の表現はさまざま、その書き分けによる特徴また個性を持つことになる。文字史には文字がどのように記録されたかを見るが、日本語文体史がその表記史で説明できるように、文字史にあるのはなにか。 . . . 本文を読む
文字としての解説に、>アルファベット圏では、アルファベットのような単音文字を「字」(英: letter)、それ以外の文字記号を「文字」(英: character)と区別することがある。いっぽう漢字圏では、象形や指事によって作られる具象的な記号を「文」、形声や会意などによって構成される記号を「字」と区別し、両者をあわせたものが文字であるとする。この説は広く流布しているが、実際には正しくない、とある、ウイキペディアの述べる述べる漢字についてのところは、許慎 、説文解字、叙による、説明であるが、それを、次のように、#語源の解説を参照 とあるので、その、「文字」という単語の語源 には、>中国では戦国時代までに、文字を意味する語として「書」「文」「名」などが用いられるようになっていたが、これらは文字以外の意味も持っていた。秦の中国統一にともない、秦の語彙「字」が公式に用いられるようになり、漢代に入って文字を表す語として定着した 山田崇仁「「書同文」考」『史林』91巻4号、史学研究会、2008年7月、pp. 681ff とある。 . . . 本文を読む
日本語文字は言語記号であるか。所記と能記を記号とするとそこには表記に、漢字仮名ローマ字を使い分けている、このワープロの言語処理に、わたしたちが行うところの、日本語を読み書きする脳と、聞く話す脳との、それをとらえての、その人工言語における過程には聴覚映像はない、つまり概念は機械のメモリーのなかでは結ばない、結びつかないにかかわらず、カメラを通しての画像分析がすすみ、一方で見ているかのように行われるので、人工頭脳にイメージを結ぶことが可能となるかどうか、それは、じつは、わたしたちの脳における記憶の部分とかかわる。さきの、その聴覚映像に、言うところの視覚映像が日本語文字となる。日本語文字の視覚性ととらえ、視覚映像となると、概念と結びつく文字である。言語記号では、/arbor/と、樅木の結びつきが、モデルになるところ、それをまた恣意な結びつきとしている。その聴覚映像に代わる視覚映像は、「樹」と置き換えられることになる、のかどうか。 . . . 本文を読む
日本語文字論の、考えなければならないことは、文字表記の視覚性ということである。言語記号の聴覚性に対する、それは言語記号の音象徴に捉える、言語の第1義に音声を置くか、ということに対して、その文字が果たす役割から、文字こそが第1義になるという見方である。音声と文字、いずれも言語記号とすれば、音声によることば、文字によることば、ということになる。日本語が混合文字体系であるとすれば、それは表意である、表語文字を用いているということに、音節文字で発音をとらえる仮名文字をあわせているところに、それぞれが文字としての機能を持つというふうに見ることができる。繰り返し言えば、言語が音声であるかどうか、言語は文字であると、日本語での意識にある、文字そのものが言葉であるということにある。すでに、もじ、もんじ、このふたつの読みをみて、日本語の文字、中国語の文字すなわち漢語の漢字というふうに使い分ける日本語である。すると、そこには音声としての言葉がある一方で、文字としての言葉が捉えられている。 . . . 本文を読む
日本語文字表記で漢字の言葉にはそのまま、音読みであるので用い、訓読みはひらがな表記だけで行うという考え方がある。それを示すと、音読みの語というのが微妙なことになる。その主張通りにすれば、書き分けは容易であると思われるが、それを実践にした文章が梅棹忠雄の著作にあった。それは口述筆記の講演をもとにしたエッセイ集であった。知る人はローマ字論者としての意見があって、研究者として強くそれを著作で主張していた。その著作は、梅棹忠夫(著)「日本語の将来」 NHKブックス http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140910011/250-8075316-0009066 である。そしてそれまで、梅棹氏の著述で平仮名が多いということが読者の印象であったようであるが、それにはそう見える書き方があったのである。漢字を書くときに字音語はそのままにして、訓読みで送り仮名をつけるような語はすべて平仮名にするというのはそれなりに、漢語と、日本語とを、書き分けることである。それを想像するなら、実は読み分けることで、また、聞き分けているのである、その意識をもって日本語を聞くと、わかりよいことがある。講演集からエッセイへと編集するにあたって、編集者にそのように書き表すことをしたのであろう。その梅棹氏にローマ字論があることはまた首肯できるところである。学問の効率、その能率をローマ字入力のスピードに求めてカードづくりをするなら、そのカードが文化人類学、文明論の研究で実践されていた。そうすると、日本語タイプライターは、今のような漢字かな変換の人工頭脳持つ、その複雑さはいらないのか、と、素人に考えてしまうのだが、ワードプロセサーを要しないということはそういうことでもないであろう。コンピュータ処理があれば、それが可能であるところまで技術は進んで来たので、インプットには日本語文法が働くのである。このように、日本語文字論を見ていくと古くて新しいローマ字化論が出てくるが、そこには日本語の視認性が論じられることが少ないようである。 . . . 本文を読む
文字の機能を視覚効果におく。日本語文字は混ぜ書きができる。文字論で述べる表記行動が日本語文字を効果的に使い分けるだけでなく、使いやすく書きやすい文字の選択には書き手のスタイルとなる。文字の言語学で混合文字体系と分類されて、漢字の下位体系に2種、仮名の下位体系に2種を認めている。すなわち音読みと訓読み、片仮名と平仮名である。そこにはもう一つ、ローマ字の仮名体系があるのであるが、それは述べられていない。その説を展開するならば、ローマ字にも2種を少なくとも認めることになる。外国語と略号である。さてその視覚となると現実にはあり得ることで、キーボードを打ち込み、字かな仮名変換で選び、その結果で文字列を作り出す一連の操作は日本語文字の視覚によるものである。手元の入力が平仮名である場合と、いまここのヘボン式ローマ字の音でする場合とをその文字列で再現してみよう。いかに、その文字列が機能的であるか、効果的であるか、たやすく見て取れる。 . . . 本文を読む
文字の言語学によると、日本語文字は混合文字体系にある。混合的な性格の強い文字には、エジプト文字、アッカド文字、英語の文字とともに、日本語の文字がある。中国語の漢字に日本語の解釈を加えたと説明する。フロリアン・クルマス著、斎藤伸治訳、文字の言語学 現代文字論入門、大修館、205ページ。中国語の文字を日本語に適合化したと述べる。さてそこで、英語を混合体系とみているのを知る。日本語の解説は国字、振り仮名、読みの多重性など首肯するところであるが、英語の表記は、日本語と対照的に、一通りである、と私たちは思っているが、それをそのままでは表面を見ているだけであると言う。そこには3つの文字体系がある。英語にあるのは、基盤英語、ロマンス語、外来語である。これは正書法に係わる。 . . . 本文を読む
文字史を考える。文字に歴史があるとするなら、文字の発生と使用の変遷、そしてその文字の衰滅また廃棄のことである。漢字には歴史があるとすると、いまは中国で一部の用字で簡体字の時代になっている。日本で常用漢字の時代であるし、簡略化を遂げた通行新字体の日常使用に、そのもととしての繁体となる旧漢字などを含めての併用である。仮名文字に歴史があるなら、その発生と変体仮名、また異体を用いた、長い時代を経ての仮名の一字一音を対応させた使用を原則とした現代がある。発生と変遷に歴史的な活気を求める出来事があるか。それは文字改革として位置づけられることがらになるが、発音と文字のことがらは中国と日本でそれぞれの歴史をたどっているし、文字改革のような言語計画に当たることは歴史上に多くはない。文字は書き手のその使用の意識に支えられているので、その地域、その民族にある言葉とともに、文字を持ち歴史を持つとしたなら、人々の慣用がどのように、発音とともに、かわってくるかが、歴史の事項となるかならないか、というようなことである。文字を言語に捉えてその発明、創意工夫は容易ではないが、民族によってそれが時として稀有な出来事として表れている。文字の研究で女真文字を解読した日本の言語学者がいる。また発音表記を文字として工夫する、あるいは創造するということがある。 . . . 本文を読む
日本語文字論に、漢字、和字、ローマ字がある。中国渡来と、本来の日本語を書き表す文字、そして洋字ともいうべくローマ字であるが、いずれも日本語に現れる文字である。文字遣いに和字を据えるのは、その文字の正当性でいえ、仮名、片仮名によって音節をとらえる日本語の文字である。和字はまた、漢字に対して国字ということがある。漢字を国に作った字、和製漢字である。 . . . 本文を読む
文字による記録に歴史があり、文学がある。ことばによる人間の思索は哲学をはじめ、その思索に心情をおけば、哲学の代わりに歴史と文学がある。人間の営みに、ことばをもって心情を吐露すれば、それは歌となるであろうか。文字に表わされた歌は、その文字すなわち言葉を紡ぎだす。文字は文によって歌となり、文章によって思想となる。文章に漢字を、歌に仮名を、それぞれ分担して祖先は日本語を書き表す工夫をしたのであった。それはまた思索と心情をともにし、思想をあみだす。言葉の学びのためにその仮名のもう一方で片仮名として日本語文に表わそうとした。漢文を訓読した意識には漢字の言葉を読み添える日本語を編み出し、それは文体となる。漢字は漢語、仮名は和語、そして学びの語には片仮名が用いられた。文字はことばであり、漢字を言葉とし、仮名で言葉を綴った日本語に、文字はことばをあらわしたのである。 . . . 本文を読む