語は語誌に語の発生とその消長による。語誌に発音、語法、意味とその変遷など解説する。日本国語大辞典の凡例によると、語誌欄について、次のようである。
>語の由来や位相、語形の変化、語義・用法の変遷、類義語との差異などを特に説明できるもの
日本国語大辞典項目には、
>ご‐し【語史・語志・語誌】一つのことばの起源や、意味・用法の変遷など、そのことばの歴史をしるしたもの。
と見える。
ご‐し【語誌・語志】 . . . 本文を読む
語と語彙は国語の議論で済まされることがある。計量言語学にコンピュータ利用を国語研究所のプロジェクトにして言語地理学か計算言語学かという1950年代半ばの日本言語の課題であった。そこから4半世紀を経て集合のとらえ方を体系の見方にすることが望まれたようであるが、形態語彙論に収まりつつある
語彙の論は語の総量とした。計量語学の計算はコンピュータ援用で飛躍した。その分、功罪がある。総量ではなく、総体と . . . 本文を読む
「正月」は「政月」だった
正月を祝うのはなぜか、その由来はどういうものか、そもそも正月と呼びながら、それはいつからいつまでなのか、と疑問に思った。もういくつ寝るとお正月、と唄い囃した、幼少のころから慣れ親しんだ正月は、その唄が示すように、凧揚げ、追羽根と、楽しく遊ぶことと、お年玉をもらうことや、お節を食べることで、早く来い来いと願ったものだが、正月というとき . . . 本文を読む
無観客論者は誰であったか。都議選で明らかとなる政党の公約に、5輪中止か、無観客か、争点は5輪ではないにもかかわらず、コロナ感染対策ともろもろ抱き合わせで、はっきりと議論の方向を打ち出していた。厚労省の分科会会長が発言をすることでいつのまにか物議をかもす役回りで、5輪をやっている状況にはない、開催するにしても無観客だということを言い続けていた。都内と周辺の会場では無観客には世論はなかったと思われた . . . 本文を読む
大辞林を買った。もう辞書を購入することはないと思ってきた。書棚に幅広く占めていた席とり、国語に限らない場所取りにそこで整理を考えるところ、ネットサイトに提供する辞書の便利さがすすんだ。もはや重くて大きいのを必要としないと、実際に、片手では手を傷めるか、活字を見るにも目も利かなくなってきているからか。もっと言えば、辞書の紙媒体の出版文化はひととおりの役を交替しつつあると感じるからだ。学習用には需要 . . . 本文を読む
わかる と聞き、その表記に、分 別 解 判 を充てる。別字があることに気づく。その辞書の解説で、自動詞として、>物事の意味、内容、事情、区別などが了解される、となる。ほかは、字義ごとにそれぞに、>(分) 一つのものが別々になる。また、区分される。わかれる。>立場、気持、事情などを察してさばけた気持を持つ。物わかりよく世情に通じる。>事実などがはっきりする。判明する。知れる。 となるようである。他動詞になると、>承知する。のみこむ >)(承知してとりはからってくれる意から)金銭などをもらう のようである。以上、日本国語大辞典による。また、知る について、漢字表記で解説するのは、次である。しる【知・領・察・識】
【知】(チ)わかる。心の中におぼえる。「知人」「知覚」「知見」「予知」《古しる》
【領】(リョウ)さとる。納得する。「領承」「領会」《古あづかる・をさむ》
【察】(サツ)明らかにする。よく調べてさとる。推し量ってわかる。「察知」「観察」「診察」「推察」《古あきらか・あきらむ・しる・さとる》
【識】(シキ)見分けてさとる。物事の道理を理解する。「識別」「識見」「常識」「知識」《古しる・さとる》 . . . 本文を読む
日本はもと、ニッポンではなく、二ホンと発音したという仮説を立てる。すると、二ツについて、ジツとなる長安音になる漢字音の、そ前の発音を推定しなければならない。さらに、ニッという促音になるから、その発音はニーッからジーッという音変化を起こしたかと類推をする。日輪、大日という語を、ニチの発音でとりいれているから、呉音とすれば、日本は、ニチホンとなるが、ホの音がそれを両唇摩擦にして、フォの発音でするなら、ニチフォンとなり、ニーッフォンまたニ―フォンと発音をとらえたようで、それを表記にして、二ホンとすることになる。ここに仮説は証明されるかどうかであるが、漢字音はすでに、本の発音が、ホンではなくて漢音のボンまたベンに変化していくのであるから、ニチベン、ニーッベンではない、さらに、りーッベンのような発音を日本のこととして聞くようになる。これはニチフォンと聞いていたのとは違いすぎただろう。すると、日本となったのは、フォの両唇摩擦を破裂音に変えてニッポンとして意識するようになるが、ニーッポン、ニッポンと破裂を強くとらえることになる。 . . . 本文を読む
色を形容する語に、あかし くらし しろし あおし がある。このことばが、赤い、黒い、白い、青いとなって、今日に至る。明暗と光の反射、透過を表した。日本列島の海洋と、地形による山川に当てはまる表現である。それを京の盆地から眺めているかのような、想像とともにある。色名は漢字の渡来により、色となる。染色技術による色彩は、色名をもって色合いを豊かにした。日本語の和の色と一覧にする。また、虹色として光による赤黄緑青藍紫を学ぶことは、漢語による色名の広がりを編み出した。 . . . 本文を読む
新潮日本語漢字辞典が、2007年9月に出版、いまをすぐること、手にして10年前になるが、取りだすことなく机上を飾っていた辞書である。字引きだと、とらえていた。ちょうど岩波漢語辞典が1987年に出され、その後に新漢語辞典となって、1994年 第一版 2000年 第二版 そして2014年に、3版を数えた。この辞典は、国語辞典テイストの漢和辞典と評されていた。>熟語の解説は国語辞典のようなテイストで、語釈を交えながら解説を加えているところに大きな特色があり、他社の辞典とは一線を画する内容であるといえるだろう。また、字義の説明にも、語釈を交えているような部分が見られ、なかなか読んでいて興味深いものがある。http://www25.atpages.jp/takeforce179/kanji/kanwa_dic/iwanami_shinkango.html 加えて、同様に漢字を日本語とみる辞典の出版であったから、かつての思いを起こしてみた。 . . . 本文を読む
堂々巡りという。語源で、はてと思うことがあった。まことしやかにと、思うようなことで、フィクションの世界に入ってしまうのはまた、ネットサイトの空間に堂々巡りをしてしまったということである。それではと、日本国語大辞典に用例があるかと検索をしてみたら、抄物という、いわば講義録に出てきた。その用例は、>古活字二巻本日本書紀抄〔16C前〕上「毎日一度づつなれば一年に三百六十度えいかねば、一年に同じ所へ行合ぞ。たうたうめくりする物があとへをっつくやうなぞ」 と見える。さてまた、巡る と、回る とが、表記による解釈をあらわしていて、民間に伝えられるのは巡礼あるいは祈願による現れを見ることになる。俳諧の用例を日本国語大辞典から引用する。>俳諧・崑山集〔1651〕一二・冬「時雨の比(ころ)清水寺にて 順礼とたうたうめくりしくれ哉〈貞利〉」 . . . 本文を読む