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堂々巡り

2016-05-10 | 語と語彙
堂々巡りという。語源で、はてと思うことがあった。まことしやかにと、思うようなことで、フィクションの世界に入ってしまうのはまた、ネットサイトの空間に堂々巡りをしてしまったということである。それではと、日本国語大辞典に用例があるかと検索をしてみたら、抄物という、いわば講義録に出てきた。その用例は、>古活字二巻本日本書紀抄〔16C前〕上「毎日一度づつなれば一年に三百六十度えいかねば、一年に同じ所へ行合ぞ。たうたうめくりする物があとへをっつくやうなぞ」 と見える。さてまた、巡る と、回る とが、表記による解釈をあらわしていて、民間に伝えられるのは巡礼あるいは祈願による現れを見ることになる。俳諧の用例を日本国語大辞典から引用する。>俳諧・崑山集〔1651〕一二・冬「時雨の比(ころ)清水寺にて 順礼とたうたうめくりしくれ哉〈貞利〉」


三省堂三省堂
どうどう めぐり だうだう- [5] 【堂堂巡り・堂堂回▽り】
( 名 ) スル
①祈願のため,社寺の堂の周りをまわること。
②思考・議論などが同じことの繰り返しだけで少しも先へ進まないこと。 「話し合いは-するばかりだ」
③国会などの議会の採決で,全議員が順々に演壇上にある投票箱に投票すること。
④遊戯の一。手をつなぎ丸い輪を作って一か所をぐるぐるまわるもの。



http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%B2%A1%B9%BD%E4%A4%EA
堂々巡りとは - はてなキーワード - はてなダイアリー
d.hatena.ne.jp › はてなキーワード › 一般

昔、現在の中国雲南省に二人の拳法の達人がいた。 一人の名は堂高、もう一人の名は堂虎といい、どちらも天下敵無しと言われてほどである。 しかし両名とも苗字が「堂」であったことから、お互いに意識しあい、 また人々もどちらの堂が強いかと噂するようになった。 そして双方ともに拳法家であった事から堂と堂は拳法で勝負することになり、雌雄を決することになった。しかし勝負は三日に渡ったものの、両者共に譲らず、決着はつかなかった。 そしてこれ以降も両者の争いは続いたという。
そのため勝負がつかない、いつまでも同じ事を繰り返すことを堂々巡りというようになった。
また今でも「堂に入る」という表現があるが、これはこの堂高・堂虎が拳法の達人であったことに由来し、 物事に優れていること、身に着いてることを意味する。
以下id:karmen追記

語源由来辞典の「堂々巡り」
http://gogen-allguide.com/to/doudoumeguri.html
 堂々巡りは、信徒や僧侶が願い事を叶えるために神社や寺のお堂の周りを何度も回る儀式のことを言った。
そこから、同じ事を繰り返し続ける事を「堂々巡り」と言った。

「お堂の周りを回る」と書かれていますが、もう少し意味の通りの良い解釈があります。
神社やお堂がたくさんある時代背景に、色々なお堂に次々とすがる様を言ったので「巡り」と続きます。





http://g-tavern.com/mimmei/doudou.html
民明書房~堂々巡り

堂々巡りとは?
 昔、現在の中国雲南省に二人の拳法の達人がいた。 一人の名は堂高、もう一人の名は堂虎といい、どちらも天下敵無しと言われてほどである。 しかし両名とも苗字が「堂」であったことから、お互いに意識しあい、 また人々もどちらの堂が強いかと噂するようになった。 そして双方ともに拳法家であった事から堂と堂は拳法で勝負することになり、雌雄を決することになった。
 しかし勝負は三日に渡ったものの、両者共に譲らず、決着はつかなかった。 そしてこれ以降も両者の争いは続いたという。
 そのため勝負がつかない、いつまでも同じ事を繰り返すことを堂々巡りというようになった。
 また今でも「堂に入る」という表現があるが、これはこの堂高・堂虎が拳法の達人であったことに由来し、 物事に優れていること、身に着いてることを意味する。
民明書房刊『武道達人逸話集』より
初版発行1999年2月19日


ウイキペディアより
魁!!男塾

民明書房(みんめいしょぼう)とは、作品中にたびたびその名が登場した、架空の出版社。
1926年(大正15年〜昭和元年)創業[3]。所在地は東京神田神保町。社名は、中国の武術に関する本を出版した創業者大河内民明丸(おおこうち みんめいまる、1904年 - )の名に由来する。


http://matome.naver.jp/odai/2136231490106826801
民明書房刊の記事大全 まとめ【知っているのか雷電!?】

民明書房(みんめいしょぼう)とは、宮下あきらによる日本の漫画作品『魁!!男塾』(さきがけ!!おとこじゅく)中にたびたびその名が登場した、架空の出版社。
1926年(大正15年〜昭和元年)創業。所在地は東京神田神保町。社名は、中国の武術に関する本を出版した創業者大河内民明丸(おおこうち みんめいまる、1904年 - )の名に由来する。
この民明書房の刊行物を引用するといった体裁で、作中で過去の偉人たちの逸話や登場人物が用いる武術、荒唐無稽な決闘方法、男塾内での常軌を逸した荒行などを解説して、ある種のリアリティを持たせた。作者によれば昔の忍者漫画で技に科学的な解説がなされていたことに発想を得たアイディアだという。その他に太公望書林や英学館、時源出版、曙蓬莱新聞社、ミュンヒハウゼン出版といった他社の出版物が引用されたこともある。



http://g-tavern.com/mimmei/index.html

民明書房とは…?
20代以上の人には説明不要でしょう。 その昔、週刊少年ジャンプに連載されていた マンガ「魁!男塾」の中に出てきた架空の出版社のことです。 マンガ中に出てくる架空の拳法や武術に、民明書房の本で解説をするという(それもかなり強引な)ものでした。 (「天より高く」や「暁!男塾」で復刊(?)していますね)
そこでそれを習って(←習うなよ)いろんな用語を解説しようというコーナーです。 ここに書いてあることはフィクションであり、 全くの出鱈目です。 知っていても何の得にもなりませんので注意してください(笑)

http://g-tavern.com/mimmei/internet.html
インターネットとは?作:Gilice

 紀元前一六世紀頃、現在の中国は殷という王朝が治めていた。 そして当時、気功術の達人に太(たあ)という男がいた。 彼は独自の情報網を唱え、それを気功術の広布に使ったという。 この情報網のおかげで気功術法も中国全土に知れ渡り、 これが後の太極拳に発展した。
 現在、コンピュータネットワークにも、 この太氏が唱えた情報網が元になっており、 殷時代の太氏によるネットワークという意味から、 殷・太・ネット(インターネット)と呼ばれるようになった。
民明書房刊『コンピュータ中国史』より
初版発行1999年2月19日





「堂々巡り」 の由来と語源 – 由来メモ
www.yuraimemo.com › 状態
2011/01/06 - 堂々巡りの由来堂々巡りとは、信徒や僧侶が願い事を叶えるために、神社やお寺のお堂の周りを何度も回る儀式のことからきたそうです。 お寺はわかりますが、神社? 神社はお堂とは言わない気がしますが。それならお百度参りってのがある ...

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