読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

現代中国インドシナ半島関係小史1

2012-11-16 08:54:49 | 歴史

 中国の外洋制圧の野心は尖閣諸島だけでなく、南シナ海にも及んでいる。

 むしろ、この方面への関心、力の入れ方が上回っていると言える。

 南シナ海を取り巻く諸国との軋轢も高まっている。

 その中でも、最も中国に対抗意識を強めているのがベトナムである。


●二つの主張(宣伝)

ベトナム戦争当時、ハノイに首都を置くベトナム民主共和国(以下、北ベ
トナム)は、下記の主張をしていた。

  1.南ベトナムには、北ベトナムの正規軍はいない

  2.北ベトナムには、外国軍隊はいない

 主戦場であったベトナム共和国(以下、南ベトナム)の領土内では、南ベ
トナム民族解放戦線(以下、解放戦線)の部隊が活動していたが、主力
は北ベトナムの正規軍であった。

 北ベトナム、解放戦線の相手は、アメリカ軍、南ベトナム政府軍、および
アメリカの要請に応じて派兵した韓国軍などでだった。

 量はともかく、質に問題のある南ベトナム政府軍を含めて、いずれも『正
規軍』だった。

 当時の最新兵器で装備し、軍人としての訓練を受けた『正規軍』であった。

 農民出身者を母体として、ゲリラ戦を主体とする解放戦線にとっては、強
敵である。

 解放戦線の戦力だけでは、1975年4月に、『ベトナム戦争』が終結し
たかは疑問である。

 現実に、1968年1月の『テト(旧正月)攻勢』では、解放戦線は軍事
的には、多くの損害を受けてる。

 南ベトナムを解放(征服)し、全ベトナムを統一するためには、南ベトナ
ム領内での北ベトナム軍の軍事行動は、欠かせないものだった。

 そのため、北ベトナムは、できるだけ多くの青年を徴兵、訓練し、南ベト
ナムに送らなければならなかった。

 そうした場合、北ベトナム本土の防衛力は低下する。

●『ホーチミンルート』の戦い

 『ベトナム戦争』の戦場は、南ベトナムだけでなく、隣国のカンボジア、
ラオスにも広がっていた。

 他には、アメリカ空軍が北ベトナムの空爆、いわゆる『北爆』を行っていた。


 それだけでなく、北ベトナムから南ベトナム領内の北ベトナム軍、解放戦
線への軍需物資を輸送する『ホーチミンルート』への空爆も激しいものだった。

 北ベトナムと南ベトナムの境界線であるベンハイ川は渡れず、ラ
オス、カンボジアを迂回して、軍需物資を送っていた。

 ラオスは、ベトナム戦争については中立国でしたが、北ベトナムもアメリ
カも、まったく配慮しなかった。


●ソ連、中国の援助

 北ベトナムへの軍需物資は、ソ連(当時)、中国から送られていました。

 ソ連の援助は10億ドル(年間)、中国は5億ドル(年間)と推定されて
いる。

 それらの物資は、中国は、中国本土から陸路で北ベトナムへ送っていた。

 ソ連は、船舶で、ハノイ東南のトンキン湾に面したハイフォン港へ陸揚げ
していた。

 いずれの場合も、北ベトナムを中継している。

 その北ベトナムの中継機能を破壊すれば、南ベトナムの北ベトナム軍、解
放戦線の息の根を止められる。

 そのための北ベトナムへの空爆を『北爆』と呼んでいる。

 1964年3月から1973年1月まで(停止期間はあったが)に、北ベトナム
に投下された爆弾の量は、太平洋戦争において、日本本土に投下された量の
数倍と言われている。

 この『北爆』に対する北ベトナムの対空戦闘も激しく、アメリカ空軍の航
空機、人員の損失も莫大なものとなった。