読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

坂本龍馬に学ぶ33の仕事術 日本を洗濯致したく候 中島 孝志

2010-11-25 10:05:05 | 歴史
坂本龍馬に関するエピソードがいくつか集められ、それに著者の注釈解説
されている。
基本的にはビジネス書、自己啓発書。仕事に生かせるアドバイスも豊富。
「彼はもともとおれを斬りに来た奴だが、なかなかの人物さ。
そのときおれは笑って受けたが、おちついていてなんとなく冒し
がたい威厳があって、よい男だったよ」
勝海舟の談話集「氷川清話」にある話である。龍馬は勝を暗殺に来て、
その人柄に触れて以後師事するようになったと言われている。
だが実際は、勝邸に龍馬と同行したのは剣術道場の人間だった。
刺客だとか攘夷派などではなかったのだ。

龍馬が彼を訪ねた目的は、海外のことを知る勝海舟に海運につい
て教えを請うためだった。紹介状を携えて乗り込んだのだ。

そこで大切なのは、二度会って、親しくてもらえるだけの度量を、
自分が持つことである。龍馬にはそれがあった。勝の言葉はその
ことを物語っている。

・「天下の大事をなすものは、機が熟しているかどうかを見極め
ないといけない。ねぶと(おでき)の膿み具合もよくよく見て、
針で刺せば膿みを出せるかどうかを判断しなければいけないのじゃ」
これは、姉、乙女にあてた手紙のフレーズだ。

外国勢力が虎視眈々として日本を眺めている時代。大きな力を持つ
薩摩、長州が手を結ばなければ勝ち目はないと、皆が頭では理解し
てはいた。
だがそれを実行に移そうとしたのは龍馬だけだった
物事の成就にはタイミングが重要である。だがそれは、待っていて
訪れるものではない。普段より思い定め、準備をして初めて生かせ
るというものである。

・「役人は好かんきに。世界の海援隊でもやろうかな」

西郷隆盛が驚いた。新政府の役職の中に、龍馬の名前がなかったか
らである。直接本人に問うたところ、このような答えが返ってきた
のだとか。

また、龍馬はこんな言葉を残している。火事で焼けた家に、父の形
見の刀を取りに入ろうとした人に。

「刀なんか道具だ。本当の形見はお前自身じゃ。そんなものに誇り
を持つな」

権力を持つことにも関心がなかった。人そのものを見、愛する人
だったようだ。


司馬遼太郎が龍馬のことを小説に書いたのは偶然だったのだそうだ。

龍馬のことを最初に司馬に話したのは、司馬の後輩の人物だった。
彼は高知の出身で、面白い人間がいるから、ぜひ書いてほしいと司
馬に語った。

だが司馬は、その時点ではどうにも乗り気ではなかったと後に書いている。
だが歴史書をあさるうちに、中に散見される龍馬という人に次第に
魅入られていったと言う。

スパイの語源

2010-11-25 09:33:54 | Weblog
スパイとは一般には、他人の『秘密』の情報を手に入れるために知恵を使
う人を言う。
従って、『公開の情報』をさぐる人はスパイとは言わない。公開の情報を「さぐる」
と言う言い方もしない。
このスパイという語は、スペクト(見る)が語源といわれている。
これから派生した言葉として、サスペクト(気がつく)、サスピション(疑惑)がある。
サスペクトは、サス(頭を上げる)とスペクト(見る)が合体して言葉である。
意味としては『頭をあげて、注意して見る』ことが原義。
つまり、『なにかおかしいと思って、注目する』ことを言う。
英語の古語では、エスピー(よく見る)がある。
これらが統合されて、スパイという言葉ができたのかも。
本来のスパイは、『よく見る』『くわしく見る』『注意して見る』の意味
だった。
現在のように『秘密の情報を人知れずにこっそりとのぞく』『非合法手段
を使った盗む』事を意味するものではなかった。

外交とスパイ
いつごろから、現在のような意味になったのか。
ヨーロッパで現在のような『外交』が始まるのは16、17世紀で
あるといわれている。
当然ながら、国と国との交渉は紀元前のはるか以前から存在していが、現在の『外交』に近いものは、北イタリアのヴェネチア等の都市国家の間で始まったようだ。
軍事とスパイは切り離せない密接な関係があるが、それは外交についても同様だ。
つまり、スパイも紀元前の昔からあった訳で、『近代的なスパイ』も、外交とともに始まったと言える。

ついでながら外交は英語ではディプロマシーと言う。
ディは数字の『二』、プロは『プリ』で『折ること』を意味している。
つまり、ディプロマシーは『二つ折りにしたもの』、具体的には外交文書
などの機密文書である。
その『二つ折りにした文書』が外交の基本であり、それが『外交』になっ
た。
一枚の紙に文章を書き、二つ折りにして封印すれば、誰にも読めなくしていた。
自国の君主、外交官が外国の君主に送る文書は、通常は機密扱いになっていた。
自国の利益のためには、外交では隠さなければならないことがたくさん有った。
それを知る必要が有る人たちが居た。それが『スパイ』である。