読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

続々家斉の事

2010-11-13 20:36:50 | 歴史
十一代将軍・家斉は『子だくさん』だった。
東京大学の別名とも言える『赤門』の言われが関係して来る。
東京都文京区本郷にある東京大学の敷地には『赤門』と呼ばれる建造物が
ある。
江戸時代、現在の東京大学の敷地は加賀(現在の石川県)前田家の江戸
屋敷であった。
文政10年(1827年)11月、前田家は十一代将軍・家斉の第21女
・溶姫(やすひめ)を正室として迎えることになった。
そのため、前田家は溶姫が将軍家の娘であった為、御殿を建てなければならなかった。
『御守殿(ごしゅでん)』と言う。御守殿専用の丹塗(にぬり)の門も建てた。
これが『赤門』である。加賀百万石の前田家の建造物では、この『赤門』だけが現存する。