読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

徳川家斉の事

2010-11-14 09:47:26 | 歴史
 江戸時代は、長生きした人の寿命は現在と変わないが、一般の人の平均寿命は現在より短かったと考えられる。

織田信長は謡曲『敦盛』の中で『人間五十年』と歌ったのは有名だが、
戦国時代末期から江戸時代の平均寿命を50歳と考えた場合、その全期間
を一人の将軍が占めた時代があった。(男女合わせての話だが日本人の平均寿命が50歳を
こえたのは昭和22年になってからだそうだ。)
その将軍とは、江戸文化の爛熟期といわれた『文化・文政時代』に君臨した十一
代将軍・家斉である。
十一代将軍・家斉(いえなり)は50年間にわたって将軍として、幕府に
君臨した。
そして、生前に『太政大臣』という天皇の臣下としては、最高の官位を得
ている。
そして世相は『文化文政時代』という江戸文化爛熟の時代にあった。
家斉は、歴代将軍では最も多くの側室に多くの子を生ませたとして有名で
す。司馬遼太郎も書いているように、滑稽なほど子供が多かった。その為、幕閣の
大きな仕事にその娘達を何処へ縁付かせるかと言う問題が有った。
記録に残るだけで、男26人、女27人の子が生まれています。
多くの子の養育費が幕府の財政を圧迫したともいわれている。
天保8年(1837年)に長男の家慶(いえよし)に将軍職を譲りますが、
依然として実権は握り続けました。
天保12年(1841年)に69歳で死去しました。
黒船来航の13年前である。その最期は誰ひとり気づかぬうちに息を引き
取ったと伝えられ、このため、侍医長の吉田成方院は責任を問われ処罰されたと言う。