ある旅人の〇〇な日々

折々関心のあることや読書備忘を記録する

読書録「海人(UMINCHU)」

2012年05月22日 | Weblog
■2004/02/07 (土) 小林照幸氏も沖縄フリーク
「海人(UMINCHU)」:小林照幸、毎日新聞社

著者の本は久しぶりだ。まえに読んだのは確か「海洋危険生物 沖縄の浜辺から」(文春新書)だった。
著者は長野市生まれである。彼が小学1年ときの海洋博以来、沖縄に憧れているというから、ずいぶん長い沖縄フリーク。
海洋博に行って来た人からサンゴ礁の海の写真をプリントした下敷きを土産物としてもらったのがきっかけ。
そのころ、岐阜で催された蛇展を見に行って、毒蛇ハブも知ったという。このハブを見たことが、彼の大学生のときに開高健賞奨励賞を受賞した作品の伏線になっている。

ここでのノンフィクション「海人」は、76歳の海人現役の照屋老の人生を追いながら、戦前からの沖縄史をも書いている。

照屋老は、石垣島生まれだが、家が貧しくて、9歳で糸満売り(海の学校と言っていた)にされた。糸満売りは民俗学者・谷川健一の小説「海の群星」に詳しいが、成人に達するまで奴隷のような生活を強いられる。
照屋老は、八重山の海に潜らされ、おもにタカセガイを捕らされていた。タカセガイは軍服のボタンの材料として需要があったのだ。そのとき、サメに襲われ、今も残る深い傷痕を刻まれた。

戦後解放された照屋老は、海外にまで漁にでて資金を溜め、自分のサバニを持ち、一本釣りを始める。もっとたくさん魚をとるため、1959年に家族とともに本島に移住。
勝連の平敷屋を拠点にしていたが名護の辺野古に移る。モズクの養殖も始めて成功するが、一本釣りが性に合っているということで高級魚の一本釣りに戻る。照屋老が魚をとって、奥さんが市場のセリに持っていき、さらに自分の経営する刺身屋で今も売っている。
今は、辺野古の海では、魚があまり捕れなくなったという。

戦争、米国の軍政、海洋博、リゾート開発、基地問題の沖縄史を照屋老の人生に絡ませる。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿